小さなワイナリーのビオワインに、ブロックチェーンで付加価値をつける取り組み。その成果は?
宮崎県で生産された完全無農薬のビオワインをパリのレストランで提供し、エシカル(倫理的)消費の経済圏を広げるためのヒントを得る実証実験が5月上旬、個人経営のワイナリー「香月ワインズ」、電通国際情報サービス(ISID)、ブロックチェーンスタートアップのシビラなどによって行われた。
国連がSDGs(持続可能な開発目標)を提唱するなど、地球環境や地域社会に配慮した活動の必要性が認識される中、「大量消費」に代わる新しい価値観を追求する3社は、エシカル消費が成熟するパリで何を発見したのだろうか。
少量生産の無農薬ワインに賭ける思い
宮崎県でビオワインの生産に取り組む香月さん(右)。少量生産のワインは売れ行き好調だが、不安は尽きない。
5月10日夕方、セーヌ川にほど近いレストラン「ゼブラ」の店内で、香月克公さんは客の表情を注視していた。
宮崎県綾町でワイナリーを営む香月さんは、完全無農薬栽培のブドウを自然酵母で発酵させたワインを生産している。8年の試行錯誤を経て2018年にファーストワイン1000本の出荷にこぎつけたが、コストがかかりすぎて1本1万円の値段をつけざるを得なかった。
2年目の2019年は、出荷数を2400本に拡大し、赤、白ワインの価格をそれぞれ7000円に下げた。香月さんの思いを詰め込んだワインは地元・宮崎で「奇跡のワイン」と呼ばれ、2年続けてほぼ完売した。だが、香月さんは不安を抱えていた。
「倒産しないためにはこれがぎりぎりの価格だけど、EUと経済連携協定(EPA)が発効し、輸入ワインがさらに安くなる中で、どこまで理解されるのか……」
そんな香月さんに、「ワインの本場かつエシカル消費も根付いているフランスで評価を聞いてみませんか」と声を掛けたのが、ISIDのオープンイノベーションラボ(イノラボ)で「消費の未来」をテーマとしたさまざまな活動に取り組む鈴木淳一さんだった。
農業の付加価値向上にブロックチェーン
実証実験の技術的側面を説明する鈴木さん(右)。綾町プロジェクトの仕掛け人でもある。
ブロックチェーンを活用して行政サービスをオンライン化するエストニアの取り組みに衝撃を受けた鈴木さんは、「日本でもブロックチェーンを行政サービスに組み入れられないか」と考え、人口約7000人の小規模自治体である綾町と2016年から実証実験を行ってきた。
1970年代から有機農業が盛んだった綾町は1988年、全国初の「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定し、町を挙げて環境に配慮した農業を推進してきた。農業関係者の間では「有機農業発祥の地」として知られる一方、その努力が付加価値として価格に反映されないのが、農家や町の悩みでもあった。
ISIDと綾町はブロックチェーンを活用したトレーサビリティシステムで、農産物の付加価値向上に取り組んだ。
技術を提供したのは大阪のスタートアップ、シビラだ。2016年に東京・六本木のマルシェでトレーサビリティを確保した綾町産の野菜を販売。2018年には都内のレストランで、綾町野菜を使った「エシカルメニュー」を提供した。
2度の実証実験を経て、エシカル消費をさらに後押しする手法として試されることになったのが、特定の行動にトークン(ブロックチェーンから生まれた仮想通貨)を付与することで、行動を動機づけする「トークンエコノミー」を活用してエシカルな消費を盛り上げる実験だった。
シビラのCEO藤井さんはこう説明する。
「ビットコインは通貨としての価値しか持たなかったですが、ブロックチェーンから生み出されたトークン(仮想通貨)は、望ましい行動に報酬を与えることで、新しい価値を創造することができます。私たちは、国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)の理念に沿ったSDGsトークンをつくり、その理念に共感するコミュニティーや行動を活性化しようと考えました」(藤井さん)
エシカルな消費にトークン付与
