日朝首脳会談の実現性に関して、日本の視点に立ったさまざまの観測憶測が飛び交っているが、結局やるかやらないかを決める選択権は日本ではなく北朝鮮にある。
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私は金正恩・朝鮮労働党委員長ではない。
彼の側近でも、親友でもない。彼のスマホを遠隔操作して盗聴マイクに変える、特殊なスパイ用ウイルスも持ってない。
なので、金正恩委員長の考えは知らない。「私が想像するに、彼はきっとこう考えているのだろう」との憶測をここで語るつもりもない。
それよりここでは、金正恩委員長にとって、どういう選択肢があり、それにはどういったメリットがあるのか? ということを考えてみたい。
テーマは「日朝首脳会談に北朝鮮は応じるのか否か?」である。
拉致問題という「本丸」をどう扱うか
「安倍晋三首相が金正恩朝鮮労働党委員長に直接会って話さないことには、拉致問題は進展しない」と、拉致被害者の家族たちの期待を背負うが……。(写真は2018年3月撮影)
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日朝首脳会談については、現在、日本政府が北朝鮮に呼びかけている。頼んでいるのは日本側で、応じるか否かを決めるのは金正恩委員長だ。日朝首脳会談の実現性に関する報道解説には、7月の参議院選挙など日本側の事情から解説する論調が少なくないが、決めるのは日本ではなく北朝鮮である。北朝鮮側の視点から見る必要があるのだ。
首脳会談に金正恩委員長が応じるか否かは、日本側がどういった条件を示すかによる。北朝鮮にとってそれが「得」なら首脳会談が実現する可能性が高いし、「損」なら実現しない。
安倍首相は5月6日、「前提条件なし」で日朝首脳会談を呼びかける方針に転じたことを明言した。拉致問題について協議することを前提にすると、北朝鮮が応じないからだ。北朝鮮は公式に「拉致問題は解決済み」との立場である。
拉致問題は一方的に北朝鮮の国家犯罪の話であるから、それは金正恩委員長としては話をしたくないだろう。安倍首相にとっては拉致問題解決が最大の目的だが、最初から本丸を掲げると入口から動かないため、「前提条件なしで」と言い始めたわけだ。
しかし、「前提条件なしで」とはあやふやな言い回しだ。前提条件でなくとも、会談の中で、安倍首相が拉致問題について言及しないという保証はない。金正恩委員長の側からすれば、「拉致問題には絶対に触れない」との約束を、まず日本側が明言する必要がある。
「アメとムチ」のうち、アメしか日本は持っていない
「金正恩委員長は私との約束の破棄を望んでいない」と豪語するトランプ大統領だが、金正恩委員長にとって、トランプ大統領との会話は、世界最強の米軍から攻撃を受けないための手段の一つにすぎないのかもしれない。
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だが、それは安倍首相としては当然、受け入れられない。目的はやはり拉致問題の解決だからだ。したがって、交渉の入口で安倍首相が「前提条件なしで」と言っても、交渉の過程で拉致問題の話を必ず持ち出すことになる。北朝鮮側も当然、そのくらいのことはわかっているだろう。
金正恩委員長がそれでも安倍首相と会ってもいいと考えるとすれば、拉致問題を持ち出されてもなお、それ以上の利益が期待できると判断するときだ。彼とすれば、得になることがなければ、日本の首相と会っても何のメリットもない。会うだけ無駄である。
たとえば相手がアメリカ大統領であれば、自分たちが世界最強の米軍から攻撃を受けないために、対話の舞台を維持するだけでもメリットがある。
ロシア大統領や中国国家主席であれば、国際社会で自分たちの後ろ盾になってもらうというメリットがある。
2019年4月25日、ロシアのプーチン大統領と北朝鮮の金正恩委員長が初の会談。北朝鮮にとって、ロシアのトップと会談することにはメリットしかない。
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韓国大統領が対北朝鮮融和派であれば、首脳会談をすることで、韓国政府を自分たちサイドに引き入れてしまうこともできる。
北朝鮮にとってのこれらのメリットは、それぞれ首脳会談をした結果、実際にそうなった。
ところが日本の場合は、これらの国とは違う。日本には、北朝鮮を脅せる強大な軍事力はなく、北朝鮮を国際社会で擁護できる国連安保理の拒否権もない。政治的な武器が何もないのだ。
したがって、仮に何も具体的な話をせず、形式的な首脳会談を行うだけならば、首脳会談をする価値が、北朝鮮側にはない。単に関係を改善してもメリットがないのだ。
日本側が何かできるとすれば、経済分野しかないが、すでに輸出入を全面禁止しているので、これ以上北朝鮮に圧力をかけられる手段がない。日本には「アメとムチ」のムチがまったくなく、アメしか残されていないのだ。だから、要はどれだけ利益の提供ができるかという話になる。
日本ができること、できないことリスト
2019年3月から4月にかけて、北朝鮮が安保理決議で禁止されている石炭の密輸を行ったと国連が発表。米司法省は5月上旬に(本船とは別の)石炭運搬船を拿捕、押収したことを明らかにした。
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では、日本側が仮に政治判断をしたとして、どれほどの利益を北朝鮮に提供することが可能なのか?
