売り上げ1兆円突破、アドビがサブスク化に成功した理由。幹部が語った「データ重視経営」の核心

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2018年のAdobe MAXで、アドビはCreative Cloud向け「Photoshop for iPad」を2019年に投入するとアナウンスした。

日本語で「フォトショする」と表現するのと同じように、英語でも「Photoshop」が動詞として成り立つくらい、写真編集ツールのスタンダードとしての地位を得ているのが、アドビのソフトウェア「Photoshop」だ。

従来の売り切り型のビジネスモデルから、サブスクリプション型(月額課金)ビジネスモデルへの大胆な移行が成功し、アドビの決算は好調だ。

10月から始まるアドビの会計年度で、2015年度に47億9600万ドルだった売り上げは、2016年度には58億5400万ドルに、2017年度には73億150万ドル、そして直近の2018年度には90億3000万ドルへと、年率20%を超える成長を続けている。創業36周年の歴史あるIT企業がこれだけの成長率を実現していることは驚異的と言っていい。

そのサブスクリプション型への移行をリードした、アドビ上級副社長 兼 デジタルメディア事業部門 事業本部長 ブライアン・ラムキン氏は、成功の秘密を、徹底的にデータに向き合う「データ重視経営」にあると説明した。

ソフトの世界で終焉を迎える「売り切り型」ビジネスモデル

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アドビのサンノゼオフィス。

Shutterstock

モバイルでの高速インターネットやスマホアプリの月額課金が日常的になった今では、冗談のように聞こえるかもしれないが、2010年代に入るまで、ソフトウェアは店頭やECサイトで数万円を支払って「箱で購入する」のが当たり前の光景だった。

実際、アドビも2011年以前は、クリエイターツールの「Photoshop」や「Illustrator」を単体、もしくはスイート(Adobe Creative Suite)と呼ばれる複数ツールをセットにした形でボックス売りし、これが同社のビジネスを支えていた。

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アドビのソフトウェアビジネスモデルは永続型ライセンスモデルからクラウドベースのサブスクリプション型へと変革してきた。

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ところが2011年、アドビはCreative Cloudと呼ばれるサブスクリプション型の「年間契約のライセンス形態」に移行することを発表した(日本では2012年4月23日より提供を開始)。

実際にはその後、Adobe Creative Suiteも併売されていたため、いきなりサブスクリプション型に完全移行したわけではない。

しかし、ここ数年の最新版はCreative Cloudのみで提供しており、現時点ではほぼ完全にCreative Cloudへの移行を実現したと言っていい。

「イノベーション」の速度が変わってきた

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アドビ上級副社長 兼 デジタルメディア事業部門 事業本部長 ブライアン・ラムキン氏。

なぜアドビはサブスクリプション型に移行したのか? その理由についてアドビ上級副社長 兼 デジタルメディア事業部門 事業本部長 ブライアン・ラムキン氏は、

「従来の永続型ライセンスでは、流通の関係などもあり18~24カ月に一度、新しいフラッグシップアプリを発売する開発サイクルになります。

(つまり)仮に新機能を開発して、ユーザーにいち早く提供したいと思っていても、そのサイクルに合わせてリリースする必要があった。当時はこのタイミングで良かったのですが、今はイノベーションのスピードが加速しており、それでは十分ではありません」

と説明する。

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iPad版Photoshopの操作イメージ。PC版の機能をほぼ完全再現する意気込みの作り込みは、サブスクリプション型ビジネスだから取り組める「資本投下」のたまものだ。

撮影:伊藤有

従来のボックス売りのビジネスモデルが18~24カ月という発売サイクルをとっていた背景には、コンピューター業界(ハードウェア)の新製品サイクルが大きく影響している。当時はパソコンも、有名な「ムーアの法則」(18~24カ月ごとに、1つの半導体に集積できるトランジスタ数が倍になるという経済原則)に従って18~24カ月に一度、最新モデルが登場していた。このサイクルでソフトウェアも含めてPC業界全体が回っており、これに沿って新製品を投入することは当たり前だった。

