令和時代に「サラリーマン経営者」はいらない。粉飾会計横行した平成を乗り越えて

粉飾——。金融分野にさほど興味をもっていない方でも、平成の世を通じて、この言葉が何度となく新聞やテレビニュースで繰り返されたことは覚えておられるだろう。

企業が破たんする過程では粉飾決算、不正会計が行われることが多い。だからこそ、時代を問わず何度も同じようなことが繰り返されてきた。

しかし、平成期に露呈した不正会計には独特の特徴があった。以下、これを「構造的な要因」と「悪弊」とに分けて整理してみよう。

いつの世も繰り返される「飛ばし」

山一證券

1997年11月、2600億円超の「飛ばし」による債務隠しが発覚した結果、廃業を決めた山一證券。東京証券取引所で記者会見した野澤正平社長(当時、中央でペーパーを読んでいる人物)。

REUTERS

平成前半を代表する会計不正は「飛ばし」である。

山一証券の破たん(1997年)、ヤクルト本社巨額損失事件(1998年)やオリンパス事件(2011年)が有名だが、問題化に至らないまでも何らかのかたちで手を染めた企業はそれなりにあったのではないか。飛ばしの大まかな流れはこうだ。

  1. 会計処理を担う財務部門が自ら投機(財テク)を行って利益を上げていたものが、バブル崩壊によって巨額の含み損を抱える。なおこの時点で、投資商品を持ち込んだ側の証券会社などが違法な損失補てんに応じた場合は、そちらに問題が移転する
  2. 含み損を抱えた投資商品を特別目的会社(SPC)などの別主体に移転。企業グループ全体の資金収支状況を把握するための「連結会計」が導入されたのは1996(平成8)年で、かつ導入後も時価会計に対する意識が低かったことが、含み損の移し替えのような操作を容易にした
  3. 証券会社などは典型的に、為替や株価がらみのデリバティブ(金融派生商品)や仕組債(デリバティブを組み込んだ一般債権)と融資を両建てで提供する。市場の読みが思惑どおりとなって、投資利益で損失を解消するのが狙い。2、3の操作が「飛ばし」と呼ばれる
  4. ただし、思惑どおりに利益を得られることは稀で、むしろ損失が膨らんで新たな飛ばしが必要となり、仕組みがどんどん複雑化・長期化していくことのほうが多い
  5. これらは完全に簿外の取り引きなので、限られた担当者同士で秘密裏に引き継がれる。しかし何らかのきっかけで露呈した場合、巨額の損失処理が必要となり、企業の経営に大きな影響を及ぼす

企業が有望な投資先を見出せないまま余剰資金を抱える「金余り」の状況は、最近のほうが深刻化している。余剰資金の運用を名目として、企業が「財テク」に走りたくなる誘惑は、いまのほうが強いということは指摘しておきたい。

最近は会計基準の厳格化で「飛ばし」をすることは技術的に難しくなったものの、損が出れば飛ばしたくなるのは人の常、ということは心しておかねばならない。

投資家の「過大な期待」が経営者を振り回す

ライブドア 堀江貴文

ニッポン放送の経営権取得を通じて放送事業への参入を目指したライブドアの堀江貴文社長(当時)。2005年3月撮影。翌年の1月、証券取引法違反容疑で逮捕。

REUTERS/Issei Kato

金余りの状況下では、あらゆる市場参加者が「成長ストーリー」に飢えている。また、機関投資家のマネジャーの多くはサラリーマンだから、とりわけ企業内部で通りやすいストーリーに多くの投資家が殺到する現象が起こりやすくなる。

結果として、IT企業など新興企業の株価には、投資家の過大な期待が織り込まれがちだ。このことは、企業経営者からすると、公募増資をすれば簡単に資金調達ができることを意味する。一方で、調達したお金を投資家の期待に沿う利回りで運用するだけの事業展開は容易ではない。