現在、北朝鮮は国連安保理で経済制裁を受けている。日本も国連加盟国なので、それには従わなければならない。国連安保理での主な制裁には、以下のようなものがある。
- 北朝鮮からの食品、機械、電気機器、木材、繊維製品、石炭、鉄鉱石、銅やニッケルなどの鉱物、海産物の輸入の禁止
- 北朝鮮への産業機械、輸送車両、航空燃料、鉄鋼およびその他の金属の輸出の禁止。原油は年間400万バレルもしくは52万5000トン以下に、石油精製品は年間50万バレル以下に制限
- 合弁事業を禁止
- 核ミサイル開発等に関与する貿易への金融支援の禁止
以上については、日本だけ制裁をやめるというわけにはいかない。
ということは、日本がもし北朝鮮にアメを提示しようとすれば、日本独自の制裁の解除ということになる。日本の主な独自制裁には、以下のようなものがある。
- 輸出入の禁止
- 北朝鮮籍船および北朝鮮に寄港した船舶の日本への入港禁止
- 北朝鮮国籍者の入国の原則禁止
- 人道目的かつ10万円以下を除く送金の原則禁止
日本政府はとりあえず、これらの独自制裁から、前述した安保理決議による制裁以外の部分は解除することができる。このうち、輸出入を大幅に増やすのは難しい。主な品目がすでに安保理決議で禁止されているからだ。
船舶の入港を認めることは可能だが、安保理決議で義務づけられている船舶検査などで揉める可能性が高い。それより実行しやすいのは、たとえば送金の原則禁止解除や、北朝鮮国籍者の入国を認めたりすることだろう。しかし、それで北朝鮮側が得られる利益は、それほど大きくもない。
他方、韓国の文在寅政権が進めようとしているような人道支援は、制裁の対象に相当しなければ可能ではある。ただし、北朝鮮の非核化のためにアメリカやEUなどが厳しい制裁を維持しているなかで、危機的な飢餓などに対する緊急援助を超える規模の援助は事実上、政治的に不可能だろう。
なぜ安倍首相はこんなに乗り気なのか?
トランプ大統領によると、日本とアメリカは「とてもうまくいっている」「私たちアメリカは最高の装備品をつくり、日本はそれらをできるだけ買う。日米の貿易関係はすばらしくよい」そうだが(日本経済新聞、2019年4月28日付)、北朝鮮との仲を取り持つほどの義理はないだろう。
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以上のように、送金の原則解禁や、北朝鮮国籍者の入国解禁、船舶の入港許可、あるいは制裁に抵触しない限定的な人道支援の供与などが、日本側が提供できる北朝鮮への条件となる。では、それらを仮に総動員して北朝鮮に提示した場合、北朝鮮は日朝首脳会談に応じるだろうか?
これは金正恩委員長の判断によるが、利益の規模としてはそれほど大きくはない。仮に日本側が拉致問題を持ち出さないなら、メリットだけになるので金正恩委員長に損はない。しかし、拉致問題を持ち出されることが予想される状況では、金正恩委員長にとって、安倍首相と会談するメリットは小さいということだ。
しかし、そんな状況でも安倍首相は日朝首脳会談にかなり乗り気にみえる。もしかして実は、水面下ですでに話が進んでいるのか?
