「台湾のトランプ」の野望 ──ホンハイ・郭会長が総統選に出馬へ。選挙は“視界ゼロ”の大波乱

郭台銘ホンハイ会長

REUTERS/Aly Song

「iPhoneをつくった男が台湾総統選へ ── 女神のお告げ」

ニューヨークタイムズ(4月17日付電子版)の見出しである。

その「男」とは鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)会長(68)。シャープを買収した「台湾企業トップ」と言ったほうが通りはいいだろう。台湾の町工場を、世界で従業員125万人を超える巨大企業に育てた男。そのワンマン経営スタイルから「台湾のトランプ」とも呼ばれる彼の出馬表明で、総統選挙情勢は“視界ゼロ”の大波乱に陥っている。

台湾一の個人資産

ホンハイ工場

世界一の電子機器の受託生産企業となった鴻海精密工業。

REUTERS/Tyrone Siu/File Photo TPX IMAGES OF THE DAY

出馬報道を見て「やっぱりね」と思った台湾人は少なくない。トランプ氏が2016年11月に米大統領選で勝利すると、郭氏は総統選出馬に意欲を漏らしたと言われていたからだ。

彼はトランプ氏が大統領に当選後に、アメリカの液晶パネル工場への投資計画を発表。その後、ホワイトハウスでトランプ氏と面談し、2019年2月にウィスコンシン州で行われた工場起工式では、トランプ大統領が自ら「鍬入れ式」に参加した。

トランプ氏だけでなく中国トップの習近平・国家主席とも30年来の「親交」があるという郭台銘とは、いったいどんな人物か。

彼は1950年、警察官の父のもと、台北市郊外で生まれた。大学卒業後の1974年、母親から借りた10万新台湾元(36万円)を元手に、従業員10人のプラスチック部品工場を立ち上げた。中国の改革開放政策が進む1988年には、深センに中国大陸初の工場を開設、これが鴻海グループの基礎になった。

鴻海の主力業務は、スマートフォンや薄型テレビなど電子機器の受託生産。こうした生産受託をするEMS企業としては世界最大手であり、グループには群創光電やシャープなどを抱える。台湾に本社を置くグループの売上高は15兆円とも言われる。

鴻海の名前を一躍世に知らしめたのがiPhoneの生産受注だ。日本製品ではソニーや任天堂、ソフトバンクのものも手掛け、孫正義氏とも親交がある。台湾企業のトップといっても、今は活動の中心を深センに置き、シャープはじめ世界の傘下企業に指令を出す毎日だ。

米誌フォーブスの最新調査では、個人資産は73億ドル(約8170億円)と台湾ではトップで、世界でも257位。

トランプ氏同様、「郭会長の命令は絶対」というワンマン経営。決断は速いが、次々と前言を翻す独善ぶりには反発も根強い。出馬に伴い、「経営の一線を退く」と話している。

蔡支持低迷、内紛収まらず

台湾総統蔡英文

支持率が低迷し、党内からも再選に疑問符がついている蔡総統。

Getty Images/Ashley Pon

出馬理由は、低迷する経済の立て直しと対中関係の改善だと報じられている。

ニューヨークタイムズが見出しにした「女神のお告げ」について郭氏はこう話している。

「(航海の安全を守る女神)『媽祖』は私に、苦しんでいる庶民、特に若者のために良いことをしなさいと告げられた」

「神頼み」の奇妙な光景に映るかもしれない。しかし台湾の選挙では、候補者が「媽祖詣」をするのが習わしで、決して奇異なことではない。

総統選挙は2020年1月11日に投開票が行われるが、郭氏の出馬表明で混迷続きの選挙情勢は全く先が読めない状況に陥っている。

台湾総統は、2000年の陳水扁(民進党)、2008年の馬英九(国民党)政権とも2期8年が通例。だから前回2016年選挙で当選した蔡英文総統(民進党)も、再選を目指すのは当然のはずだった。

