2019年8月から愛知県で開かれる国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」。
3月27日、芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介さんは「参加アーティストの男女比を半々にする」と発表した。津田さんがアファーマティブアクションを選択した背景には、アート界特有の「M字カーブ」問題や、コレクターとの力関係から生じるセクハラがある。
アートとジャーナリズムの共通点
ジャーナリストの津田大介さん。著書に『情報戦争を生き抜く』など。
撮影:竹下郁子
あいちトリエンナーレは2010年から3年ごとに開催されている、国内最大規模の国際芸術祭だ。津田さんが芸術監督に打診されたのは2017年6月。
「まず決めないといけなかったのが、ヴェネツィア・ビエンナーレのような何でもアリの博覧会形式にするか、それともドクメンタのような何か1つのテーマ性を強く打ち出したものにするかでした。これまでのあいちトリエンナーレは、1回目と3回目が前者で2回目が後者だった。ジャーナリストの僕がやるなら後者だろうと」(津田さん)
そこで津田さんが掲げたテーマは「情の時代」だ。
トランプ米大統領。就任後も自身に批判的なメディアを「フェイクニュース」だと非難し続けている(2016年NYでの記者会見にて)。
shutterstock/JStone
当時、アメリカのトランプ大統領就任やイギリスのEU離脱(ブレグジット)案などを受け、「ナショナリズム」や「分断」という言葉がメディアで多用されていた。それらの理由として語られていたのが、世論の「感情」化だったという。
「『情』という字にはよく使われる『感情』的なこと以外にも、『本当のこと・姿』というような意味もあると知って、へぇと思ったんです。僕は芸術に関して素人ですが、アートとジャーナリズムには社会で実際に起きていることを問題提起するという共通点があると感じていました。だからエモーション(感情/主観)とファクト(真実/客観)のどちらも表現できるこの1文字は面白いし、追求する意味があるだろうと」(津田さん)
きっかけは不正入試問題
東京医科大学の会見で頭を下げる行岡哲男常務理事(前)と宮沢啓介副学長(奥)(2018年8月7日午後、東京都新宿区)。
REUTERS/Toru Hanai
テーマを決め、現代美術、映像、音楽など各分野のキュレーターたちが作家を探している中で2018年8月に発覚したのが、東京医科大学の不正入試問題だ。女子受験生の点数が低くなるように得点が操作されていたことは、社会に大きな衝撃を与えた。
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「2018年のニュースで最もショックを受けたことですね。まだこんな状況なのかと。僕もここ数年、人種差別やヘイトスピーチの問題を取材してきましたが、あのニュースに遭遇して、そもそも日本に根本的な断絶として存在する『女性差別』に向き合う必要があると痛感しました。
これは男性優位社会の中で起きているんだから、男性の問題なんですよ。だから自分に決定権がある今回のトリエンナーレで、ジェンダー平等を実現するアファーマティブ・アクションをやろうと」(津田さん)
「あいちトリエンナーレ2019」の参加アーティストたち。
出典:「あいちトリエンナーレ2019」HPより
キュレーターの中には「色がついて見える」「引く人もいる」など批判的な意見もあったが、「男女比5:5を目指したい」「ストレートに女性差別を表現する作家にもどんどん加わって欲しい」と言い続けたという。
その結果、トリエンナーレに参加する74組のアーティストのうち、男女混合グループなどを除くと女性が32人、男性は31人に。
60組だった参加予定者が70組を超えたのは、男女比にこだわったからだ。愛知県からは予算がないとクレームもきたが、津田さん自身が投資家や企業経営者などから資金集めをすることで、納得してもらったという。
学芸員は女性6割でも館長は男性8割
「調べるのが仕事」という津田さんは、芸術のジェンダーにまつわるさまざまな数字を調べた。以下はその一部だ。
芸術大学の新入生の男女比は圧倒的に女性が多い。にも関わらず、教員は8割以上が男性だ。
