それは三木谷浩史社長の「決断」から始まった。証券トップがいま明かす、楽天グループ金融事業「創世記」

楽天

楽天証券、楽天銀行を楽天カード傘下に置くなど、2019年4月1日に大規模な組織改編を行った楽天グループ。

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4月1日、次なる発展段階へと向かって、グループ間シナジーを最大化するための大きな組織改編を行った楽天グループ。

その中核となる金融事業は、実は銀行でもカードでもなく、証券への進出から始まった。舞台裏をよく知る楽天証券の楠雄治社長が、楽天グループ金融事業の「創世記」を隅から隅まで語ってくれた(聞き手は立教大学ビジネススクール・田中道昭教授)。

1980年代、人工知能を扱うエンジニアに

田中:ネット証券は、SBIホールディングスの北尾吉孝さんやマネックス証券の松本大さんのように、金融出身の創業者がトップを長く務めるケースが多い印象がありますが、楠さんとカブドットコム証券の齋藤正勝さんは異色のシステム系出身。キャリアはご自身で選ばれたのですか。

楠:そうです。ネット証券は堅固で安定的なシステムがあってこそ成り立つビジネスなので、まったくの畑違いという感じはありません。楽天証券とカブドットコム証券にはオペレーション重視という共通点があると思っていますが、そこはやはりシステム系出身者が経営しているからなんでしょう。

田中:システム系を選ばれたのには、何か理由があるのですか。例えば、学生時代にこんな経験をしたから、とか。

楠:学生時代(広島大学)はシステムも何も関係ない生活でしたね。NHK広島放送局で報道カメラマンのアシスタントに没頭し、授業にもほとんど出てなくて。おかげで大学生活はあっという間の「5年間」でした(笑)。

DEC コンピューター

米ディジタルイクイップメント社製のコンピューター(手前)。日本法人「日本ディジタルイクイップメント」が誕生した1982年、米ボストンで撮影。

(c) Spencer Grant/Boston Public Library via Digital Commonwealth

卒業後最初に就職したのが、日本ディジタルイクイップメント株式会社(現日本ヒューレット・パッカード株式会社)で、当時IBMに次ぐ世界第2位のコンピューター会社だったんです。人工知能(AI)を応用してシステム構築を行うナレッジエンジニアとして、主に金融機関向けのアプリケーションをつくっていました。

もう少し詳しく言うと、銀行間の資金移動に使われていたテレックスの構文解析を、パターンマッチングという手法でAIエンジンを改造しながら、1日1000件ほどこなしていました。1987、88年ごろのことですね。当時はコンピューティングパワーがまだ弱く、処理速度が遅かったので、そのうちC言語に書き換えたら一気に速くなって……人工知能の応用と言っても、まだまだそんな黎明期の話です。

1990年代前半、留学先のアメリカで見た景色

シカゴ大学 ブース

シカゴ大学ビジネススクールの「チャールズ・M・ハーパー・センター」。2004年竣工で、楠氏らの留学当時はなかった建物。著名な経営者や研究者を長きにわたって数多く輩出している。

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田中:実は、楠さんと私はほぼ同時期(1995年)にシカゴ大学ビジネススクール(ブース・スクール・オブ・ビジネス)に留学していたんです。インド人の現役戦略コンサルタントだったレレ教授の授業がお互いに最も印象的なクラスだったという共通点をもっていますね。私はレレ教授に憧れて、戦略コンサルタントと大学教授という今の仕事をやっています。

当時のデジタル環境については私もよく覚えています。勤務していた三菱銀行は、ストラクチャードファイナンスという最先端の部門でさえ、パソコンが各部署に2、3台しかなく、表計算ソフトはエクセルではなくロータス1-2-3を使っていました。海外とのやりとりはファックス中心、メールアドレスも部署単位。

ところが、派遣留学でシカゴ大学に行ったら、パソコンは1人1台、アカウントも付与されて、やりとりはすべてEメール、日本との違いに愕然としたものです。

楠:私はその前年の1994年、単身私費で留学しました。田中さんがシカゴ大学に来られた翌95年は、Netscapeが米ナスダック(NASDAQ)に上場してITブームに火がつき、マイクロソフトのWindows95が発売され、アメリカ経済はとにかく絶好調でした。

Windows95

1995年8月、マイクロソフト「Windows 95」英語版が発売開始。11月には日本でも発売され、パソコン普及のきっかけとなった。写真は発売当日(8月25日)、オーストラリアで店頭に押しかけた大勢の客。

Reuters

田中:留学後はコンサルティングファームのA.T.カーニーに入社され、そこから一転、DLJディレクトSFG証券に移られたとか。

DLJディレクトSFG証券……住友銀行(現三井住友銀行)と米大手投資銀行DLJ(グループの証券会社DLJディレクト)が共同出資して1999年に設立したネット証券。2003年11月に楽天が子会社化。翌2004年7月に楽天証券に名称変更。

楠:コンサルタントとしてIT系のプランニングを担当していました。でも、2年半ほど続けたあたりで、経営コンサルタントとして提案するところまでやって終わり、という仕事に物足りなくなってきたんですよね。

