トランプ米大統領(写真奥)がパウエル議長率いるFRBの金融政策に「口先介入」を繰り返すなか、「中央銀行の独立性」があらためて問われている。
REUTERS/Carlos Barria
ドル/円相場はこのところ109円台で推移している。
現時点では米中貿易協議の混迷がドルを買えない地合いを形作っていると見られるが、もっと本質的なことに目を向けたい。
アメリカで良好な経済指標の公表が続いてもドルの上昇が鈍い背景には、年内という期限にこだわるかどうかどうかはさておき、米連邦準備制度理事会(FRB)の「次の一手」が「利上げへの復帰」ではなく「利下げの着手」であることを、徐々に金融市場も意識し始めているからではないのか。
「利下げすれば米経済はロケットのように上昇」
トランプ大統領が執拗に金融緩和を求める背景には、中国との貿易戦争に象徴される自身の保護主義政策が、米景気への逆風になっているとの自覚があるからなのかもしれない。
Anton_Ivanov / Shutterstock.com
この点、2018年半ば以降、トランプ米大統領は断続的に、FRBの政策金利引き上げや保有資産縮小といった「金融政策の正常化プロセス」に横やりを入れ、その物言いは徐々に直接的かつ具体的になってきていることを思い返さずにはいられない。
直近では、日本の10連休中の「例えば1ポイント程度の幾分かの利下げが実施され、幾分かの量的緩和が実施されれば、米経済はロケットのように上昇する可能性がある」とのツイートが記憶に新しい。大統領としてFRBにやってほしいことは、利下げと量的緩和(QE)の再開なのである。
ここまで執拗に緩和を求める背景には、米中貿易戦争に象徴される自身の保護主義政策がアメリカの実体経済を毀損しているとの自覚が暗にあるからなのかもしれない。言い方を換えれば、今後、保護主義政策に起因する景気減速が生じることになっても、FRBに罪をかぶせる腹積もりなのかもしれない。
こうしたトランプ大統領のFRBへの介入発言は、恒例の「失言」と割り切ってしまっていいものだろうか。
「中央銀行の独立性」は不可侵なもの、という基本認識に大きな異論をさし挟むつもりはない。だが、その自明とも言える前提についてあえて考察を深めてみると、見えてくるものもあるかもしれない。
そもそも「中央銀行の独立性」が重要とされるのは、(好景気が利下げなどの金融緩和に支えられて続くことを求めがちな)政治による介入を許せば野放図な金融緩和が容認され、それが制御不能な物価の上昇を招く可能性があるからである。極めてラフに言えば、インフレ予防ないしインフレ警戒が根底にある。
だが、現在は世界的に物価の騰勢が抑えられており、むしろ「インフレにならないこと」が問題となっている。
「金融緩和を求める口先介入→金利低下」という皮肉
【図表1】
それはアメリカも例外ではない。
【図表1】は市場ベースのインフレ期待(5年・10年・30年)の推移だが、いずれの年限もFRBの政策スタンスが軟化し始めた2018年秋以降、明確に屈折しており、株価が戻りを見せ始めた今年に入ってからも復調の兆しがない。消費者物価指数(CPI)などの一般物価がさえないことも周知の通りである。
ここでトランプ大統領の金融緩和催促に目を戻す。
教科書的な懸念が正しければ、一国の元首がこれほど露骨に金融政策に口先介入すれば、「不適切な金融緩和の実施→景気過熱→インフレ高進→金利上昇」といったネガティブな連想につながりかねない。
しかし、現実はトランプ大統領が口先介入すると米金利は下がり、ドルも売られることが多い。本当にアメリカ経済にインフレ懸念が内在し、トランプ大統領の緩和催促が「失言」ならば、インフレ期待も米金利も上がり、通貨の信認が毀損することからドル安が進むのではないのか。
ドル安が起きていることは共通しているが、単純に「米金利の低下に応じた売り」と「通貨信認の毀損に応じた売り」では、大きく意味が異なる。
結局、大統領がこれだけ放言しても金利が下がり(米国債価格は上がり)、インフレ期待も低迷したままということは「インフレ懸念などない」ということであり、「利上げが正当化されるような環境ではない」と理解すべきだろう。