日朝の情報当局の接触自体は、どうもかなり以前からあったようだ。2018年6月のシンガポールでの米朝首脳会談のあと、翌7月には北村滋・内閣情報官と金聖恵(キム・ソンヘ)党統一戦線部統一戦線策略室長がベトナムで接触。両者は同10月にもモンゴルで接触していたとの報道がある。
ただし、接触していたとの情報はあるが、そこから「日朝首脳会談の条件で合意した」との情報は一切ない。期待できるとする根拠情報はまったく存在しないのだ。
にもかかわらず、最近になって日朝首脳会談への期待が一気に上がったのは、次の二つのニュースの影響が決定的に大きい。
まず、4月26日の日米首脳会談で、トランプ大統領が安倍首相に対し、「日朝首脳会談実現に全面的に協力する」と確約したという報道が流れた。そして5月5日、共同通信が以下のようなスクープ記事を報じたのだ。
「トランプ大統領が安倍首相に対して、2019年2月のベトナムでの米朝首脳会談の席で金正恩委員長が『日朝間の懸案として日本人拉致問題があるのはわかっている。いずれ安倍首相とも会う』と語ったと伝えていた」
こうした情報が、「金正恩委員長は日朝首脳会談に前向きだ」「トランプ大統領が橋渡しをするはずだ」との期待の高まりにつながっている。
トランプ大統領に日朝会談「お膳立て」の義理はない
2019年4月11日に行われた米韓首脳会談はわずか2分間で終了。ちょうどその翌月、北朝鮮は短距離弾道ミサイルを発射。「金正恩委員長はこういう考えだ」という話はどうもあてにならない、アメリカと韓国は身をもってそのことを示してくれた。
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しかし、この程度の話にそれほど期待できるのかは疑問だ。
トランプ大統領の「確約」は、具体性のまったくない外交上の社交辞令の範囲内だ。トランプ大統領の優先順位は当然、非核化交渉である。日朝間の仲介くらいは可能だろうが、北朝鮮側に圧力をかけるとすれば非核化優先だ。
トランプ大統領は金正恩委員長に対し、安倍首相と会うように提案するかもしれないが、「会ってやらなければ攻撃する」と脅すわけではない。トランプ大統領が日朝首脳会談実現のお膳立てをしてくれることまで期待していい、と考える根拠情報もとくにないのである。
「いずれ安倍首相とも会う」という金正恩委員長の言葉も、そう額面通りに評価はできない。
米朝首脳会談時の雑談で、例えばトランプ大統領から「そういえば、日本の首相も会いたがっている様子だ」と話を振られ、金正恩委員長が「条件が整えば、そのうち会うかもしれない」くらいの返事で話を合わせただけかもしれない。
それがトランプ大統領によって都合よく日本側に伝えられ、日本側が希望的観測から都合よく解釈する。この種の話の誇張はよくあることで、この曖昧な情報を前提に、国家の戦略を決めてはいけない。
「金正恩委員長はこういう考えだ」という話があてにならないことは、例えば南北首脳会談後に韓国の文在寅大統領が何度も実例を示したとおり。トランプ大統領がいい加減な話をするのも毎度のこと。日本政府が希望的観測で分析を誤るのは、例えばロシアとの北方領土交渉でさんざん見せられてきた光景だ。
結局、日本に求めるのはカネ
令和の新たな時代、何とか金正恩委員長を口説き落として、自ら「花道」をこしらえたい安倍晋三首相。だが、交渉ごとはあまり希望的観測で都合よく物事を解釈しないのが肝要ではないか。
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結局、金正恩委員長が日本に期待するとすれば、資金源としての役割だろう。しかし、国連制裁が解除されないうちは、日本にできることは限られている。日本が何かできるとすれば、制裁解除後だ。つまり北朝鮮の非核化の後のことだ。
仮にそうなれば、それこそアメリカが先頭に立って、北朝鮮への経済的支援に乗り出すだろう。そうすれば日本も、巨額の資金提供を持ちかけられる。それに応じるのと引き換えに、拉致問題の解決を条件とするという選択肢が可能になる。
金正恩委員長がそれに応じるか否かは彼次第だが、日本から巨額の資金を引き出すという北朝鮮側のメリットは大きく、まったく期待が持てないわけではない。
ただし、以上は少なくとも米朝交渉で非核化が実現することが前提になる。金正恩委員長が非核化を考えていなければ、この話は動かない。そして現在、北朝鮮が非核化に向かう兆候はみられない。
もちろん希望を持つことは大事だし、日本政府が独自に北朝鮮と接触したり、アメリカに協力を求めたりといったさまざまな試みも必要だが、交渉ごとを進めるためには、相手の意思を希望的観測で都合よく解釈しないことが肝要だろう。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう):福島県いわき市出身。横浜市立大学国際関係課程卒。『FRIDAY』編集者、フォトジャーナリスト、『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。取材・執筆テーマは安全保障、国際紛争、情報戦、イスラム・テロ、中東情勢、北朝鮮情勢、ロシア問題、中南米問題など。NY、モスクワ、カイロを拠点に紛争地取材多数。