留学費用の不足分として借りていたお金もほぼ返済したし、これから先どうすべきかと考えつつ転職先を探していたところ、日本版「金融ビッグバン」の柱のひとつとして株式売買手数料が完全自由化されるのを背景に、日本でもネット証券が始まるらしいと。そんなときにDLJの人材募集が出ていたので、これは面白そうだと飛びついたわけです。

1999年の1月ごろだったか、面接に行ったところ、「それじゃ、楠くん明日から来てよ」と(笑)。こちらはA.T.カーニー在籍中だったので、「さすがに明日は無茶なんで、1カ月後なら」と。

ネット証券の誕生、興亡の舞台裏

楽天証券 楠雄治

楽天証券の楠雄治社長。元住友銀行取締役、楽天副社長を務めた國重惇史氏の後任として2006年に就任。

撮影:今村拓馬

田中:そのDLJが、のちに楽天傘下に入り、現在の楽天証券になったわけですね。

楠:はい。DLJディレクト証券の設立が1999年3月、その年の10月に株式売買手数料が自由化され、競合がどんどん参入してきました。設立当初こそ順調なすべり出しでしたが、2000年の前半にはITバブルが崩壊。その後、2002年ごろまでは低空飛行が続くのです。

そんな折、米DLJが同じ投資銀行のクレディ・スイス・ファースト・ボストン(CSFB)に買収され、親会社のDLJディレクトもCSFBディレクトに。しかし、クレディ・スイスグループはオンラインのリテール(個人・中小企業向けの小口)証券部門に必要性を感じなかったようで、CSFBディレクト(子会社であるDLJディレクトSFG証券の持ち分50%を含む)などを次々に売りに出しました。

2003年、売却話が出た際に手を挙げたのは、楽天を含めた4社。ビッド(入札)に最高額を入れたのは、六本木ヒルズに移転したばかりの楽天でした。

楽天・三木谷社長の「先見の明」

楽天 三木谷浩史

楽天の三木谷浩史会長兼社長。ロイターの単独インタビューに応じた2013年3月に撮影。この年、東京証券取引所第1部に市場変更した。

REUTERS/Issei Kato

田中:当時の楽天は、文字通り飛ぶ鳥を落とす勢いだったんでしょうね。

楠:DLJディレクトSFG証券の買収は、楽天がまさにM&Aによる拡大を本格化させていた時期で、直前の2003年9月にはマイトリップ・ネット(現楽天トラベル)を日立造船から買収。2005年6月には国内信販(楽天クレジット→楽天カードに吸収)も買収しました。

金融分野に進出するなら、証券よりまずは銀行ではないかと考えた人も当時は多かったと思いますが、そこは社長である三木谷(浩史)さんの将来を見据えた決断だったんでしょう。

実際、2003年5月のりそなショック(※)を機に、それまで長く低迷を続けていた株式市場は底を打ち、2008年9月のリーマン・ショックまで上昇基調が続くので、三木谷さんがDLJディレクトSFG証券を買った(2003年11月という)タイミングは結果としてベスト。決断は正しかった

2004年7月には看板を「楽天証券」に掛け替えて、買収から2年後にはものすごい収益を叩き出し、利益ベースで投資回収を済ませてしまいました。

りそなショック……2003年5月、経営不振のりそなホールディングスが1兆9600億円の公的資金注入を受け、実質国有化された。経営危機発覚後に同行の株価は暴落したものの、政府がりそな救済の姿勢を強く示したことなどから間もなく上昇に転じ、国内の景気も(小泉政権の構造改革や外資系企業の積極投資を背景に)軌を一にして回復局面に向かった。

田中:楽天証券はじめネット証券はその時期に一気に市場の中心に躍り出ていくわけですが、対面証券はどうしてその波に乗り切れなかったのでしょうか。

楠:対面証券はやはり既存の支店とのカニバリ(共食い)を恐れたんでしょうね。株式市場の上昇局面で口座開設数がどんどん増えていくなか、中途半端な手数料から脱却できず、思い切ったサービスもつくり込めない対面証券を尻目に、ネット証券は手数料を一気に引き下げ、「株取引ならネットだよね」という流れをつくり出すことに成功しました。

社長就任もシステムトラブルに苦慮する毎日

楽天証券 楠雄治

2009年10月、ロイター主催の「グローバル資産運用サミット」で講演したときの楠社長。就任から約3年、システムトラブルと増強投資を繰り返し、もがき苦しんでいた時期と思われる。

REUTERS/Kim Kyung-Hoon

田中:そうした競争を経て、いまやネット証券は楽天とSBIのほぼ二強と言っていい状況にあります。何が明暗を分けたんでしょうか。

楠:結局、手数料の安い2社が勝ったということだと思います。ネット証券は基本的にどこも同じようなサービスを提供しているので、投資する側が手数料の安い証券会社を選ぶのは当然ですよね。さらに言えば、楽天証券はグループ内で大きな会員基盤を抱えていることが大きい。SBIは早い段階で頭ひとつ抜け出したことで、ネット証券のトップブランドというイメージをつくり出したのが大きかったですね。