それゆえ、堀江貴文氏が率いたライブドアの粉飾にみられるように、証券市場で自社をマネーゲームの素材に使う新しいタイプの粉飾が登場した。

たとえば、ライブドアは増資で集めたお金を事実上支配下にあるファンドに投資して自社株を買っておき、取引単位を細分化して小口投資家を呼び込んだり、派手な合併と買収(M&A)をやったりして株価を吊り上げ、(ファンド保有自社株の)値上がり益を自社の投資収益とすることで「利益」を捏造したのだった。

昭和の創業者が去り、サラリーマントップが登場

東芝

2015年8月、不正会計問題を受け報道陣の前で頭を下げる東芝の室町正志社長(当時)。

REUTERS/Issei Kato

平成は、大企業を牽引してきた昭和の創業者がほぼ全員引退し、トップがサラリーマン化した時代だった。

創業者にとっての「階段」は会社の成長だが、サラリーマントップにとってのそれは自らの昇進である。

そのため、危機に追い込まれた会社が債権者や投資家を欺くために行うような、古典的な粉飾会計は少なくなり、代わりに、サラリーマン経営者が社内的な地位を維持したり、古い企業が過去の栄光を維持したりするための粉飾が数多く出現した。

例えば、東芝やカネボウのように当初は何の問題もなかった会社が、(転売や相互発注を繰り返す)循環取引のような売り上げを水増しするタイプの粉飾に手を染めて後に引けなくなり、会社全体を危機に陥れた。

こうしたケースでは、粉飾に関わった役職員の意識が内向きで、組織防衛の名目が先に立つために罪の意識が低く、「悪いことなのだとは思うが、会社のためにやった」という弁解が必ず出てくるところにその特徴がある。

一方で、ライブドアのような新興企業による粉飾事件は、経営者としての倫理観が欠如した「素人」によって行われ、凝った仕組みを活用して高度な利益操作を行うことを積極的に是とするような、一種のゲーム感覚が伴っていた点が特徴的である。

経営者の意識が低ければ粉飾はまた起こる

日産自動車 カルロス・ゴーン

報酬の過少申告や会社資金の不正支出など会社法違反で起訴された日産前会長のカルロス・ゴーン容疑者。ビデオメッセージで「すべての嫌疑は無実だ」と訴えた。

REUTERS/Issei Kato

平成の粉飾を総括してみると、バブル崩壊の後遺症や金余り状況のなかで、市場からの期待に経営者が振り回されるという「構造的な要因」がまずあった。

そこに、内向きの論理しかないサラリーマンと、高い専門知識を使いこなす上での良識を欠く素人経営者が現れ、粉飾に手を染めるケースが多かった。

一方、こうした問題を受け、役所や有識者、メディアは「企業統治」という言葉に飛びついて、会社法制や市場規制を「いじくる」ことに余念がない。しかし筆者の目には、それもまたある意味で「サラリーマン+高い専門知識を持った素人」の所作のように映る。

東芝の粉飾決算事件や日産元会長の虚偽記載事件のように、どんなに外形を整えても経営者の意識が低ければ問題は起こるのである。

昭和の時代は、企業経営を「商人道」「経営者道」といった人生修行のようにとらえる古くさいスタンスが空気のようにある程度共有されていたなかで、アメリカ流のベストプラクティスを取り入れることが新鮮に感じられた。しかし、平成を通り抜けるなかで、一本筋の通った「ビジネスマンズマインド」のようなものがなくなってしまった。

そういう意味で、「サラリーマン」「素人」は平成をもって捨て去り、令和の時代には、高度化・複雑化の一途をたどる最先端の経営インフラを使いこなす「良識」「ビジネスマインド」のようなものを再構築する必要があるのではないだろうか。


大垣尚司(おおがき・ひさし):京都市生まれ。1982年東京大学法学部卒業、同年日本興業銀行に入行。1985年米コロンビア大学法学修士。アクサ生命専務執行役員、日本住宅ローン社長、立命館大学教授を経て、青山学院大学教授・金融技術研究所長。博士(法学)。一般社団法人移住・住みかえ支援機構代表理事、一般社団法人日本モーゲージバンカー協議会会長。

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