海と自然がすぐそばにある環境で、東京の仕事をするリモートワーク実験開催中。
撮影:遠藤貴恵
東京からどこまで離れて働けるのか——。「潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産登録された五島列島。九州最西端の地でリモートワークをするという実証実験(5月7日〜6月7日)を、読者のみなさんとBusiness Insider Japan編集部が挑む企画も後半戦だ。
当初、参加は難しいだろうと思っていたこの企画に、編集部記者の私は一転、参加を決めた。
理由は地元小学校の受け入れがあること。さらに、週末含めて仕事で不在がちな夫が、子連れ同行してくれることになったためだ。美しい大自然と歴史文化の土地で、家族連れワーケーション……というキラキラしたイメージを描いていたが、現実はそう甘くもなかった。
「一緒に行こうかな」意外な夫のひと言
五島市内の「さんさん富江キャンプ村」からのオーシャンビュー。自然の息遣いを肌で感じられる、解放的な場所だ。
「一緒に行こうかな」
夫にそう言われたときは、ちょっと驚いた。いつも深夜帰り、週末も仕事、今年の10連休も仕事という人が、まさか休暇をとって五島列島まで来るとは、想像もしていなかったので。聞けば、まだ未消化の「冬休み」を充てるという。
というのも、7歳と4歳の兄妹を共働きで育てているが、冒頭の通り、平日はほとんど夫は不在。保育園や親、ママ友など周囲の人たちに助けられてきたとはいえ、仕事、家事、育児のやりくりに、これまで何度も夫とは「私ばかりが大変!」と、衝突と話し合いを繰り返している。
「家族のかたち」「子育てと仕事」をテーマに記事を書くことが多いのは、私にも正解が分からないからだ。
そんな中、離島の小学校で、地元の子どもたちとのふれあい。多様な体験、バンガロー暮らし(五島市内の「さんさん富江キャンプ村」)でホテルのように快適ではないかもしれないが、4歳娘は夫が見てくれ、料理も掃除も買い出しも任せられる(時間さえあれば、夫は家事も苦ではないタイプ)。
そんな環境で仕事ができるなんて「親の都合で学校を休ませる」という罪悪感もないし、これは素敵になりそう!と、飛びついた。
しかし、まず最初の問題は、親が思うほど子どもはこうした「新しい環境での体験」を望んでいないということだ。
「僕は知らないところに行きたくない」
長崎県五島市の南部に位置する、五島市立富江小学校。五島市中心部から車で30分程度の集落にある。
「五島に行きたくない。知らない小学校に行きたくない」
五島入りした翌朝から、小学校2年生の息子は、滞在地のキャンプ村からほど近い五島市立富江小学校に「体験入学」をすることになった。全校生徒数142人、各学年1クラスという、アットホームな学校だ。もちろんそれも、富江地区の人口流出や少子化と無縁ではない。
1週間内の短期間でも体験入学という異例の受け入れは、今回のプロジェクトへの参加者自ら小学校に電話を入れお願いし、校長先生のご厚意で決まった。
にもかかわらず、出発前から「これはただの旅行ではなく、知らない学校に行かなくてはならない」ということが、息子には不安のタネであるようだった。五島行きの話になると「知らない小学校に行きたくない」を、おびえたように繰り返していた。
そして案の定、初日は登校前から表情が固くなり、小雨の降る中、車で学校に到着するも、完全に後ずさりしている。
無理やり手を引いて玄関に向かった。
柔軟でウエルカムな受け入れ体制
400メートルリレーもできそうな、広い運動場が目を引く。
玄関口には、背の高い白髪の男性が、交通安全棒を持って登校を見守っていた。「本日、体験入学をします●●(息子の苗字)です」と挨拶をすると、知っていますよ、というようにうなずかれ、中に案内される。
正面玄関を入ってすぐの黒板には「●●くん、ようこそ富江小学校へ」と、息子の名前と歓迎メッセージが書かれていて、思わずジンとした。たった3日間の「体験入学」なのに、受け入れられていると感じる。