田中:そうやって2000年代前半からの好景気の波に乗って業績を伸ばした楽天証券の手綱を、ついに引き継ぐことに。

楠:楽天グループがどんどん大きくなっていくなかで、2006年春に、当時の社長から「次、お前やれよ」と言われ、その年の10月に私が社長を務めることになりました。

田中:経営者になるのは初めてだったわけですよね。すんなり馴染めましたか。

楠:実はもう大変で大変で……。先ほど話に出た株式市場の活況があまりにすごくて、システム増強が追いつかず、何度もシステムトラブルを起こしてしまいました。

前社長時代の2005年11月に金融庁から最初の行政処分を受け、すぐに立て直しを図るも不十分であるとして、私が社長になった後の2007年6月には再び行政処分。さらに2009年3月、データベースの不具合に起因するシステム障害で半日受注できない事態となり、1カ月間の業務停止命令を含む3度目の行政処分を受けました。

この時期はまさに障害と対策の追っかけっこ。事態を収拾しながら、一方で利益機会を逸しないためにと過剰なほどの投資をしたので、後始末にも苦しむことになります。

ホリエモン ニッポン放送

ニッポン放送の経営権取得を通じて放送事業への参入を目指したライブドアの堀江貴文社長(当時)。2005年3月撮影。翌年の1月、証券取引法違反容疑で逮捕。株式相場は大幅下落し、「ライブドアショック」と呼ばれた。

REUTERS/Issei Kato

2006年1月にライブドア・ショック(※)があって株式市場が暴落。多少盛り返すも、2008年9月のリーマン・ショックで再び大暴落。民主党政権成立後の不安定期を経て、2011年3月には東日本大震災と、株式市場が収縮を続けるなかで楽天証券の収益もどんどん悪化。赤字を避けるために、拡大期の過剰投資でついたぜい肉のようなコストを削ぎ落とす必要に迫られたわけです。

ライブドア・ショック……2006年1月16日、当時急成長を続けていた堀江貴文代表率いるライブドアを、東京地検特捜部が証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで強制捜査。翌日の東京株式市場は大幅下落、翌々日もライブドア株に大量の売り注文が入って全銘柄の取引が停止されるという大混乱に。堀江代表ら幹部は逮捕、ライブドアは同年4月に上場廃止。

それもこれも、2012年以降のアベノミクス景気で一気に株式市場が上向きになり、率直に言えば救われましたね。

「オペレーション重視の経営」にこだわる理由

株式市場 東日本大震災

2011年3月14日、フランクフルト証券取引所。東日本大震災発生による株価下落の行方を案じるトレーダーたち。投資関係者は常に相場環境の変化にさらされている。

REUTERS/Ralph Orlowski

田中:ネット証券の黎明期から、本当に幾度もの荒波を乗り越えてこられたのですね。ここまでの話をお聞きして、やはり証券会社にとって相場の影響は相当大きいということをあらためて感じました。

楠:本当にそうですね。相場環境は自分たちではコントロールできませんから、あらゆる状況に対してネット証券ができることは、ローコストオペレーションを徹底すること。損益分岐点を上回る部分はすべて利益になる構造がネット証券の強みです。

現在、東京証券取引所第1部の1日あたりの平均売買代金はここ10年間、2〜3兆円程度(大和総研調べ)で推移していますが、これが1兆円を下回ったとしても、少なくとも楽天証券は何とか黒字を保てるコスト体質です。実際に、アベノミクスが始まる直前の最も冷え切った相場でそういう水準の時期もありましたが、赤字は出さずに済みました。

証券の世界に入って幾度も辛酸を舐めた経験が教えてくれるのは、ネット証券はやはり安定的なシステムを土台にしたビジネスであり、オペレーション重視の経営が常に求められるということ。その意味で、エンジニアとしての経験と素養を背景に経営にあたれていることを、いまこの上ない幸運だと感じています。

(構成:川村力)


楠雄治(くすのき・ゆうじ):楽天証券代表取締役社長。1986年、日本デジタルイクイップメント(現日本ヒューレット・パッカード)入社。96年、シカゴ大学ビジネススクールMBA取得。同年、A.T.カーニー入社。99年、DLJディレクトSFG証券(現楽天証券)入社。2006年10月、代表取締役社長に就任。2014年1月、楽天株式会社常務執行役員に就任。

田中道昭(たなか・みちあき)立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授。シカゴ大学経営大学院MBA。専門は企業戦略&マーケティング戦略及びミッション・マネジメント&リーダーシップ。三菱東京UFJ銀行投資銀行部門調査役、シティバンク資産証券部トランザクター(バイスプレジデント)、バンクオブアメリカ証券会社ストラクチャードファイナンス部長(プリンシパル)、ABNアムロ証券会社オリジネーション本部長(マネージングディレクター)などを歴任し、現職。上場企業取締役や経営コンサルタントも務めている。主な著書に『アマゾンが描く2022 年の世界』『2022年の次世代自動車産業』など。2019年4月、『GAFA×BATH 米中メガテックの競争戦略』『アマゾン銀行が誕生する日 2025年の次世代金融シナリオ』の2冊を刊行。

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