『ルポ 児童相談所』の著者で、発展途上国におけるグループ会社を通じてマイクロファイナンスを提供する五常・アンド・カンパニーの慎泰俊さん。
撮影:的野弘路
2月下旬、ミャンマーから帰国したばかりの慎泰俊さんにインタビューを行った。
慎さんは2014年、発展途上国におけるグループ会社を通じてマイクロファイナンス(小規模金融サービス)を提供する「五常・アンド・カンパニー」を創業した。
世界にはいまだ、融資を受けることができない、預金口座を持てない、安心して病院に通える保険がないなど、自らの夢を実現するにも、その機会にさえアクセスできない人々がおよそ20億人いる。
慎さんが立ち上げた会社のミッションは「2030年までに民間版の世界銀行をつくり、50以上の途上国で1億人以上に金融アクセスを提供する」ことだ。その実現のため、慎さんはいまも世界各地を飛び回っている。
そんな“本業”と並行し、2007年に慎さんが自ら創立者となり、現在も関わり続けている活動がある。機会の平等を通じた貧困削減を目標に、社会養護のなかで暮らす子どもたちの支援を行う認定NPO法人「Living in Peace」だ。
活動を通じて、慎さんは実の親と暮らせない子どもたちと交流するようになる。子どもたちの話から問題意識を抱いた慎さんは、児童相談所(児相)に併設され、虐待を受けた子どもや家庭内で問題を起こした子どもらが一時的に保護される施設「一時保護所」に住み込み、そこで暮らす子どもたち、親、職員らと生活をともにする。そして、その経験を2017年に『ルポ 児童相談所』として発表した。
その後も、奈良市に新たに建設される児相の設置・運営方法を検討する「奈良市児童相談所のあり方検討会議」の委員を委嘱され、奈良に限らず中核都市で新たに設置される児相の抱える課題解決について提言を続けている。
コミュニティが脆弱な地域にこそ児童相談所を
南青山の「港区子ども家庭総合支援センター(仮称)」建設予定地。
撮影:今村拓馬
そうした経緯を知る筆者は、東京・南青山で計画中の児童相談所をめぐる一連の騒動について、慎さんに会って意見を求めた。この問題についてメディアからの取材依頼を応諾したのは初めてだという。
そもそもの発端は、南青山に「港区子ども家庭総合支援センター(仮称)」、いわゆる児相を建設する計画を港区が発表したことだった。地域の住民や関係者から「南青山のブランドイメージが悪くなる」「地価が下落する」「施設が青山の真ん中にそぐわない」「街の魅力が半減する」などと反対する声が噴出し、港区と激しく対立。住民説明会が繰り返し開催されたが、両者の対立は依然、平行線のままだ。
—— 南青山の騒動について、率直な感想を教えてください。
「本件でメディアからいくつか取材の依頼もあったのですが、この間、ずっと海外と日本とを往復していましたし、テレビでコメントをするのも自分の本分ではないと思っていましたので、すべてお断りしてきました。
年々増え続ける子どもの虐待を減らすためにも、児相は不可欠だと思っています。これまで児相の設置は都道府県と政令指定都市・中核都市にのみ認められていましたが、2016年の児童福祉法改正により特別区での設置も認められるようになりました。
本来であれば、児相は街の交番と同じように、東京23区すべてにあったほうがいいと思います(都内の児相は現在11カ所、うち23区内は7カ所)。他地域から人口が流入することで拡大してきた地域は地元コミュニティが脆弱であり、だからこそ児相を設置してそれを補強することには意味があると感じています」
児童虐待の相談件数は10年で4倍に
【資料1】2017年度中に、全国210カ所の児相が対応した相談件数は13万3778件と過去最高を記録した。
出典:広報みなと「港区子ども家庭総合支援センター特集号」
児童相談所での児童虐待相談対応件数は、この10年でおよそ4倍に増加している。ここで言う虐待には、「身体的虐待」「ネグレクト(育児放棄)」「性的虐待」「心理的虐待」が含まれる。最新の報告では、2017年度中に全国210カ所の児相が対応した相談件数は、13万3778件と過去最高を記録した。【資料1参照】
港区でも、相談の対応件数は数年前から年間400件前後と高止まりしている。同区の人口はすべての世代において増加しているが、なかでも子ども世代の増加は著しく、毎年およそ3000人の子どもが生まれ、2017年度の合計特殊出生率は1.42、東京23区のなかでも上位となっている。こうした子ども世代の人口増加と児童虐待の件数は無関係ではない。【資料2・3参照】
【資料2】港区の虐待相談の対応件数は、数年前から年間400件前後と高止まりしている。
