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10連休中、「平成に置いていくべき金融の悪弊」をテーマに集中連載を行ってきた。正直なところ、平成に置いていきたいものはまだまだあるのだが、今回が最終回ということで、世上あまり指摘されないもののなかから、筆者が一番気がかりに思っていることを指摘しておこう。
「借りやすい」住宅ローンは誰のためのもの?
平成時代を通じて企業の設備投資が伸び悩むなかで、家計投資である良質な住宅の建築支援は、単に住宅政策としてだけでなく経済政策としても大きな意味をもつことになった。
バブル崩壊後、商業不動産への取り組みには慎重にならざるを得なかった銀行も、ますます住宅ローンに注力するようになる。こうして、住宅ローンを「借りやすく」することが重要な経済政策となった。
ここで気をつけてほしいのは、住宅ローンを「借りやすい」ことは、国民の皆さんのためというより、政府と銀行のためだという点である。
ローン返済期間「25年から35年へ」の功罪
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平成時代に行われた最もインパクトの大きい施策は、住宅金融公庫の一戸建て住宅ローンの標準期間を25年から35年としたこと。これは世界でも他に例を見ない措置だ。
これにより、金利2%で借入額2500万円の場合、月々の返済額は約10.6万円から約8.3万円へと激減した。仮に金利をゼロにしても、そこまで返済額は減らない。民間金融機関の住宅ローンもこぞってこれに倣った。
その限りではけっこうな話である。しかし、金利の引き下げと異なり、返済期間を伸ばすだけなので、借り主の負担は減らない。むしろ、金利の支払い総額は300万円ほど増えてしまう。
そもそも、住宅が本当の意味で「持ち家」になるのはローンを完済してからである。
35歳で25年ローンを借りた場合、60歳で残高がゼロになるので、その後は家賃を払うことなく一生住み続けることができる。しかし、35年ローンだと、60歳の時点でも残高が900万円あり、70歳までさらに10年間返済が続く。支払いを滞らせれば抵当権を実行され、家を奪われる。つまり、70歳までは借家と変わらないのである。
「70歳まで働かざるを得ない」社会は幸せか
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人生100年時代なのだから、ローンも長く借りてよいとの議論もあるだろう。しかし、それは70歳まで返済を無理なく続けられる水準の給料で働けることが前提だ。残念ながら、現時点でまだそうした社会は実現していない。
標準期間が変わった2001年に35歳で35年ローンを借りた人は、令和元年の時点でまだ53歳。彼ら彼女らが60歳で定年を迎え、継続雇用で収入が激減したとき、その後10年間問題なく住宅ローンを返し続けられるのだろうか。
筆者にはこの問題が、日本経済の抱える「時限爆弾」のように思えてならない。
政府に言わせれば、70歳まで働ける世の中をつくるのだから、お国のために借金して住宅投資に貢献し、銀行のために借りたお金はきちんと返しなさいということなのだろう。でも、そういうのは「70歳まで働ける」ではなく、「70歳まで働かざるを得ない」ということのような気がして、あまりうれしくない。
50年ローンに隠された「不都合な真実」
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平成を締めくくる2019年4月、政府はさらに思い切った施策をとった。
消費増税後の経済対策をにらんで、住宅金融支援機構が「長寿命住宅(長期優良住宅)」を担保とするものに限って、期間を50年(または最終年齢が団体生命保険の付保上限である80歳)にした住宅ローンの受付を開始したのだ(融資実行は2019年10月から)。
先の例と同じ金利2%、35歳で45年ローンを借りたとすると、月々の返済額は7万円まで減る。しかし、60歳時点の残高は約1390万円、70歳時点でも760万円、返済は80歳まで続くことになる。
実は、この施策に追随して、長寿命住宅でなくても50年ローンを貸し出す銀行がすでに登場している。それだと、ローンの返済期限より前に住宅の寿命が到来してしまう可能性も十分あるのだが……誰も気にしていない。
そうやって80歳までローンを借りて買う家を「持ち家」と言えるだろうか。まあ、返済期限までに死ねれば、団体信用生命保険(団信)で返済できるのではあるが。
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強調しておきたいのは、こうした指摘が、住宅投資を促進したい政府、少子化で新築住宅着工が伸び悩んでいる住宅業界、住宅ローンぐらいしか貸出先が見出せない銀行の三者にとって、「不都合な真実」だということである。
彼らに「本当に大丈夫なのか」と問いただしても、「大きな買い物なのだから自己責任で十分に検討しているはずだ」という答えが返ってくるだけだ。しかし、実際にこうした(老後の返済の)問題を十分に考えてからローンを借りてくださいと促している住宅業者や銀行がどれだけあるだろうか。
穿った見方だとは思うが、超長期で「借りやすい」住宅ローンは、経済対策や企業・銀行の儲けのために、国民が自分で賃借して住むための家を国民自身の借金で建築させるようなものだ。一種の公共投資を国や企業の負担なしで行う非常に巧妙な仕組みと言える。
そういうことをしてはいけないとまでは思わないが、各個人が負担を支えきれなくなった場合のセーフティーネットも同時に整備しておかないと、将来において経済の大きな重しとなるリスクがある。
津波で家は流されても、ローンは流されない
2011年4月、前月に発生した東日本大震災で津波にのみ込まれた岩手県宮古市の悲惨な光景。住宅再建にあたり、ローンの二重債務に苦しむ住民が数多く出た。
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もう一つの問題は、住宅ローンを借りて購入した住宅が地震で倒壊したり津波に流されたときに、ローンだけが残って、生活再建の重しとなる二重債務問題である。
この問題に事前に備えるための金融上の工夫は、平成時代に阪神淡路大震災と東日本大震災をはじめ多数の巨大地震や洪水災害を経験したにもかかわらず、以前からある地震保険以外にはあまり行われていない。
この問題については、北海道胆振東部地震の直後に書いた記事で多少論じたので、ここでは詳しくは踏み込まないが、津波の際に「家とともに流される住宅ローン」を比較的安価に開発することは理論的には可能である。筆者が以前書いた論文「将来の二重債務問題をいかに回避するか」(立命館法学、2013年)を参照してほしい。
令和が災害のない時代であることを切に願うが、実際には同じクラスの巨大災害は発生しうるという前提で備えておく必要がある。
「家にしばられない人生」をつくる
以上、「平成に置いていくべき金融の悪弊」最後のテーマとして住宅ローンを取り上げたが、置いていくべき住宅ローンは、具体的には次の2つである。
- 借りる時点で、定年・引退後の返済について「死んで生命保険金で返す」以外に、明確な出口が組み込まれていない住宅ローン
- 津波で(家を流されても)流されずに残る住宅ローン
筆者はこうした思いから、「家にしばられない人生」を可能にする新しい住宅金融の開発に、12年前から取り組んでいる。手前味噌になるが、令和は「先を考えない為政者と事業者のための住宅ローン」と訣別し、「生活者のための住宅の持ち方と住宅ローン」が普及する時代となるよう、残されたあと少しの人生を捧げるつもりでいる。
大垣尚司(おおがき・ひさし):京都市生まれ。1982年東京大学法学部卒業、同年日本興業銀行に入行。1985年米コロンビア大学法学修士。アクサ生命専務執行役員、日本住宅ローン社長、立命館大学教授を経て、青山学院大学教授・金融技術研究所長。博士(法学)。一般社団法人移住・住みかえ支援機構代表理事、一般社団法人日本モーゲージバンカー協議会会長。