美大の新入生男女比
芸術大学教員の男女比
美術館も学芸員は女性が6 割を超える一方、館長の8割以上が男性だった。
美術館における男女比
過去の国際芸術祭の参加者も、男性の方が圧倒的に多い。
主な国際芸術祭の男女比
「女性はパトロンを捕まえればいい」
アート業界にもM字カーブやハラスメントの問題がある(写真はイメージです)。
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こうした現状の背景には、結婚や妊娠・出産を機に作家を辞める女性が多いという「M字カーブ」問題と、セクハラなどの女性差別が根強いからだと津田さんは見ている。
「40代の女性作家って層が薄いんです。ギャラリーに所属していても普通の会社員とは違いますから、福利厚生の面で乏しい。すなわち、出産や子育てを経て活動を続けることが難しい側面があるんですね。
こうしたことから『女性はパトロンを捕まえて好きなことやっていれば良い』というような、男性の庇護の下で作品を作ればいいと揶揄する風潮もあります。揶揄や冗談ならまだしも、本気でそう信じてる男性の美術関係者も結構いますね。ギャラリーやコレクターと作家の権力差も大きく、それを悪用されてセクハラを受けたという女性作家の声もたくさん聞きました」(津田さん)
今回のトリエンナーレには妊娠中や子育て中の女性作家が多数参加しているという(写真はイメージです)。
shutterstock/Shinya nakamura
今回のあいちトリエンナーレには、妊娠中や子育て中の女性作家も数多く参加しているそうだ。
津田さんによると、イギリスの名門・国立美術大学のロイヤル・カレッジ・オブ・アートでも、顕著に男性が多いプロダクトデザインを学ぶ学科で女子の受験者・合格者数が少ないことに長年悩んでいたという。しかし広報活動で取材を受ける時に、卒業生を含めて女性を前面に出すようにした結果、5年ほどで女子学生の比率が増えたそう。
男性優位だと思われている業界における、ロールモデルの大切さを示す事例の1つだろう。
次は女性を芸術監督に
津田さんは他にも朝日新聞の論壇委員を男女同数にするなど、ジェンダー平等の取り組みを進めている(写真はイメージです)。
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もちろん周囲の意識も大切だ。アメリカでは#MeToo運動以降、イベントのパネリストが男性の方が多いと客席からブーイングが起きるようになってきているという。
「最終的な作家数をジェンダー平等にする方針が決まったのは半年ほど前ですが、それを決めたときには、今回のようにメッセージとして強く打ち出すことはしないつもりでした。ジェンダー平等が前面に出すぎることで、女性作家が色眼鏡で見られてしまうのは僕も本意ではないですし、どうするかは発表直前まで悩みました」
津田さんは、今回のアファーマティブ・アクションに至る経緯をそう振り返る。
しかし、2018年から2019年にかけて日本で起こった種々の騒動——財務相事務次官やスポーツ界のセクハラ騒動、有名人の性暴力事件、炎上する企業CM、極めつけは流産した女性がお腹に子を残したまま働かされた報道を、津田さんは挙げる。
「これらを振り返ってみて、やはり今回のトリエンナーレはジェンダー平等をメッセージとして強く打ち出す必要があると思いました。この国の男性はこの問題を真剣に『考える』ことすらしていないわけですから。現状を変えるには、女性の数を増やすしかない。そのためにも、決定権を持っている男性がジェンダー平等を意識していくことが大切です」
その上で「あいちトリエンナーレの芸術監督は、僕も含めてこれまで全員男性なんですよ」と明かす。
過去に監督を務めた人たちが有識者会議に入って次の監督を選定するのが通例といい、「その場に呼ばれたら僕は『次は絶対に女性を芸術監督にすべきだ』と推薦するつもりです」(津田さん)
また、「あいちトリエンナーレのように公金を使う展覧会でジェンダー平等を達成したことは、このあとに続く良い前例になるんじゃないかと。ほかの行政主催の展覧会でも、ぜひ後に続いて欲しい」(津田さん)と言う。
津田さんが蒔いた種は、どう芽吹くか。あいちトリエンナーレは8月1日〜10月14日まで開催される。
(文・竹下郁子)