2019年3月、皇居を望む新社屋に移転したダイソンのオフィスで、イベントが行われた。
「デザイン経営」に「デザイン思考」。これらの言葉を聞くことは、さほど珍しくなくなった。それは、ヒト・モノ・カネだけではなく「デザイン」も、ビジネスを語る上で欠かせない要素になったことの表れと言えるかもしれない。
2019年3月1日夜にダイソン新社屋で開催されたイベントのテーマは、「デザイン×ビジネスで社会課題を解決する ダイソンが実践する『デザインエンジニアリング』とは?」(ダイソン×Business Insider Japan<以下BIJ>共催)。
参加者の所属業界はメーカーに金融・ソフトウェアと多岐に渡り、クリエイターはもちろん学生の姿も。その多様な顔ぶれからも、「デザイン」が、一部の人間にとっての関心ごとではなく、オープンで身近なテーマになっていることを感じさせる時間となった。
「一人のユーザーをどれだけリアルに描けるか」
Takram代表の田川欣哉さん。プロダクト・サービスからブランドまで、テクノロジーとデザインの幅広い分野に精通する。主なプロジェクトに、トヨタ自動車「e-Palette Concept」のプレゼンテーション設計、日本政府の地域経済分析システム「RESAS」のプロトタイピング、Sansan「Eight」の立ち上げ、メルカリのデザインアドバイザリなどがある。グッドデザイン金賞、 iF Design Award、ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクション、未踏ソフトウェア創造事業スーパークリエータ認定など受賞多数。東京大学工学部卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士課程修了。経済産業省「産業構造審議会 知的財産分科会」委員。経済産業省・特許庁の「デザイン経営」宣言の作成にコアメンバーとして関わる。2015年〜2018年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート客員教授を務め、2018年に同校から名誉フェローを授与される。
第1部では、BIJ編集長浜田敬子をモデレーターに、もはや言葉が一人歩きしている「デザイン経営」「デザイン思考」の定義から、「デザイン経営を日本で実践するために何が必要なのか?」「デザイン経営を実践するために、今日からできることは何か?」といった議論が繰り広げられた。
■第1部のスピーカー:木本直美(特許庁 デザイン経営プロジェクトチーム チーム長)田川欣哉(Takram代表取締役)
デザインとテクノロジーが密接に共存できているダイソン社は、幸せなケースであるとして、「日本企業が抱えている壁は、デザインとテクノロジーが分離してうまくマッチしていないこと。この壁を突破するためにはどうしたらいいか?」という問いかけに、木本さんはこう答えた。
「一人のユーザーをどれだけリアルに想像できるかだと思います」。
特許庁でデザイン経営プロジェクトチーム チーム長を務める木本直美さん。1991年特許庁入庁。1999年7月、アメリカサンノゼ州立大学にて客員研究員。総務部総務課工業所有権制度改正審議室 室長補佐、経済産業省商務情報政策局文化情報関連産業 課課長補佐、同課 文化情報関連産業戦略調整官、審査第一部意匠課 意匠審査基準室長、審査第一部意匠課 意匠課長、審判部第34部門 審判長などを経て現職。 霞が関のイメージを変えるプレゼンに、モデレーターの浜田も驚きの声を上げた。
特許庁のプロジェクトでは、より具体的なイメージをつかむために、一つのプロジェクトで最低でも7社、多いときは25社以上に対してインタビューを行う。これは、ユーザーのことを、中小企業の経営者とかスタートアップ企業の担当者といった抽象的な言葉で解釈したり、自分の中に勝手につくり上げたユーザー像に捉われたりせず、具体化するための重要なプロセスなのだそうだ。
そして、審査するという役所的な仕事とは対極にあるようにも思えるが、インタビューは、説明の場ではなく引き出す場にすることを徹底しているとも語った。
「どうしてそう思うんですか?なぜそうしたんですか?と問いかけることで、相手の本当の気持ちが見えてくるんです」
デザイン経営の第一人者である田川さんの説明は、シンプルでわかりやすい。
デザイン経営の実現にはトップのコミットメントが不可欠。特許庁のプロジェクトが成果を上げている理由のひとつに、トップの強い後押しがある。とは言え、すぐにトップの賛同を得にくいという方も多いだろう。 そこで浜田は田川さんに、「一人ひとりがすぐにできることはないだろうか?」と、参加者にとってのヒントを求めた。
「抽象化の罠を意識すること」という即答したうえで、世の中の情報の大半は抽象化されたものであり、私たちは抽象化された情報にまみれて生きているということを理解しなければならないと続けた。「抽象化の罠にはまっているぞ!」と意識して、そこから逃れて具体的な情報を得ようとすることを忘れてはいけないということだ。
「抽象化の罠からどうやったら逃れることができるのか?」に対しては、こう回答。
「至極当たり前ですが、人の話を聞くことや、ものをちゃんと自分の目で見ること。 二次情報ではなく、一次情報をつかみにいくことです」
抽象化という人間の持っているロジック思考を、真逆のやり方でバランスする。抽象と具体を掛け算した時に出てくるアイデアこそが、研究開発(invention)と社会実装(innovation)の接続を妨げる、死の谷の存在をできるだけ小さくするということだった。
「急病人を前に何もできなかったこと」が原点に
Coaido代表取締役の玄正慎さん。1日200人もの心臓突然死の課題解決のためCoaidoを創業。救命共助アプリCoaido119を開発。IoTやロボティクス連携で突然死のない世界の実現を目指している。CPRトレーニングボトルの発案者。