ところが2018年11月の統一地方選で民進党が惨敗し、蔡氏は民進党主席を辞任。支持率も30%前後に低迷し、民進党内から候補辞退を求める声が上がった。

4月末に行われる予定だった党内の予備選挙には、蔡氏と頼清徳・前行政院長の2人が出馬。しかし世論調査方式で行われる予備選挙をやれば、頼氏が勝つ可能性が高い。そこで民進党は「党分裂を避けるため」予備選を5月下旬まで延期した。「蔡延命」を図ろうとする決定に党内からは強い反発が起き、内紛が収まる見通しは立たない。

焦点は高雄市長の進退

台湾夜市

台湾の若者たちは、指導者として誰を選ぶのだろうか。

REUTERS/Tyrone Siu

政権与党の内紛は、国民党に政権奪回のチャンスを与えるはずだった。

国民党予備選挙(6月末)には朱立倫・前新北市長と王金平・元立法院長が名乗りを上げたが、2018年の選挙で高雄市長の座を民進党から奪った韓国瑜市長の人気は断トツ。韓氏は中国訪問に続き、4月にはアメリカも訪れ出馬準備を着々と進めていた。

そこに降ってわいたのが郭氏の出馬。有権者はどうみているのだろう。Facebookのグループ「爆料公社」が「模擬総統選」(約32万人参加)を行ったところ、郭氏支持は47%に対し、不支持は53%とほぼ拮抗。また、ある大学が行った「国民党候補に誰がふさわしいか」の世論調査では、韓支持29.8%に対し郭支持は29%。郭氏は若者の人気は必ずしも高くない。

総統選挙には、無党派でミレニアル世代に絶大な支持のある柯文哲・台北市長の出馬が確実視される。同大学が行った郭、柯、蔡の「三択調査」では、郭が35・6%、次いで柯の25・2%、蔡は20・2%という結果になった。今後は韓国瑜・高雄市長の進退をはじめ、国民党候補の離合集散が加速するだろう。情勢がさらに二転、三転する可能性もあり、行方は混とんとしている。

米中ハイテク戦争への影響

トランプと習近平

郭氏の出馬は米中貿易戦争などにどんな影響を与えるのだろうか。

REUTERS/Jonathan Ernst

出馬の影響は総統選挙にとどまらない。

郭氏の厚い対中コネクションを考えれば、米中関係にも波紋を広げるだろう。鴻海グループの売り上げの多くは中国での生産によるもので、資産の大半は中国にある。郭氏が「第一線」を退いても、グループへの発言力が失われるとは考えにくい。トランプ氏にも言えるが、私企業の利益と台湾の利益が「相反」しないだろうか。

一例を挙げる。中国は出遅れている半導体などハイテク産業の育成を急いでおり、郭氏もそれに協力すると公言している。一方、蔡政権は安全保障上の理由から、半導体を含む先端技術の中国移転を禁止している。「経済立て直しと対中関係の改善」を出馬理由にする郭氏が総統になれば、技術移転の禁止を見直すかもしれない。そうなれば、台湾の「後ろ盾」のアメリカも黙ってはいないだろう。

中国共産党は2018年、外資企業にも共産党支部の設立を義務付ける「条例」を成立させた。鴻海グループ傘下の工場では2001年にすでに党支部が設立され、台湾情報当局も関心を寄せてきた。郭氏の中国との距離感がわかる話だ。

鴻海グループは中国、日本、韓国、台湾からの部品を組み立てを担い、iPhoneを生産、それをアメリカや日本市場で売って成長してきた。世界的なサプライチェーン(部品供給網)を発展させてきた“申し子”でもある。米中「ハイテク冷戦」は、安全保障と経済が交差するステージでの争いでもある。

中国大陸に多くの生産拠点を持つ台湾IT企業は今、米中対立のあおりを受け台湾に生産拠点を戻しつつある。米中のバランスの中で生存空間を模索してきた台湾にとっては新たな試練だ。

郭氏の政界挑戦に対する有権者の判断は、その試練への回答にもなる。

岡田充(おかだ・たかし):共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。

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