しかし、それもアドビがサブスクリプション型への移行を決めた2011年頃から大きく変わってきている。最大の要因はスマートフォンの隆盛だ。スマートフォンは一般消費者が利用する電話から、生産性を重視するオフィスワーカーやクリエイターも使うツールへと進化した。

スマートフォンではAppStoreでソフトウェアが提供され、早いところは日々、遅くとも月単位でアップデートがかかるのが当たり前だ。そうした中で、ボックス売りの18~24カ月アップデートを続けていれば、その勢いについて行くことができなくなる。イノベーションから取り残されるということになりかねない。

サブスク化には社内からも「多くの反対があった」

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2019年中にはPhotoshop for iPadを提供する計画。

だが、「この更新サイクルでは遅すぎる」というのは、今になったから言えることだ。

サブスクリプション型へ移行すると決めた当時には、ユーザー(顧客)に加え、従業員からも多くの反対にあったとラムキン氏は言う。

「誰にとっても変化を受け入れるのは難しい。毎日使っているツールが新しい形になるとしたら不満を感じるのは当然だろう。しかし同時に、実はその方々こそイノベーションを必要としていた。従って、我々はお客様に対してはこんなイノベーションができますとデモをし、コミットメントすることで理解を得ていった」

サブスクリプション型へ移行することで、ソフトウェアのバージョンアップは毎月、場合によってはもっと短いサイクルでできるようになった。この結果、ユーザーが新しい機能を利用できるようになるまでの期間が圧倒的に短くなった。

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アドビのマシンラーニングベースのAI「Adobe Sensei」はCreative Cloudのアプリケーションの自動化処理などに使われている。

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そしてCreative Cloudの名前からもわかるように、サービスの基本はクラウド経由で提供するようにしたため、モバイル(スマートフォン、タブレット)にアプリケーションを提供することも容易になった。

このため、アップルのiPhone/iPadとAndroid向けのモバイルアプリを提供し、外出先ではそれらのモバイルアプリを、自宅や会社に帰ってきたらPCのデスクトップアプリをという新しい使い方が提案できるようになった。

さらに2016年にはCreative CloudにクラウドベースのAIサービス「Adobe Sensei」を導入し、PhotoshopなどCreative Cloudのアプリケーションでの定型処理をAIが自動で行う機能なども実現した。いずれもサブスクリプション型へと移行したからこそ提供できるイノベーションだ。

この決断が正しかったことはユーザー数からも明らかだ。売り切り型の時代、ユーザー数は数百万の規模だったが、今や数千万の規模へと「桁が1つ上がった」とラムキン氏は説明する。

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現在エンタープライズでもCreative Cloudの契約数は増える一方。ここであげられた業界のトップ10企業の一角には、アドビが食い込んでいる。

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Experience Cloudで「従業員の評価手法」を変えるビジネス

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3月に行われたAdobe Summitで講演するアドビCEOのシャンタヌ・ナラヤン氏。

実はこのユーザー数の大幅な増加こそが、アドビの社内、つまり従業員がCreative Cloudへの移行を支持するようになる鍵だったという。

従来の永続型ライセンスの場合には、売り上げのほとんどは新バージョンの投入時に集中する。そこに大きな山があり、そこから徐々に減っていき、次期バージョン発売時のアップグレードクーポンのバンドルで最後に少し盛り上がって終了する。これが基本的な販売サイクルだ。

この場合のKPI(Key Performance Indicator、企業などで従業員やチームが実現すべき目標となる数値のこと)に関して「従来は“アップグレード率”と“永続ライセンスの売り上げ”だけがKPIだった」とラムキン氏。

しかし、サブスクリプション型に移行すると、そのKPIは利用できない。サブスクリプション型では契約期間中であれば無償でアップグレードできるし、永続ライセンスはなくなるので、その売り上げという数値もなくなるからだ。