第2部のテーマは、「私たちは社会課題をどのように解決するのか」。モデレーターのBI副編集長伊藤有が投げかける「どんな課題を感じてその事業に取り組んでいるのか?」「どんな世の中を作りたいと思っているのか?」という問いに、企業家やデザインエンジニアたちから、リアリティのある回答が発せられた。
■第2部のスピーカー: 玄正慎(Coaido株式会社 代表取締役CEO/一般社団法人ファストエイド代表理事)八木啓太(Bsize 代表取締役)サム・バロース(ダイソン株式会社パーソナルケア部門 製品開発アドバンスド デザイン エンジニア)
伊藤から玄正さんへの問いかけは、問題提起について。 「何をきっかけに課題と捉えるのか。そしてそれをどう事業へとつなげるのか?」 そこで披露されたのは、自分の乗った車両で急病人が発生したときに何もできなかったもどかしさと、緊急時に助けを呼べるアプリがあったらいいと思ったという原体験。
「亡くなった人は声を上げられない、そして助かった人もその瞬間の記憶がない」ために、いわば忘れられた課題だった、と玄正さんは言う。自身の「何もできなかった」経験が、周囲の助けも得られる119番通報アプリ「Coaido119」を開発につながったそうだ。
さらには、「門外漢の発想で問題に取り組んだことがポイントでした」とも語った。心停止が起きる場所の7割は住宅であり、家で倒れると救命率は3%と著しく低いことを知り、自宅で訓練できれば家族全員がCPR(心肺蘇生)を覚えられるのではないかと発想。家の中に訓練用の人形の代わりとなる同じような弾力のものはないかと考え、飲み終わった後の空のペットボトルで訓練する「CPRトレーニングボトル」を思いついたという。非医療従事者だからこそ、どこにでもあるゴミとして捨てられるものを訓練器具として活用するという斬新な発想が生まれたとも言えるのだろう。
「まあいいか」を見逃さない
ダイソンのデザインエンジニア、サム・バロースさん。2014年にグラスゴー大学で工学修士号を取得。同年ダイソンに入社。パーソナルケア部門に所属し、基本プロトタイプからプロダクションマシンまで、Dyson Supersonic™ヘアードライヤー (以下、Supersonic) 開発チームの中心メンバーとして開発に従事。Supersonicの製品発表と現在進行中のプロジェクトに携わった後、Supersonic プロモデル開発の少数精鋭チームに抜擢され、開発の中心的役割を担う。 現在は東京を拠点に、日本と韓国のパーソナルケアチームをサポートする任務にあたり、日本と韓国の市場の状況を、イギリスのデザインチームにフィードバックし、より良い製品開発を促している。
インハウスのデザインエンジニアであるサムさんへの問いは「どういうことを起点に課題設計をするのか?」。 「多くの人が何となく許容してしまっている、まあいいかと見逃している問題は何なのかと目を配ることだ」(サムさん)
イベントを行った会場の壁一面には、ダイソンのメッセージが。「Our mission is simple.Solve the problems others seem to ignore.(私たちのミッションはシンプルです。他人が見過ごす問題を解決することです)」
ダイソンのドライヤー「スーパーソニック」は、心地よい温度でスピーディーに髪が乾くことで知られている。この、心地よい温度でスピーディーに乾くという両方を実現していることがポイントだ。というのも、髪を早く乾かしたければ温度は上がる。つまり、多少熱かったり髪が痛んだりすることは仕方ないと、思い込んでいる場合が多いと言うのだ。
「些細な問題かもしれないが、多くの人が抱える不満の可能性もある。その解決は世の中に大きな影響を与えるかもしれないと考えている」と語った。
子どもが生まれて開発した製品
Bsize代表取締役の八木啓太さん。富士フイルム株式会社にて医療機器の機械設計に従事。デザインを独学し、2011年、家電ベンチャー・ビーサイズを創業。6畳間でひとり開発・量産・販売したLEDデスクライトSTROKEは国内外のデザイン賞を多数受賞。2018年に放送されたNHK連続テレビ小説「半分、青い。」では「ひとりメーカー」の考証を行った。“デザインとテクノロジーで社会に貢献する”をビジョンに掲げ、現在は AI・IoT技術を活かしたみまもりロボット「GPS BoT」の展開に注力し、日本のモノづくりで世の中に革新を起こすべく、挑んでいる。
「どんな世界を作りたいのか?」という大きな問いに対して八木さんは、とても難しいと言いつつも、「社会を構成するみんなが、ありたい自分で居られる状態」と答えた。
人間は一人ひとり、幸福だと感じる状態は違う。だからこそ、「一人ひとりのウェルビーイングは何だろうか?ということに関心があるんですよ。そして、その幸福な状態と現状にギャップがあるのだとしたら、何かソリューションで解決できるかもしれない」と語り、子どもの誕生をきっかけに、子どもの安心安全が気にかかるようになったという開発時の自身の気持ちを回想。
物騒な事件が起こる中では、行ってらっしゃい!と気持ちよく子どもを送り出すこともままならないと感じたことから、子どもの安心を見守る機能としての「AIみまもりロボットGPSBoT」を開発したというエピソードが語られた。
終了後に行われた懇親会では見た目も美しいフードとともに意見交換が進んだ。
数々の質問から明らかになった5人の登壇者の話の共通点は、「より具体的に考えること」。 自分自身が実際に体験すること、自分の感覚だけにとらわれすぎないようにさまざまな人の意見を聞くことを通じて、リアルで具体的な情報を得ること。人の心を動かすデザイン経営とは、人間を知ることから始まるのかもしれない。
発売されたばかりのロボット掃除機「Dyson 360 Heurist」のデモも懇親会中に行われた。