「われわれは行動により北朝鮮内の革命同志とともに金正恩政権を根元から揺さぶるだろう」
「われわれは金氏一家の世襲を断つ信念で結集した国内外の組織だ」
2月末にハノイで開かれた米朝首脳会談のわずか5日前に発生した、スペイン・マドリードの北朝鮮大使館襲撃事件。この白昼堂々の、映画さながらの事件への関与を認めた「自由朝鮮」という組織は3月28日、自らのホームページ上でこう強い決意を述べた。
金正男の長男を保護
2月27、28両日に開かれた米朝首脳会談のわずか5日前に、スペイン・マドリードで北朝鮮大使館襲撃事件が発生した。
REUTERS/Leah Millis
その言葉通り、北朝鮮の金正恩政権の打倒を掲げるこの謎の組織は、活動を活発化させている。
2017年2月にマレーシアで殺害された金正男氏の息子・ハンソル氏の救出保護から始まり、最近では北朝鮮の駐イタリア大使代理の失踪や、マレーシアの北朝鮮大使館外壁にハングルで書かれた「金正恩打倒」「自由朝鮮」という落書きへの関与も取りざたされている。
何者かが金日成主席と金正日総書記の肖像画を壁から取り外し、床に投げ付ける動画なども3月中に公開した。
「自由朝鮮」とは、いったいどんな組織で、リーダーは何者なのか。
その問いに向き合う前に、スペインの高等裁判所が3月26日に正式に公表した北朝鮮大使館襲撃事件の捜査状況をみておきたい。
犯罪の捜査権限を持つ高等裁判所の予審判事が公表した資料によると、襲撃は2月22日午後4時34分、マドリード北西部アラバカ地域の閑静な住宅街にある北朝鮮大使館で起きた。
犯行グループの主犯格であるエイドリアン・ホン・チャン氏(以下、ホン氏)が企業家に扮し、大使館代理大使のユン・ソクソ氏への面会に来た。ホン氏はアラブ首長国連邦(UAE)とカナダにオフィスを構え、北朝鮮への投資に興味を示す企業家として、その2週間前にユン氏と会っていた。
ホン氏がドアベルを鳴らし、ユン氏の到着を待っている間に外にいた他の犯行集団9人が大使館に侵入。集団はナイフやマチェーテ(山刀)、鉄の棒、模造銃を所持し、大使館職員らに暴行を加えて動けないようにするため、手錠や結束バンドで手足を縛った。犯行グループは大使館員に対し、自らを「北朝鮮解放のための人権団体や人権運動のメンバー」と名乗った。
FBIに奪った資料を提出
「自由朝鮮」の代表、エイドリアン・ホン・チャン氏。
出典:「朝鮮インスティチュート」ホームページ
裁判所の資料によると、ユン氏は「殴られ、洗面所に力ずくで連れていかれた」という。抵抗するユン氏に、犯行グループは手錠に加え、頭に袋を被せ、首には銃器を当てた。だが、ここで予期せぬことが起きた。ロッカールームに隠れていた別の大使館職員の妻が1階の窓から脱出したのだ。
助けを求める彼女を見た通行人が警察に通報。地元警察が騒ぎを聞きつけて駆け付けると、金正恩氏のバッジを付けたホン氏が外交官になりすまして応対。「何も問題は起きていない。通常通りだ」と述べたという。
スペインの全国紙エルパイスなど現地メディアは当初、その騒ぎ発覚後すぐに逃走したと報じていた。しかし、裁判所の資料では、同22日午後9時40分ごろ、犯行グループ10人のうち8人は、大使館の車3台を奪って逃走したという。ホン氏と残りの1人は配車アプリ「ウーバー」で予約したレンタカーを使って逃走したが、その際、ホン氏は何と「オズワルド・トランプ」との名前で事前登録していた。
10人は大使館からコンピューター2台やハードディスク・ドライブ2個、ペンドライブ数個、携帯電話1台を奪った後、4つのグループに分かれてスペインから脱出し、ポルトガルの首都リスボンに向かった。
主犯格のホン氏はリスボンから飛行機に乗り、翌2月23日に米ニュージャージー州のニューアーク国際空港に到着。その4日後の2月27日に米連邦捜査局(FBI)と接触し、事件の情報提供に加え、大使館で得たとされるオーディオ(視聴覚)資料を差し出したという。これに対し、北朝鮮は3月31日、FBIが関与していたとの「うわさ」を注視していると述べている。
