半年間アマゾンの物流センターでの作業など4種類の最低賃金の職に就いた感想とは。
Sean Gallup/Getty Images
国籍は違いながらも、気骨あるジャーナリストの渾身の取材である。
イギリス人のフリーランスのジャーナリストであるジェームズ・ブラッドワース氏(36)は、イギリスでは20人に1人が最低賃金で働いているという実態を知るため、半年間、自ら4カ所で4種類の最低賃金に体験取材した。
その成果がこのほど、『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した~潜入・最低賃金労働の現場~』として出版された。原書は2018年刊行の『Hired: Six Months Undercover In Low-Wage Britain』だ。
著者は、《はじめに》でこう書いている。
「結局のところ、これは21世紀の労働者階級の生活についての本だ。多くの人にとって、かつては誇りの源だった“仕事”は、尊厳と人間性を奪おうとする容赦ない攻撃に変わった。本書は、その変化を記録しようとする試みである」
著者は自らを社会の最下層に身を沈め、搾取される側に立つことで見えてくるイギリス社会を切り取ろうとした。
さらに、多くの欧州からの移民が、最低賃金の労働を下支えするイギリスの現状は、外国人労働者を本格的に受け入れ始めた日本の未来図のようにも読める。
さまざまな読み方を可能にする懐の深い本である。
アマゾン、ウーバー、介護、コールセンターを経験
アマゾンの物流センターでは、労働者が劣悪な労働条件で安く働かされている。
Scott Olson/Getty Images
私がブラッドワース氏を知ったのは約1年前。彼が英タイムズ紙に執筆した本書のダイジェスト版で、アマゾン・ドット・コムの物流センターに潜入取材した記事を読んだのがきっかけだった。私自身10年以上前に、首都圏にあるアマゾンの物流センターに潜入し、『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』という書籍を著している。
親近感を覚え、Twitter経由で取材したい旨をお願いすると、二つ返事で承諾してもらい、ロンドン市内のパブで話を聞いた。
ブラッドワース氏が働いたのは、アマゾンの物流センターと介護施設、コールセンターとウーバー(Uber)のドライバー —— の4業種。「どの仕事が一番ひどかった?」と聞くと、「アマゾン!」と間髪を入れずに答えが返ってきたことを思い出す。
今回は、著者の翻訳本の日本での出版を機に、新たに追加取材に応じてもらった。
「僕は23歳まで、この本に出てくるような最低賃金に近い職を転々とした後、大学に進んだ。我が家で大学に行ったのは僕一人。もともと政治や経済に興味があったんだけれど、政治家にも企業経営者にもなるつもりがなかったので、それを観察する側に回ろうと思い、大学では社会学を、大学院ではジャーナリズムを学んだんだ」
卒業後は、薬品業界の業界誌で働いた後、“Left Foot Forward”という左派系のネットブログの編集者を経て、フリーランスのジャーナリストとなる。2016年に最初の書籍となる『The Myth of Meritocracy: Why Working-Class Kids Still Get Working-Class Jobs(能力主義という神話‐どうして労働者階級の子弟は労働者階級にとどまるのか)』を出版。そして、2018年に本書を著した。
劣悪な環境で働かされる東欧からの移民
イギリスには多くの移民が暮らしている。
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この本がイギリスやアメリカで広く受け入れられた一つの要因は、冒頭で描かれたアマゾンの物流センターでの劣悪な労働条件だった。アルバイトがトイレに行くと、アマゾンが重要視する生産性が落ちたと追及されるのを恐れ、飲料水のペットボトルをトイレ替わりに使ったり、著者が病気で休んだときでも懲罰的な対応を取られたりした。大した理由でもないことで、多くのアルバイトが辞めさせられていったという。
アマゾンで働くことになったのは、偶然の産物だった、と彼は言う。
「この本を書く最初の目的は、最低賃金で働く人はどんな暮らしをしているのかを知りたいという好奇心だったんだ。統計数字や新聞記事からは、見えてこない人々の暮らしを知りたかった。どんな食事をしているのか。健康には気をつけて暮らしているのか。タバコや酒の量は?
