コツコツと資産を積み上げていく「積立投資」は、若い世代にとって資産形成・資産防衛の支えになるだろう。
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若い世代は仕事の“伸びしろ”も大きい。一番大事なのは本業の仕事で「稼ぐ力」を高めることだ。
しかし、前回に述べたような社会情勢の変化を考えると、「積立投資」の併用が資産形成・資産防衛の支えになるだろう。
株は長期的に見れば値上がりが期待できる
以前は株も投信も「怖いもの」だったが、最近は個人が長期的な資産形成を始める環境が整ってきた。
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よく「株や投資信託は怖い」という声を聞く。確かに、以前は株も投信も怖いものだったが、最近は個人が長期的な資産形成を始める環境が整ってきた。
日本の株式市場はバブルの清算を終え、アメリカなど海外の株や投信も購入しやすくなってきた。金融行政・金融業界も個人の資産形成を後押しする方向に舵を切った。
さらに、若い世代は老後まで数十年という時間がある。これが最大の武器だ。
「時間を味方につける」とはどういう意味か。
そもそも株式というのは(株式を組み入れている多くの投資信託も同様)、短期的には値上がりと値下がりを繰り返すが、長期では値上がりが期待できる。なぜなら、株式の適正価格(理論価格)は(1)自己資本(資本金や過去に稼いだ利益の蓄積など)と(2)将来の予想収益(現在価値に換算)の合計で決まるからだ【図表1】。
【図表1】
一般に企業は稼いだ利益の一部を自己資本に加算する。赤字が続かない限り長期的には自己資本が増えるので、株価も上昇するということだ。
大もうけは放棄しつつ大損は避ける
1990年代の東京証券取引所。当時は手のサインで売買注文を伝える「場立ち」が活躍し、売買の活発さは目で見て分かった。
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それでも日本では「株は上がらない」というイメージが強いのはなぜか。
最大の原因はバブルだ。1980年代のバブル期は株価が適正価格より高くなりすぎたため(ピーク時は適正価格の4倍くらい)、その調整に20年近くかかった。この20年間は株価が少し上がるとすぐに下がることを繰り返したため、「株は上がらない」というイメージを植え付けられたのだろう。
しかし、2010年ごろにようやく調整を完了すると、その後のアベノミクスや世界的な景気回復による企業業績の改善を受けて、適正価格も実際の株価も上昇した。
【図表2】
その様子を示したのが【図表2】だ。日経平均ベースの自己資本は趨勢(すうせい)的に増えたことが分かる。
これが株価の下値メドとなり、2000年代初めのITバブル崩壊後の世界同時株安、2008年のリーマン・ショック、その後の株価急落時もおおむね自己資本に見合う水準で下げ止まった。株価が自己資本に見合う水準まで下落すると、それ以上は株を売る投資家が減るからだ。
実際、日本株も米国株もリーマン・ショック前の水準をとっくに回復している。
今後も景気の良し悪しや政治不安などで株価が乱高下する場面はあるだろうし、バブルもいつか起きるだろう。
「時間を味方につける」とは、こうした一時的な株価乱高下の影響をならすことだ。
言い換えれば、「バブルに踊ることもなければ、バブル崩壊を悲観することもしない」。「毎月1万円」など定期的にコツコツと投資する積立投資は、大もうけを放棄すると同時に大損も避けつつ、企業本来の「長期的な価値創造」の一部を利益として享受することに他ならない。
海外で稼ぐようになった日本企業
中国にある日系自動車部品工場。日本企業の多くは欧米にとどまらず、アジアやアフリカなどの新興国も含む海外で稼ぐようになった。
REUTERS/Aly Song
ところで、日本の人口減少と高齢化が確実視される中で、なぜ日経平均が値上がりすると考えて良いのか不思議に思った読者もいるだろう。セミナー等でも同様の質問をよく受ける。最後にその質問に答えよう。
まず、日本企業の多くは海外で稼ぐようになった。欧米などの先進国にとどまらず、アジアやアフリカなど新興国への進出も目覚ましい。
日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、日本企業の海外売上高比率は2000年度に3割に満たなかったが、2017年度には6割程度に増えた。海外で稼いでいるのだから、国内の人口減少を理由に日本株市場の先行きを悲観するのは大間違いだ。
もう一つ、日経平均の採用銘柄が定期的に入れ替わることも重要なポイントだ。
日本経済新聞社が“各業種の代表選手”として採用銘柄を選ぶときに、株式市場で活発に取引されているかが重視される。その結果、衰退企業は自動的に日経平均から除外され、代わりに人気銘柄が補充される。
定期的なメンテナンスによってクオリティが維持される仕組みも、日経平均の長期的な上昇を支えている。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
井出真吾:東京工業大学卒業後、日本生命保険に入社。1999年からニッセイ基礎研究所に出向、2015年から現職。