我々は「中国の経常収支がドル高を容認しない」世界に立っている——。そう考えることもできるのではないか?
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あまり話題にはなっていないが、国際通貨基金(IMF)は2019年4月に発表した春季世界経済見通し(WEO:World Economic Outlook)の中で、中国の経常収支が2022年には66億ドルの赤字になると予想している【図表1】。
金融危機発生から10年あまりで、一時は世界最大だった黒字が完全になくなってしまうという変化の大きさには驚きを覚える。
【図表1】
「世界最大の黒字国」から一転か
アメリカのトランプ政権は中国の対米貿易黒字を目の敵にしている。しかし、貿易収支を含む中国の経常収支は、今や赤字化を展望するに至っている。
REUTERS/Kevin Lamarque
同期間に一貫して高水準の黒字を維持し、世界最大の経常黒字国としての地位を確立したドイツとは対照的である。アメリカのトランプ政権は通商政策上、中国を目の敵にしているが、これは貿易黒字(正確には対米黒字)の大きさを捉えたものである。
しかし、貿易収支を含むより幅広な概念である中国の経常収支は黒字が激減しており、今や赤字化を展望するに至っているというのが現状なのである。
【図表2】
中国の経常黒字がはっきりと減少し始めたのは2016年後半以降だ。背景には、貿易収支の黒字が頭打ちになる一方、サービス収支の赤字が着実に増えてきたという構図がある【図表2】。
こうした流れの中、2018年は1~3月期の経常収支が341億ドルの赤字となり、2001年4~6月期以来の赤字を記録したことが話題となった。2011年以降、サービス収支赤字がじわじわ増えている一方、例年1~3月期は春節(旧正月。中国の企業は一斉に長い休みに入る)の影響で貿易黒字が縮小するため、遂に前者が後者を超える規模に至ったのである。
「爆買い」は衰えても、少子高齢化で食い潰される貯蓄
中国人旅行客が多く訪れる東京・銀座の免税店。中国の経常収支にも影響する「爆買い」は近年、衰えが指摘されている。
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しかし、こうした動きが常態化し、暦年ベースでも経常赤字に転落するという予想はまだ主流ではない。「中国の経常黒字が激減している」という事実すらそれほど認識されていないだろう。それだけに、今回のIMF予測で暦年赤字の予測が示されたことに驚く向きもあるかもしれない。
サービス収支は輸送収支・旅行収支・その他サービス収支の3つから成る。周知の通り、中国のサービス収支赤字は旅行者が滞在先で取得した財貨・サービスの取引を反映する旅行収支の赤字に起因している。裕福になった中国人が頻繁に海外旅行に出かけるようになり、旅行先で旺盛な消費行動を取るようになった、いわゆる「爆買い」の結果である。
チャイナ・ショック(2015年8月)を経て外貨流出に神経をとがらせるようになったこと、人民元の騰勢がかつてほどではなくなったこと、そもそも欲しいものがもうなくなったことなど様々な要因を背景として、「爆買い」自体は近年衰えが指摘されている。だが、依然としてサービス収支赤字の存在が経常収支の全体感を規定するほどの規模になっているのは事実である。
中国の国内税制の影響を踏まえれば、輸入するのではなく海外旅行先で直接購入した方が安価で済むという財が多く存在することがその一因と言われてきた(もっとも、こうした転売目的の輸入も中国では規制されつつある)。
より構造的かつ長期的な視座に立ち、貯蓄・投資(IS)バランスから中国の経常黒字縮小を解釈することも可能である。理論上、経常収支はISバランス(貯蓄-投資)の結果であるため、貯蓄を食い潰しやすい少子高齢化という人口動態の最中にある国では、経常収支が赤字化に向かうことが想定される。
過去10年余りに関して中国の貯蓄率および投資率の推移を見ると、リーマン・ショック後に投資率が急騰する一方、貯蓄率は徐々に低下し、その結果として経常黒字が急縮小してきたという経緯がある。
これは危機対応として大型投資が実行されたものの、その後に続く有効な需要が乏しかった事実を示している。過剰な投資によって過剰な供給能力(設備や雇用)を生んでしまった、という言い方でも良い。IMF予想に従えば、今後、投資率は低下に向かうが、人口動態に応じた貯蓄率がより早いペースで低下することで経常収支の黒字も圧縮される見通しだ。
経常赤字がチャイナ・ショック再来の引き金に?