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Adobe Experience Cloudでアドビが提唱しているデータ・ドリブン・オペレーティング・モデル(DDOM)。

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「ユーザーに接触するポイントすべてにKPIを設定できるDDOM(Data-Driven Operating Model)という考え方を導入した(データ重視型の評価指標に切り替えた)。

Creative Cloudに興味を持ってアドビのウェブサイトを訪問するユーザーがどこから来るのか。体験版をダウンロードしたユーザー数、その体験版から有料プランへ移行したユーザーは何パーセントなのか。もちろん、契約中のユーザーが更新した割合は何パーセントなのかなどにもKPIを設定している」(ラムキン氏)

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Adobe Summit 2019でのデモ、従業員の端末でこうした数字が一目瞭然に確認できる。

アドビがこうしたシステムを実現できている背景には、アドビが提供するデジタルマーケティング支援ツール「Adobe Experience Cloud」を自社でも使っているという背景がある。

ラムキン氏が言うDDOMは、アドビCEOのシャンタヌ・ナラヤン氏が、3月末に行われたAdobe Summitでも多くの時間を割いて説明した、Adobe Experience Cloudの最も基本となる部分だ。データドリブン型の経営が今、アドビだけでなく多くの企業で注目されている。

このAdobe Experience CloudのDDOMを自社経営にも適用していくことで、CEOやラムキン氏のような経営幹部だけでなく、現場の担当者レベルでも、現在会社でどのようなことが起きているのか数字で一目瞭然となる。

アドビはAdobe Experience CloudをテーマにしたAdobe Summitにおいて、「企業のデジタルトランスフォーメーション」を盛んに訴えている(Adobe Summitではデジタルトランスフォーメーションで蘇った企業として米家電量販大手のベストバイのCEOなどが登壇した)。

興味深いのは、デジタルトランスフォーメーションの推進者であるアドビ自身が、(Creative Cloudのビジネスを通じて)その最大の恩恵を受けている1社だということ。そして、いまなおこの方針がアドビの快進撃を支えているのだ。

Microsoftもアドビに追随、今後も快進撃は続くか

ソフトウェアビジネスのサブスクリプション化をアドビが成功させたことは、確実に他のソフトウェアベンダーにも大きな影響を与えている。

最も有名なところでは、マイクロソフトが導入した月額課金型の「Office 365」がその代表例だろう。Microsoft Officeもボックス・ソフトウェアの代表格だったが、今では世界中で多くの企業がOffice 365への移行を決めている。

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ARコンテンツを非エンジニアでも手軽に作れるツールProject Aeroも、2019年に投入される予定だ。

アドビも、Creative Cloudの成功をさらに次につなげるべく、新しいイノベーションの投入を矢継ぎ早に行っている。2017年はクラウド型の写真ツール「Lightroom CC」を、2018年はより幅広いユーザーに使える動画編集ツール「Premiere Rush」を、そして2019年には「Photoshop CC for iPad」やARを簡単に作れる「Project Aero」「Project Gemini」の投入を控えている。

ラムキン氏によると、サブスクリプション型、データ重視の経営とビジネスモデルへの転換を図ったことで、アドビの社内も物理的に変わっていったという。

「我々のオフィスに来ていただければわかるが、従来はクローズ型のオフィスだったのが今はオープン型になっている。また、前は“週に一回”堅苦しい会議をやっていたものだが、今は立ち話で毎日できるようになっている。それらすべてが従業員の職場体験を大きく変えることにつながっており、今は続々と次世代型のエンジニア、新しいタイプの製品マネージャ、クリエイターなどが入社してくれている」

今やアドビの従業員の意識も変わり、新世代の従業員も続々と増えているという。

「箱(の在庫を置く場所)はいらなくなったので、オフィスのスペースにはまだまだ余裕があるんだ」とラムキン氏は冗談めかして語った。アドビのビジネス転換はオフィスの様子も変えた —— 今回のまとめとして相応しい、「オチ」なのかもしれない。

(文、写真・笠原一輝)

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