正否や善悪は別にして、トランプ大統領は自身の言動をもって主張の正しさを証明したようにも思える。
事態をややこしくしたFRBの「正常化」へのこだわり
FRBの金融政策に対し、このところ金融市場は「教科書的な懸念」を無視するかのような反応をしばしば示す。
REUTERS/Brendan McDermid
トランプ大統領は2018年夏頃からFRBの正常化プロセスに公然と苦情を申し立てており、例えば7月には利上げについて「さほど喜ばしいとは感じていない」と述べ、追加利上げへの懸念も示していた。
しかし、それでもFRBは9月、12月に粛々と利上げを行い、12月にはパウエル議長の解任まで取り沙汰されるに至った。国家元首が中銀総裁の生殺与奪を握るような状況が危ういことは言うまでもないが、FRBが利上げを重ねていた局面でインフレ期待が上がっていたわけではないし、平均時給も一般物価も落ち着いたものだった。
そう考えると、トランプ大統領にここまで踏み込まれる前に、正常化プロセスは再考すべきチャンスが何度かあったと考えるべきではないのか。経済や金融情勢に弱気な見方を持つ市場参加者(FRB高官を含む)のほとんどは「これほど物価上昇圧力が弱いのに連続利上げを敢行する意味は何か」という点に不安を抱いていた。
この期に及んでは「政治圧力に屈した」との誤解を回避したい思惑から、FRBがその金融政策スタンスをハト派(≒利下げ含み)へ移すのがやや難しくなってしまった状況に見える。結果論に過ぎないが、FRBの正常化への固執が事態をややこしくしてしまった感は否めない。
「ディスインフレ下での中央銀行の独立性」が問われている
いわゆる「ヘリコプターマネー」や財政ファイナンスといった政策手法は、中銀の独立性毀損やこれに付随する通貨の暴落、ハイパーインフレの懸念などから議論することすらタブーとされてきた。しかし、今はまかり通ってしまっている。
Shutterstock
直近では、金利先物市場においては年内の利下げ確率は60%程度に達している。今のところ、為替市場でそれほどまでに利下げを期待している向きが多いとは思えない。
しかし、「次の一手」が「利上げへの復帰」ではなく「利下げの着手」であることが現実味を帯び始めている雰囲気はある。
このような状況では、すでに歴史的な高水準にまで積み上がっている投機的なドル買いポジションを維持するのは困難と考えられ、これが取り崩される過程でのドル安局面は一時的には不可避と思われる【図表2】。
【図表2】
繰り返しになるが、国家元首(政府)と中央銀行の間には適切な距離感というものがあって然るべきだ。
ただし、現在のような「ディスインフレ(インフレではないがデフレにもなっていない状況)下での中央銀行の独立性」と、過去のような「インフレ懸念下での中央銀行の独立性」では考えるべき論点も若干変わってくるという視点はあっても良い。トランプ大統領の一連の発言と市場の反応を見て、そのような印象を抱いた。
リーマン・ショック後の約10年を振り返ってみても、金融政策ではなく財政政策を主軸に景気刺激策を展開していくべきだという論陣が多々見られるようになっている。詳しい解説は避けるが、財政ファイナンスやヘリコプターマネー、最近では日米の政治論戦でも頻繁に登場する現代貨幣理論(MMT)などもその類だ。
これらは過去であれば、中銀の独立性毀損やこれに付随する通貨の暴落、そしてハイパーインフレの懸念などから、議論することすらタブーとされたものが目立つ。だが、今はまかり通ってしまっている。
結局、これは金融政策に対する伝統的な考え方が曲がり角を迎えていることの証左なのだろう。トランプ大統領の「失言」は意外にも、考えさせられる論点を含んでいるように思われた。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔:慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)国際為替部でチーフマーケット・エコノミストを務める。