会議室で教頭先生と担任の先生を紹介され、初めて対面で挨拶をする。
とはいえ教頭の平田真希子先生からは、五島入りする前から、カリキュラムの説明、学校の様子、持ち物などを電話とメールを通じて丁寧な説明を受けてきた。事前のやりとりから、とにかく富江小学校が好意的で、柔軟なことが、ひたすらありがたかった。
富江小学校教頭の平田先生。つきっきりで1時間目の授業を見守ってくれていた。
担任の先生に連れられ、2年生の教室へと向かった。この時点で息子は「ママも一緒に来て」と、不安でいっぱいの浮かない表情。
富江小学校の2年生は男女合わせて27人の1クラスのみで、息子の通う東京の小学校の1クラス30数名が1学年4クラスよりずっと少ない。それでも教室の大きさは同じくらいで、室内はかなりゆったりしている。
教室内の黒板にも歓迎メッセージが書かれていて、転校生さながらに前に出て自己紹介することに。ここでも驚いたのが、「東京から来たお友達のお名前は……」という担任の先生の呼びかけに対して、息子が口を開く前に、クラスの子どもたち全員が「●●くんです!」と答えてくれたこと。
クラスをあげて準備がされていること、子どもたちが「新しいお友達」の登場に、ワクワクしている空気が見ているだけでも伝わって来る。
1時間目はエクササイズに変更
1時間目の授業は、体験入学の息子のために、コミュニケーションのエクササイズに変更されていた。
ところが、張本人の息子の表情はひたすら冴えない。
なんとか自己紹介を終えたものの、「朝の会」の後に息子は席を立って教室を出てしまった。
「もう帰りたい」と涙を流すのを、教頭先生、支援員の先生、さらに別の先生と、先生たちが3人がかりでなだめすかして、私が中で授業をしばらく見守ると言って聞かせることで、なんとか連れ戻す騒ぎだ。
この時点ですでに、「たった数日間、慣れる時間もないような中で『新しい体験を』というのは親の身勝手」というフレーズが頭の中を駆け巡った。
「いつもの環境でいつもの小学校に通う方が、本人にはベストなのだろうなあ。富江小学校にここまでしてもらっているのに……」
苦い思いが、胸にゆっくり広がっていた。
浮かない表情だったのが徐々に…
富江小学校の子どもたちは、いきいきと屈託がない。初めて会う息子にも次々、話しかけてくれる。
まもなく始まった1時間目の授業は、コミュニケーションを目的としたエクササイズ。じゃんけんをして負けたら相手の肩を10回もむ、教室を歩き回って好きなものを書いた紙の中身を当てっこしてビンゴゲームなど、とにかく子ども同士が身体的に接触する機会が組み込まれている。
これも全て、体験入学の息子が最初になじめるように、時間割が変更された結果なのだ。しかも、居心地の悪そうな息子に、支援員の先生がずっと付き添い、言葉をかけてくれている。
初めての「体験入学」に、支援員の先生がつきっきりで馴染めるようにサポートを頂く。
そして、浮かない顔で私にしがみついていた息子も、次々にクラスの子どもたちがじゃんけんにやってくると、思わず応じるようになり、やがて歩き出し、自分から他の子どもたちに接触を始めた。
その辺りで教室を後にした。
「なぜ五島まできて、僕は学校に?」
リモートワークに伴う、こうした親子の葛藤は、他の参加者からも聞かれた。
同じ富江小学校には2人の男の子が、息子の前週にすでに、体験入学している。
「小学校の温かい歓迎にもかかわらず、子どもが緊張して親も罪悪感やモヤモヤを抱え……という状況に、我が家も直面しました。
(他の参加者の子どもが)同じタイミングで小学校やこども園にいたため、仲間がいる安心感から少しストレスが緩和されていたかと思いますが、それでも2日目の朝は腹痛を訴えたりしていました。慣れてきた頃には『さよなら』をするという、まさに親子の試練」(小学3年生長男、4歳長女を、体験入学や保育園に一時預かりした、ウエブメディア編集者の女性)