スペインの予審判事はホン氏と韓国系アメリカ国籍のサム・リュウ氏の2人に対して国際逮捕状を出した。不法監禁、強盗、脅迫、窃盗など6つの罪を問うている。
声明では襲撃の正当性を主張
金正男氏はマレーシア・クアラルンプール空港で殺害された。
GettyImages
今回の犯行グループの目的として主に4つが考えられる。
1つ目として、スペインの捜査当局が指摘していることだが、2月末の米朝首脳会談に向け、2019年になってアメリカとの実務協議担当者として登場した、キム・ヒョクチョル氏に関する情報を得るためだ。キム氏は2017年9月までスペイン大使を務めていた。
しかし、北朝鮮によるたび重なる弾道ミサイルの発射や核実験に対し、国際世論の批判や反発が強まる中、スペイン外務省は当時のキム大使を国外退去処分とした。
2つ目の目的としては、裁判所の資料によると、今回の犯行グループの主な目的はユン氏を説得し、亡命させることだったという。しかし、ユン氏が説得に応じなかったため、暴行に及んだとみられる。
エルパイス紙の報道によると、スペイン警察は事件後、大使館のそばでホン氏が偽名を使って作ったイタリアの免許証を発見した。実は、北朝鮮のチョ・ソンギル駐イタリア代理大使夫妻が2018年11月に大使館から姿を消して行方不明となっているが、亡命したとみられている。スペイン捜査当局は、この事件にもホン氏が関与しているとみて、捜査を進めている。
「自由朝鮮」の前身として知られる亡命政府団体の「千里馬(チョンリマ)民防衛」は、2017年2月にマレーシアで金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏が殺害された後、正男氏の息子のハンソル氏とその母親、妹の3人をマカオから安全な場所に移動させたことで、一躍世界の耳目を集めた。
自由朝鮮は日本時間の3月27日朝、北朝鮮大使館襲撃事件への関与を認める声明の中で、今回の事件は「攻撃(アタック)」ではなく、「大使館に招かれた」と述べて、正当性を訴えている(自由朝鮮の主張が本当であるならば、ユン氏が亡命を考えてホン氏を招いたものの、土壇場で寝返って固辞した可能性がある)。
その声明で、「北朝鮮の現政権によって営まれている世界中の大使館は、国民の利益と国際的な規範に尽くすという合法的な政府による伝統的な外交、商業、文化の拠点とは違う」と主張。「北朝鮮の大使館が不法な麻薬取引や武器密売のハブのほか、グローバルなサイバー攻撃や窃盗、暗殺、誘拐の活動拠点になっている」と指摘している。
暗号解読のためにコンピューター奪取か
自由朝鮮の北朝鮮大使館襲撃の狙いは何か。暗号解読や首脳会談当事者の情報収集などが考えられている。
REUTERS/Alessandro Bianchi
3つ目の目的としては、暗号解読PCや通信機器を奪う狙いがあったと考えられる。韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使はブログで、今回の事件に関し、犯行グループが核心暗号プログラムの入ったコンピューターを盗んだ可能性があると主張した。
北朝鮮が3月中旬、ニューヨークにいる国連大使や、中国やロシアなど海外の自国大使を召還したのも、秘密電報文で指示できなかったために急きょ帰国させたと分析している。
北朝鮮の暗号解読PCや通信機器が自由朝鮮を通じ、FBIやCIAなどアメリカの情報当局の手に渡れば、過去の機密情報の解読や流出につながり、北朝鮮にとっては一大事だ。
太氏は「北朝鮮の外交官なら、大使館が襲撃されてもコンピューターは命をかけても阻止しなければならなかった。それを奪われたとすれば無事でないはず」と述べている。
このほかの犯行目的としては、自らの組織の存在を世界にアピールする狙いがあったとみられる。