出典:広報みなと「港区子ども家庭総合支援センター特集号」
【資料3】子ども世代の人口増加と児童虐待の件数は無関係ではない。折れ線グラフは港区の18歳未満人口。
出典:広報みなと「港区子ども家庭総合支援センター特集号」
都心に生活する家族の特徴として、核家族で集合住宅に暮らす人が圧倒的に多い。生活スタイルの多様化によって、地域との関係はますます薄くなり、子育ての孤立化が進んでいる。
その対策として現在では、地域住民の育児支援を担う最も身近な窓口となる「子ども家庭支援センター」が置かれている。児童福祉法に基づき、すべての子どもと家庭、および妊産婦らを継続的に支援していく拠点となっている。港区では、児相の代わりに児童虐待などの相談を受ける窓口の役割も果たしている。
この子ども家庭支援センターと、新たに建設される児相を組み合わせた施設が、南青山で問題となっている「港区子ども家庭総合支援センター(仮称)」である。いまだに誤解している人が多いようだが、児相だけが建設されるわけではない。
「一時保護」の子どもたちへの大いなる誤解
あらゆる問いに対し、静かに考え、言葉を選び抜いて話す慎泰俊さん。
撮影:的野弘路
しかし、虐待事件が増加し、より専門性と機能性のある児相の必要性が高まっているにも関わらず、まだ児相そのものに対する無知と偏見があると慎さんは語る。
—— 南青山のケースでは「児相を地域が引き受けるか否か」という議論がなされています。慎さんは著書で、そもそも児相がその地域に存在することで生まれるマイナス要素は何だろうか?と疑問を投げかけられています。実際、何か不利益があるのでしょうか。
「児相には、“支援”と“保護”の機能があります。まず、支援の機能については、子育てに苦慮している人が子どもを連れて通ったり、児相職員が家庭を訪問して必要な支援を提供したりしています。例えば、『産後鬱(うつ)になってしまった』『子どもがADHD(注意欠陥多動性障害)で困っている』『母親が病気になって子どもを育てることができない』などです。【資料4参照】
こうした苦しみは、子どもをもてば誰もが当事者になる可能性があります。なので、病院と同じように、自分が暮らす地域に児相があることは決して悪いことではありません。行政が苦しむ当事者たちの手助けをしてくれる。相談に乗ってくれる。こうした制度はむしろ子育てをする人にとってありがたい存在ではないでしょうか」
【資料4】児童相談所の相談から支援の流れ。
出典:広報みなと「港区子ども家庭総合支援センター特集号」
「一方、保護に関する機能については、誤解が多いように思います。
児童相談所には、児童福祉法に基づき子どもを『一時保護』する機能もあります。行政が必要に応じて子どもの安全を迅速に確保し、子どもの置かれた状況を把握することが目的です。一時保護は里親家庭・施設・病院などで行われる(一時保護委託)こともありますが、6割以上の子どもは児童相談所内に設置されている一時保護所で生活することになります。
一時保護には、事情を抱えた家族からの相談を受けて話し合いのもと実施されるケースと、家庭での虐待について学校や地域住民からの通報を受けて児相が介入するケースとがあります。
南青山の場合、一時保護された子どもが地元の学校に通うかのようなメディア報道がありました。しかし、それは間違いです。良し悪しは別にして、一時保護下の子どもは基本、自由に外出ができない場合が多く、勉強や運動は(十分とは言えないことが多いものの)一時保護所内で行われます。多くの人が、一時保護所を児童養護施設などと混同しているのでしょうか。
ただ、児童養護施設の建設時にも『地域に貧困家庭の子どもがやってくる』『非行を繰り返す子どもが増える』などのいわれなき反対意見が噴出することがあります。事実と異なることも多く、ひどいレッテル貼りだと思います」
児童福祉司ら児相職員が圧倒的に足りない
年々増加する児童虐待などの問題を受け、政府は数年前から児童相談所の拡充を掲げ、動き出している。それが2016年の児童保護法の改正(2017年施行)だ。これによって東京23区に児相の設置が可能となった。
しかし、児相の増加とともに懸念されるのが、児相専門職員の確保だ。安倍政権も児童虐待の防止に向けて、2022年までに約2900人増員する計画を打ち出している。
洒落たブティックやオフィスビルが立ち並ぶ南青山。写真左手の道路を進んだ先に「港区子ども家庭総合支援センター(仮称)」の建設予定地がある。
撮影:今村拓馬
—— 児相が抱える課題として、専門職員の育成と確保があります。これまで多くの職員の方にインタビューされてきた慎さんは、この課題についてどう考えていますか。