体験入学初日、最初は緊張で固まりながらも、笑顔で戻って来たという子どもからの「疑問」も。
「息子から『楽しかったけど、明日も学校行くの?なぜ五島まできて、僕は学校に行かなければいけないの?』と言われた。『なぜ五島まできて仕事をしているんだろうか』という私の疑問と同じ疑問を、息子も感じていたようだった。
確かに授業はどこで受けても変わらない」(小学2年生長男、6歳長女を、体験入学や保育園に一時預かりした、会社経営者の女性)
それでも最後には、新しい友達ができてとても仲良くなったというが、息子はどうだろう。
体験入学を受け入れてくれた理由
高度成長期には1000人以上いた児童たちも、今はピーク時の10分の1以下に。
2年生の教室を後にして、向かったのは校長室だ。今回のリモートワーク実証実験の参加者の子どもたち(期間を通じて小学3年生1人、2年生2人)を、どうして富江小学校はこんなにも温かく受け入れてくれたのか。
東京からかかって来た1本の電話をきっかけに、数日間の「体験入学」受け入れを決めたという、木戸六雄校長を訪ねた。ここで初めて、今朝、登校する子どもたちを見守っていた背の高い白髪の男性こそが、校長先生その人だったと知った。
木戸校長は、受け入れの意図をこう話す。
「親の都合で五島に来る子どもたちが、学校を休まずにできるだけ同じ環境で勉強ができれば、その子にとっていいだろうと。そして、離島で暮らす(富江小の)子どもたちも、たとえ短い期間でも、外から来てくれる子どもと過ごすことで、いろんな人と接する機会になる。
それは今の時代に必要な、多様性を育む機会になると思いました。初めての人にどう接すればいいのか、自ずと学ぶことになります」
木戸六雄校長。今朝、校内に案内してくれた男性こそが、校長先生だったのだ。
島外への人口流出と少子高齢化により、五島市の人口は減少の一途をたどっている。ピーク時には9万人超だった人口も、現在は3万7000人程度に。その中でも人口流出の著しいエリアである富江地区も、かつてはもっと賑わっていた。
富江小の資料によると、今では150人を切る児童数も、1960年代には1500人超、1970年代後半でも500人超が在校していたという。高校までは五島列島内にいたとしても、大学や専門学校に行くなら必然的に島を出ることになる。そして、多くはそのままそこで就職し、帰ってこない。
自らも五島で生まれ育ったという木戸校長は、多くの若者が都市部へ出て行き「島に帰るのは盆暮れ正月」となっていく現実を目の当たりにした来た一人だ。
「今回の受け入れは数日間だったとしても、島の子どもたちがテレビでしか見たことのない東京、関東の子どもたちと一緒に勉強して、そういう場所があるんだと実感するきっかけになっています。視野が広がっていく。外を知ることは一方で、主体的に自分たちの地域を知ることに繋がっています」
外を見る視点が養われることで、自分たちの生まれ育った地域の良さが相対化されるのではと考えている。
「そうして、島を出た時に都市部の良さを知る一方で、当たり前、つまらないと思っていた五島にしかないものに気づいたり、埋もれている価値や産業を掘り起こしたり、外で学んだことを活かしたりすることのできる人になれたらと」
たとえ数日でも、島外の世界が子どもたちにもたらす視野の広がりを、木戸校長は願っている。
パーフェクトじゃなくても、朝よりずっといい顔
足取りは朝とは打って変わって軽かった。
その後、“リモートワーク実証実験中”の私は、小学校から車で5分程度にある、バンガローに戻りパソコンを開いた。学校と仕事場がこんなにも近いのは、東京では得難いことだ。
瞬く間に午後になる。
「友だち、できたよ」
初めての学校での1日を終えた息子を迎えに行くと、今朝の騒ぎのせいなのか、一仕事を終えたせいなのか、ちょっと照れ臭そうだった。それでも朝より、ずっといい顔をしていた。
(文・写真、滝川麻衣子)