「チャイナ・ショック」が起きた2015年8月、北京の街中で人民元紙幣を握りしめる人。中国は制御不能な資本流出に見舞われた。
REUTERS/Jason Lee
中国政府が最も警戒する事態は、2015年8月以降に経験したような制御不能な資本流出と、それに伴う(人民元相場を含めた)国内資産価格の大幅な下落である。その意味で、経常収支と同時に金融収支(≒証券投資+直接投資+その他投資)の状況にも注意を払う必要がある。
人民元相場の安定(暴落回避)という観点からは、経常収支と金融収支(および誤差脱漏)の合計【図表3】としての資本フローが一方的な流出に転じないように配慮しながら政策を運営することが求められるからである。
【図表3】
近年の中国では海外への資本流出を取り締まる一方、国内への資本流入を促すような政策が展開されている。
例えば前者については、個人ないし機関投資家に対する投資規制が実施される一方、後者については国内株価指数を主要なベンチマーク(MSCI)へ組み入れることで株式市場への海外投資家参入を促す施策などが見られる。対内投資は株式に関するものだけではなく、特定産業(自動車や金融業など)への外国資本に対する出資比率上限の引き上げなどを通じて直接投資を呼び込む努力も見られる。
だが、IMFの予想通り、経常収支の黒字が失われ断続的に赤字に陥るような事態となれば、資本フローの仕上がりはその分、純流出に傾きやすくなる。
主従関係としては、金融収支における資本フローが「主」、人民元相場の動きが「従」であると考えるのが普通だ。しかし、人民元相場には政策当局の管理(意図)がある分、「実勢相場」と「市場が正しいと思う水準」の間に齟齬が生じやすい側面がある。場合によっては人民元相場が「主」で、資本フローの動きが「従」となるケースもあるだろう。
つまり、人民元相場が「何らかの理由」で軟調地合いとなった場合、これを見て金融収支が流出超となる事態も考えられるということだ。
中国リスクを増幅しかねないドル高は容認されない
2015年8月25日、香港の街頭にある株価ボードは、チャイナ・ショックを受けた株価急落を示していた。
REUTERS/Bobby Yip
チャイナ・ショック時は、その「何らかの理由」が人民元相場の基準値計算方法の変更だった。現在では米中貿易戦争を巡る懸念が「何らかの理由」に相当し、人民元相場を押し下げる場面はよく見られている。
今後、中国の経常収支の赤字が散発するとなれば、それ自体が人民元安を正当化する真っ当な理由になるので、「経常赤字→元安→資本流出→元安」というループにはまる恐れも出てくる。それが2015年8月ほどの震度に至るかどうかはさておき、金融市場にとっては大きなリスクイベントである。
元売りを誘発する「何らかの理由」は、中国に直接関係のない論点ということもあり得る。とりわけ、米連邦準備制度理事会(FRB)が再び強気姿勢を取り戻し、利上げ路線に復帰するなどという展開は注意を要する。
2015年8月のチャイナ・ショックの根底には「ドル高についていけなくなった人民元」という構図があった。ドル相場見通しを展望する際、どうしてもアメリカの経済・金融情勢に目が奪われがちだが、中国の経常収支やこれに付随する通貨政策の実情を踏まえると、継続的なドル高を予想するのはやはり無理があるというのが筆者の基本認識である。
中国の経常赤字が「資本流出→元安」という懸念を呼び込みやすい実情を踏まえると、ドル高はその懸念を増幅させてしまう可能性があるだろう。
過去の本欄『新興国の債務膨張、「ドル化した世界」が阻む円安』では、「ドル化する世界」がドル高を容認できないのではないかという指摘を行った。これと類似の論点として、我々は「中国の経常収支がドル高を容認しない」という世界に立っている、と考えることもできるのではないか。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔:慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)国際為替部でチーフマーケット・エコノミストを務める。