実証実験はディナーの前のアペリティフ(食前酒)の時間に行われた。
実証実験の場所には、オーガニックな食材だけを集めたマルシェが存在するなど、エシカル消費への感度が高いパリを選んだ。
協力を快諾したレストラン、ゼブラのオーナー、ナイラ・カレーックさんは、「当店はオーガニックの食材を取り扱っているし、新しいものに敏感な客が多い。パリで最初に日本ワインを取り扱う店になるのも面白いと感じました」と笑った。
来店客が香月さんのワインに支払った代金は、ノートルダム大聖堂の修復に寄付することに決め、ナイラさん自ら常連客や友人に声を掛け、当日は2時間で約30人が来店した。
実証実験では、香月さんのワインを飲んだ客を「エシカルな行動をした」と認定し、SDGsトークンを付与した。トークンを受け取るためには、仮想通貨の財布の役割を果たす「ハードウォレット」が必要だが、参加者に用意してもらうのは現実的ではないため、ISIDとシビラが制作した。
ウォレットを読み込むと、獲得したトークンが表示される。
「これです。日本らしいでしょう」と鈴木さんが示したハードウォレットは、フィギュアの外観をしていた。
「SDGsは解決すべき17の課題を提示しているので、それぞれの課題を擬人化してみました。例えば香月さんのワインづくりは、13(気候変動)と15(陸の生物多様性)に貢献していると考えられます」
客はワインに込められたストーリーを聞いて、貢献していると思うSDGsのゴールを選ぶ。番号に一致したハードウォレットをスマホで読み込むと、スマホの画面にトークンを取得したことが表示され、「エシカル消費に取り組む人」と認定される。
実証実験は、香月さんのワインがどう評価されるかと、SDGsトークンの仕組みがスムーズに動くかが大きな目的となっているが、藤井さんは「将来的には、SDGsの理念に共感し、行動する人々がつながり、このコミュニティーに入っていると何らかの恩恵を受けられるような経済圏づくりを見据えています」と話した。
食とブロックチェーン活用、三者三様の「成果と課題」
「新しい技術や価値をどう伝えるか、その難しさも学んだ」と語る藤井さん。
ソムリエがワインの栓を開けて、客のグラスに注いだ。ニュージーランドで10年間ワインづくりに従事し、英語が堪能な香月さんはテーブルを回って、これまでの取り組みやワインの特徴を熱っぽく語る。別のテーブルでは、鈴木さんと藤井さんがiPadやフィギュアを手に、SDGsトークンの仕組みを説明した。
フィギュア型のハードウォレットをスマホで読み込むとトークンが付与されるという仕組みは参加者の多くが興味を示し、「面白いね」と声が挙がった。
「何かにつながるはず」と、開店前に話していた香月さんは客が去った後、「本当に勉強になりました」と漏らした。
「みんな率直で非常に熱心にアドバイスをしてくれました。『赤ワインはもうちょっとだね』という辛口のコメントから、『このブドウは外した方がいいんじゃないの』というような専門的な助言まで、次のシーズンへの参考になるものばかりでした。このつながりを途切れさせないよう、今日連絡先を聞いたお客さんには、帰国したらすぐメールを送りたいです」(香月さん)
一方、シビラの藤井さんは、少し歯がゆそうだった。
「 難しい技術の事がわからなくてもお客さん達に楽しんでもらえた事は大きな収穫でした」(藤井さん)
「しかし、我々が今回提示した新しい価値の流通や新しい経済圏を完全に理解してもらうには至りませんでした。分かりやすさと楽しさだけではなく体験を通じて気付いてもらうことの大切さを学びました 」
鈴木さんは、「皆が必ずしも同じものを欲しがる時代ではなくなり、これまでのマスマーケティング、マスコミュニケーションでは訴求できないマーケットに対する新たな切り口が求めらています」と前置きし、「その一つが商品のストーリーを丁寧に伝えることだと思います。ブロックチェーンがそこでどういう役割を果たせるのか、新しい時代に合った価値や情報をどのような手法で届けたら、消費者の意思決定に影響を及ぼせるのか、引き続き研究していきたい」と話した。
(文・写真、浦上早苗)