道草の楽しさ、忘れてませんか?「不便だからこそいいことがある」を学問にした京大教授の話

かすれるナビ。

京都大学特定教授の川上浩司さんが発案した「かすれるナビ」の説明資料。

本人提供

スマホに質問すれば何でも答えてくれる。電子レンジを使った調理から自動車の車庫入れまで、難しいことは機械に任せておけば安心。そんな時代に、あえて「不便だからこそのいいこと=不便益」の大切さを訴え続ける学者がいる。システムデザイン論が専門の京都大学特定教授・川上浩司さんに、「不便益のススメ」のわけを尋ねた。

グーグルマップに頼り、道を間違えた記者

川上浩司さん。

「不便だからこそのいいこと=不便益」の大切さを訴え続ける川上さん。

撮影:庄司将晃

取材の待ち合わせは東京都心のJR新橋駅。まずは川上さんの写真撮影のため近くの公園に移動しようと、記者のスマホに入っているグーグルマップを頼りに出発した。

1、2分で着くはずが、なじみの薄い場所だったため歩き出す方角を誤り、数分のロス。川上さんに平謝りした。

思えば、いつのころからか時折こんな失敗をするようになった。

以前は時間に遅れないよう事前に地図をしっかり確認するのが当たり前だったし、初めての場所で大事な約束がある時は現地を下見することもあった。

今はスマホアプリが目的地へ案内してくれるので、そうした準備はほとんどしない。スタート直後はどの方向へ歩いているのか正確に分かりにくいこともあると分かってはいるのだが、それでもつい頼ってしまう。

スマホもケータイも持たない川上さんは、楽しそうにこう話した。

「出張で知らない街に行く時には、最寄り駅と目的地や宿泊先などの位置関係を地図で事前に調べます。そうすると頭の中にその街の『メンタルマップ』ができます。

スマホのナビがあると次に行くべき場所へ直行するのでしょうけど、ぶらぶらと現地を歩いているうちに、自分のきゅう覚を頼りにふらりと入った飲み屋さんがお気に入りの店になった経験もあります。

そうしたことを通じて『この街に行ったぞ』という実感を得られ、ただの出張が旅っぽくなるんです。プチ旅行、ですね」

3回通った道は見えなくなるナビ

素数ものさし。

「不便益デザイン」に取り組む京大生のアイデアから生まれた「素数ものさし」。目盛りは素数だけ。長さを測るには引き算などの手間がかかるが、数学的な思索が促されるうえ、脳トレにもなるかも?

提供:川上浩司さん

そんな川上さんが発案し、自身の研究室で試作してみたのが「かすれるナビ」だ。一度通った道が少しずつかすれていき、3回通ると真っ白になって見えなくなる。

ナビが便利なのは「正確で詳しい位置情報を確実に知らせてくれる」からだが、その便利さの一部をあえて欠けさせた。

このナビと、普通のナビを使って京都の街を散策した人たちに、実際に歩いた道沿いの風景の写真と違う場所の写真を見せ、「この風景を見たことがありますか」と尋ねる実験をした。すると、正解の割合は「かすれる」方を使った人たちの方が有意に高くなった。旅の思い出がよりはっきりと頭の中に残るわけだ。

ふつうのナビを使っていると「いつでも必要な情報を得られるので頭の中に入れる必要はない」という深層心理が働くのだろう、と川上さんはみる。

同じような発想で、回り道が新たな発見につながる「左折オンリー京都ツアー」を企画するなど、「不便益デザイン」を学生らと実際に形にしてみる活動を続けている。

バリアフリーにせず、あえて階段を配置したデイサービスセンター

高齢者と介護職員。

あえて「バリアフリー」にせず、日常生活をちょっとした訓練の場にすることで、身体能力の衰えを緩やかにする工夫をしている施設もある(写真はイメージです)。

Shutterstock

デザインした人が不便益という言葉を意識していなくても、川上さんが「認定」した不便益デザインの実例は全国各地にある。

例えば山口県のあるデイサービスセンターには、わざと階段や長い廊下が配置されている。あえて「バリアフリー」にせず、日常生活をちょっとした訓練の場にすることで、身体能力の衰えを緩やかにする工夫だ。

一連の「バリア」は、ベテラン作業療法士の「施設での過保護が利用者の依存性を高める」という知見に基づいてデザインされている。「手を貸してはならないギリギリ」を見切るスキルを身につけた職員たちが利用者をサポートし、事故を防いでいるという。

「足でこぐ車いす」という製品もある。楽に移動できる電動車いすに比べると大きな負荷がかかるが、片足が不自由な人の場合、両足をペダルに固定してこいでいると麻痺した方の足が引きずられる形で動き、リハビリにつながる。ユーザーは「自力で移動できる」喜びをより強く実感でき、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)の向上にもつながっているという。

便利さを全否定せず、「第3の価値」をもたらす不便益

電子レンジ。

私たちの身の回りには便利なアイテムがあふれている。レシピ通りの材料をそろえて電子レンジに入れ、ボタンを押せば自動で調理してくれるが、お仕着せの仕上がりにしかならない(写真はイメージです)。

Shutterstock

京大工学部から大学院工学研究科に進んだ川上さんは、「世の中を便利にすることが工学の使命だ」と考えるようになったという。機械の設計をAI(人工知能)で自動化する研究に取り組んだが、やがて「ブラックボックスのAIが何かを設計しても、それが何?全然おもしろくない」という思いが強まった。

そうこうするうちに、かつてAIについて教わった恩師が「不便益」を提唱し始めた。共感した川上さんはこれを研究のメーンテーマに据え、のめり込んでいく。以来、研究歴は20年ほど。『不便益のススメ』といった一般向けの著書も多く、全国の研究仲間とともに不便益に関する情報をウェブ上などで発信する「不便益システム研究所」の代表も務める。

不便益がなぜ重要なのか?川上さんはこう説明する。

「新しいモノ(あるいはコト)をデザインする時、ふつうは『より便利に』『より美しく』といったことが指針にされます。早い、軽い、安全といった『便利さ』が増すことによって使った時の価値(使用価値)は高まり、美しかったりかわいかったりすれば所有して得られる満足感で判断される価値(貴重価値)が高まる、とされています。

不便益は『回り道が新たな発見につながって楽しい』といった、使用価値でも貴重価値でもない第3の価値をもたらします。デザインにおいて不便益という視座が大切なのは、そのためです」

とはいえ今の世の中、不便さに対してはなから拒否反応を示す人も少なくないだろう。川上さんは最後にこう付け加えた。

「不便益は、便利さに囲まれた今の生活へのアンチテーゼでも、『昔は良かった』というノスタルジーでもありません。『不便だからこそ、いいことがある』という前向きな考え方なのです」

日々の仕事で、私生活で。何か新しいことを構想する時、「不便益」という視点を付け加えてみると、これまでにはなかった気づきを得られるかもしれない。

(文・庄司将晃)

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