「第一の課題は、地元での関係組織らの連携推進だと思います。南青山のようにこれから設置が進む児相に求められているのは、児童養護に関わる自治会、警察、学校、NPOなどを同じ目的のもとに連携させるコーディネート力だと私は思っています。地域全体で子どもとその親を支える仕組みをつくるのが一番なのです。
実現のためには警察や学校の協力が必要不可欠ですが、区長には警察や学校の責任者に対する人事権がなく、協力を得られるかどうかは現場頼みになってしまうことが少なくありません。
次に、人材難も課題です。圧倒的に足りないのが『児童福祉司』というケースワーカーです。現在、全国に約3300人しかいません。私は児相を増やす国の方針には賛成ですが、日本の場合、子ども人口に占める、ケースワーカーの数が先進諸国比で圧倒的に足りません。
その上、児童福祉司になりたいと思う人がそんなに多くないのも課題を難しくしています。子どもの命にも関わるこの仕事は、それ相応の覚悟と思いがなければ務まりません。何か問題が起きれば児相とその職員たちに批判が集中します。2018年に発生した目黒の虐待死事件の際も、亡くなった女児を一時保護させる緊急性を把握していたにも関わらず、児相が対応しなかったと批判されました」
—— この課題を解決する方法は何かあるのでしょうか。
「児相をつくる際に最も重要なのは児相の代表者である所長として誰を選出するかだと思っています。その重要性に鑑みると、児相をつくると決断した首長自らが採用活動を主導するくらいで臨むのが良いと考えます。会社における重要人材を社長自らが採用するのと同じです。
児相を新たにつくる場合、初代所長がどんな人物なのか、どんな考えの持ち主なのかは、その所長の退所後にわたって大きな影響を与えます。児相などの行政組織は最初につくられた前例によって踏襲されていきます。空手の型と同じで、一度型を覚えてしまうと、それを矯正するのは、初心者に教えるよりも難しいものです」
「社会的養護」普及のためにすべきこと
画面の資料には「日本では特に里親家庭が他国に比べて非常に少ない。また、そもそも社会的養護に入っている子どもの数も非常に少ない」とある。
撮影:的野弘路
児相には「仏の顔」と「鬼の顔」の両面があるという。前節で説明した支援は仏の顔。そして、理由はなんであれ家族から子どもを取り上げる一時保護などの介入は、鬼の顔。
こうした非対称の役割があるので、例えば、相談に行くことを周囲に知られると、「あの人、児相に通っているけれど、子どもに虐待しているのではないか」と周囲に誤解を抱かせてしまうのである。利用者にとってはこれが辛い。しかも、児相ですべてを解決できるわけではない。児相での相談、診断などを経て、子どもを家庭に戻すことができない場合もある。
—— 日本では社会的養護という概念が広まっていないように思えます。社会が子どもを育てる、という概念をどう根づかせていけばよいのでしょうか?
「社会的養護とは、虐待などの家庭環境上、養護を必要とする児童に対し、公的な責任として社会的に養護を行うものです。現在、その対象児童は約4万6000人であり、8割の子どもは施設にいます。
アメリカでは同じように一時的にでも親元を離れて暮らす子どもの数は42万人いるとされており、人口比で日本よりずっと多いです。アメリカが異常な社会だということではなく、日本では一時的にでも社会的養護にいたほうがいい子どもも、実家庭で過ごしている可能性があるのではないかと思います。
短期間であっても社会的養護に入る子どもが増えるとしたら、その増加する受け皿として児童養護施設や乳児院などの『施設』をこれ以上増やすのではなく、家庭と同じ養育環境下で子どもを受け入れる小規模住居型児童養育事業(ファミリーホーム)や里親を、今後増やしていく必要があると考えています。そして、児童養護施設等と里親やファミリーホームが連携して、子どもに対してより良い養育環境を提供するのが良いと思います。
それ実現するには、里親の数もまだ少ないですし、里親に対する社会の各種サポートは足りていません。ファミリーホームの運営が経済的に立ち行かない措置費制度にも課題が残っています」
南青山の児相建設に関連して、港区は「子どもと家庭に寄り添い支える、あたたかなまちをめざす」と表明している。子育てに関する地域のさまざまな施設、機関が連携して、地域ぐるみできめ細かやかな支援を行い、虐待や非行を未然に防ぐという。
なぜ港区に児相が必要なのか。港区が目指す地域の将来設計を、もう少し丁寧に区民に説明する必要があるのではないか。
(文:中原一歩、撮影:的野弘路、今村拓馬)