エール大で恩師に感化
事件の主犯格で「自由朝鮮」を率いているエイドリアン・ホン・チャン氏は、米カリフォルニア州サンディエゴ出身の在米韓国人2世で、現在35歳。偶然にも、金正恩委員長と同じ年齢である。
エール大学のオンライン卒業者名簿録には、ホン氏が2005年の卒業で登録されている。
筆者がアメリカの知人を通じて、エール大のオンライン住所録で調べたところ、ホン氏は2005年にエール大学を卒業していた。学籍は「エイドリアン・ホン」の名前で登録され、卒業後の職業欄には「コンサルティング/マネジメント」と記入されている。「ホン」は父方の姓、「チャン」は母方の姓とみられている。
ホン氏はエール大学在学中の2004年3月、脱北者を支援し、北朝鮮人権運動を行う非政府組織(NGO)の「LiNK」(Liberty in North Korea=北朝鮮に自由を)を仲間とともに設立した。LiNKはこれまでに1000人以上の脱北を成功させてきた。朝鮮日報によると、当時、エール大学ではエリート脱北者の金賢植(キム・ヒョンシク)氏が教鞭をとっており、同氏に北朝鮮の人権問題などで感化されたという。
ただホン氏は2006年12月には、中国・瀋陽のアメリカ領事館に保護を求めた脱北者6人を、LiNKの仲間2人ともに支援している最中、中国の公安当局に拘禁され、国外追放された。
2009年には「ペガサスプロジェクト」という別のNGOを始めた。ペガサスとは、ギリシャ神話の有翼の天馬。自由朝鮮の前身となる「千里馬民防衛」の「千里馬」とは、翼を持ち1日に千里走るという朝鮮の伝説の馬だ。これらの名称からもホン氏の信条がうかがえる。
2009年には世界各国の革新家が名を連ねる「TEDシニアフェロー」にも選ばれ、その後は何度もTEDのイベントで登壇している。
脱北者、亡命者の支援呼びかけ
スペインの北朝鮮大使館事件の狙いとは。筆者はこの4つの可能性を「モーニングCROSS」で指摘した。
TOKYO MXテレビ「モーニングCROSS」=2019年4月5日
2011年にはアラブ首長国連邦(UAE)アブダビの新聞に「アラブの春は、北朝鮮にとってのドレスリハーサルになると考えている」と述べ、同年リビアに足を運んでいる。朝鮮日報によると、ホン氏は2011年頃、カダフィ大佐追放後のリビア暫定政府の樹立を手助けするため、米政府とコンサルティングの契約を結んだ。そして、同氏のコンサルティング業務にはしばしばCIAが絡んでいたという。
北朝鮮ニュース専門サイトのNKニュースによると、ホン氏は2015年にニューヨークに拠点を置くシンクタンクの「朝鮮インスティチュート」を開設。「北朝鮮の急速に差し迫る劇的な変化を踏まえて、政策的な調査企画を行う」組織だと公式サイトではうたわれている。
NKニュースは、この「朝鮮インスティチュート」のミッション声明が、「千里馬民防衛」のそれと似ていると指摘している。この朝鮮インスティチュートのサイトは3月29日に突如閉鎖された。
ホン氏は2011年12月に国際情勢などを扱う米フォーリン・ポリシー誌に「北朝鮮を自由にする方法 —— 平壌の犯罪政府を倒すときは今だ。その方法がこれだ」と題する論文を寄稿している。その中で、「大量の亡命は常に、革命と体制崩壊への先駆けとなる」と訴え、脱北者や亡命申請者の支援に国際社会が取り組むよう説いている。
そして北朝鮮国内で民衆が立ち上がり、国内での革命が可能と訴えている。
自由朝鮮を「自由戦士」とみるのか、あるいは、大使館さえも襲撃する単なる武装集団とみるのか。国際世論の今後の反応も注視される。
高橋 浩祐:国際ジャーナリスト。英国の軍事専門誌「ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー」東京特派員。ハフィントンポスト日本版編集長や日経CNBCコメンテーターを歴任。