イギリスの中部にあるマンチェスター付近で最低賃金の仕事を探していたら、車で1時間ほど離れたルージリーという田舎町で、たまたまアマゾンの求人を見つけたので働いてみた。イギリスでは、アマゾンの潜入取材というのは、いくつも先例があるんだけれど、僕自身は潜入するまで、アマゾンの労働環境について精通していたわけではない。ただ、アマゾンで働いてみると、あまりにも労働条件が劣悪なので、この事実を活字にして世間に知らせることが僕の使命になったんだ」
アマゾンで働く多くの労働者はルーマニア人を中心とする東欧からの移民だったという。ブラッドワース氏は、ルーマニア人の同僚からこう尋ねられた、と本に書いている。
「すみません。気を悪くしないでいただきたいのですが、あなたはイギリス人ですか? この国で生まれたのですか?」
彼が「そうだ」と答えると、「では、どうしてピッカー(物流センター内で商品を棚からピッキングしてくる仕事)の仕事なんてしているんです? 悪気はないんですよ。でも、ただ気になって」
ブラッドワース氏はこう説明する。
「アマゾンの仕事は、体力的にきつかった。1日、20キロ前後を歩かなければならないだけでなく、精神的にさまざまなプレッシャーを感じた。些細なことまでルールが決められ、息が詰まりそうなほどだったよ。ルージリーに住むイギリス人は、アマゾンでの労働環境を知っていたので、ほとんど近づかなかったけれど、東欧からの移民はイギリスの最低賃金でも、自国の通貨に換算すると高額な時給だったため、ひたすら我慢して働いていたんだ」
ゼロ時間契約で収入が不安定に
アマゾンの次には、訪問介護、コールセンター業務などの職に就いた。
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アマゾンの物流センターの後は、働く場所をイギリス北部のブラックプールに変えて訪問介護の職に就き、次は東部のウェールズ地方のスウォンジーでは、コールセンターで働いた。
この3つの仕事に共通するのは、ゼロ時間契約(zero-hour contract)だった点である。
週当たりの労働時間が明記されずに結ばれる雇用契約であり、会社から要請のあった時だけ、働くことができるという労働形態だ。雇う側は必要な時にだけ労働者を呼び出すことができ、人件費を固定費ではなく、変動費にできるというメリットがある。
「けれど、働く側にとっては、大きな不安が付きまとう」とブラッドワース氏は語る。
「その週にいくら稼げるのかは、雇い主の次第。対等な労働契約からはほど遠いんだ。この雇用形態は、1990年代後半からあるんだけれど、2008年、2009年の世界金融危機以降、大幅に増え、現在イギリスでは100万人がゼロ時間契約で働いているんだ。これは雇う側にとって圧倒的に有利で、僕がやりたくないと思った介護の仕事を拒むと、その後懲罰のように、仕事を入れてもらえなかったということも経験したね」
労働者に対し責任を負わないウーバー
ウーバーはドライバーに対し、「対等のパートナー」を強調するが……。
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ブラッドワース氏は6カ月の潜入取材を締めくくる場所として、彼が住むロンドンを選んだ。働くのは、ライドシェア最大手のウーバーだった。
その理由を“ギグ・エコノミー”に参加するためだったと著書に書いている。ギグ・エコノミーとは、フリーランスの単発の仕事(ギグ)によって成り立つ急成長中の労働市場だ。
「依頼されるのは出来高払いのフレキシフルな業務で、携帯電話のアプリを通して割り振られることが多い。(中略)この新たなハイテク理想郷では、(少なくとも理論的には)生活費を稼ぎながら自由と自律を保つことができるはずなのだから」
ウーバー側のドライバーへのセールストークで強調されるのが、ドライバーは、被雇用者や従業員ではなく対等のパートナーであるという点。しかし、それを言い換えれば自営業の請負人であり、従業員ならば当然手にできる有給休暇や最低賃金などの保証の対象外となることを意味していた。
「働き始めるとすぐに、手にする報酬が、ウーバーが主張する金額の半分近くだと分かったんだ。ウーバー側は時間当たり平均で16ポンド(約2300円)稼げると何度も言っていた。これは最低賃金の2倍に当たる金額。けれど、車両のレンタル代、ガソリン代などの経費を引くと、8ポンドに半減する。
ウーバーのうたう“自由と自律”も眉唾物だと気づくのに時間はかからなかったね。いろんなことが事細かに決められており、とても自営業者とは思えない状態だった。例えば、乗車リクエストの80%を受け入れることからはじまり、お客さんとは宗教や政治、スポーツなどの話をしてはいけないということまで管理されていたんだ」(ブラッドワース氏)
ウーバーはドライバーに自由と自律、高収入といった“ニンジン”をぶら下げ、仕事に駆り立てる。その一方、ウーバーはドライバーの労働環境には何一つ責任を負わなくていいようになっている。
労働組合で権利取り戻せ
賃金が下がる恐れのある政策に抗議するタクシー運転手。ロンドン市内の従事者による独立系労組IWGBメンバーらが国会議事堂前に集まった(2019年2月11日)。
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ゼロ時間契約にしろ、自営業の請負業にしろ、本書では、長年にわたりイギリスの労働者の権利が弱体化する様子が描かれている。それに対し、労働者はなすすべもなく、押し切られている感は免れない。そのことは労働者から、人生に対する尊厳や自信、プライドなどを奪っている。そうした現状を改善するにはどうしたらいいのだろうか。
ブラッドワース氏の答えはこうである。
「労働組合を通して労働者が団結する以外に、労働者の権利を取り戻す方法はない。本書では1960年代、1970年代に働いた炭鉱夫たちにも話を聞いている。危険で、厳しい仕事だったけれど、彼らにとっては仕事がアイデンティティであり得た。
組合が労働者を束ねる力を持った時代には、労働者が自分の仕事に誇りを持っていたものだ。
けれど、今の若い人は労働組合自体を知らない。ストを打つための法規制も厳しくなっている。社会的に、政治的に労働組合の力を復活させることが必要だと思っているけれど、今のイギリスの政治はEU離脱問題で手一杯で、組合のことを話し合う余裕がない。この流れが1日も早く変わってくれるためにも、僕自身は労働者側の情報を発信するしかない、と考えているんだ」
ブラッドワース氏に次作の予定について尋ねると、「ずっと気になっていた男性人権運動(Men's Rights Movement)について書くつもりだ」という答えが返ってきた。
フェミニズムへの反動として起こってきた右翼系の運動について、腰を据えて取材し、執筆するために取材をしている。
横田増生:1965年福岡県生まれ。アイオワ大学ジャーナリズムスクールで修士号取得。帰国後、物流業界紙記者、編集長を務め、1999年フリーランスに。主な著書に『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』『評伝 ナンシー関「心に一人のナンシーを」』『中学受験』『ユニクロ帝国の光と影』『仁義なき宅配 ヤマトVS日本郵便VSアマゾン』など。