【衝撃ルポ】インドネシア大統領選、現地で目にした生々しい警察の暴力。日常と共存する狂気

インドネシア デモ

インドネシアの首都ジャカルタでは、5月21~23日に警察機動隊とデモ隊が激しい衝突を繰り広げた。

インドネシア大統領選挙で現職のジョコ・ウィトド大統領が再選したことを受け、首都ジャカルタでは5月21日から23日にかけて、再選を不服とするデモ隊と警察の衝突が起きた。インドネシア在住の記者も現場に駆けつけた。

催涙ガスが充満する現場には、警察機動隊の歓声が響いていた。異様な空気に包まれた街の中心部の空気感は22日朝、ツイッターなどのSNSにも波及し、衝突を報道するジャーナリストへの迫害も起きた。

大統領選挙の「不正な集計」にデモ隊が集結

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選挙監視庁周辺に集まったデモ隊の様子。

5月21日未明、大統領選の結果が正式に発表された。現職のジョコ・ウィドド大統領が再選。野党候補のプラボウォ・スビアント氏の支持者らは、選挙の「不正な集計」を訴え、選挙監視庁周辺に集結した。監視庁はホテルやオフィスが並ぶ大通りに面し、日本大使館から450メートルほど北に位置する。 

デモ隊と警察の衝突が始まったのは、21日午後10時ごろだった。記者はそのとき、監視庁から徒歩5分ほどの場所にいた。テレビで衝突の発生を知り、準備を済ませて現場に着いたのは午後10時40分ごろ。機動隊とデモ隊の群衆が、一定の距離を置いて向かい合っていた。

警察が「家族が家で待っている。帰宅するように」と呼びかける。デモ隊は国旗を振ったり、訴えを続けたりして、説得に応じる気配はない。「ただちに解散せよ」警察が再び呼びかける。デモ隊の幹部と思しき男性と警察が距離を詰めて何やら話し合っている。

そして、男性がデモ隊に戻ろうとしたとき、状況は動いた。

深夜11時20分、機動隊が一挙に動いた

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デモ隊に向かっていっせいに詰め寄る警察機動隊。

午後11時20分、突然、機動隊がいっせいにデモ隊に向かって走り出した。隣接する駐車場からフェンス越しに現場を見ていると、黒い服を着た機動隊が目の前の道路をあっという間に埋め尽くしていく。次の瞬間、デモ隊の小柄な男性が機動隊に押さえ込まれ、連行されていった。

フェンス前に機動隊が群がっていたので、目を向けると、そこに人が横たわっていた。機動隊が記者と地元の人たちのカメラに気づくと、視線が集中した。怒声とともに指を差され、記者はすぐさまカメラを下ろした。わずか数分のできごとだった。

記者の目の前にあるフェンスを叩く機動隊員。動画は見えにくいが、金属製フェンスを叩く音がはっきり聞こえる。

機動隊とデモ隊は再び距離を置き、話し合いを再開した。午後11時27分ごろ、機動隊が横一列になって前進を始めた。手に持った防護盾(ライオット・シールド)を地面に引きずりながら、ゴトゴトと不気味な音を立てて進んだ。ある隊員がフェンスを叩き、撮影を続けていた記者らを追い払った。

機動隊やデモ隊が集まる方向に目をやると、「バン、バン」という発砲音とともに、オレンジ色の火花と煙が上がった。監視庁を挟んで、西側と東側の両方に逃げた群衆が狙われたのだろう、どちらからも音が響いてきた。

機動隊員はデモ隊の男を蹴り、殴り、歓声をあげた

5月22日未明の機動隊とデモ隊の衝突の様子。

機動隊の集まるほうに近づいていくと、ガラスの破片や石が散乱していた。機動隊が放ったとみられる催涙ガスが充満し、目と鼻が何かで突き刺されたように痛くなる。嗚咽、くしゃみ、口や目を水で洗い流そうとする音、そして発砲音。機動隊とデモ隊、メディア以外にほとんど人気はなく、ある意味で市街は閑散としていた。

機動隊が催涙ガスを撃ち、デモ隊は石を投げつける。そのうち、機動隊のほうから威嚇発砲と思われる乾いた銃声がが響き渡った。メディアや一部残っていた市民ら20人ほどが機動隊の後ろに身をひそめた。デモ隊側からわっと怒声が湧き、反撃の狼煙だったのか石が放たれ、記者の肩にも当たった。

時間は午前1時30分をまわった。おもむろに「ヒュー」と機動隊から歓声が上がる。隊員のひとりが若い男性の首に腕を回し、デモ隊のほうから連行してきた。5、6人の機動隊員が男性を取りかこみ、十数発、腹を蹴り、拳で殴り、背中に警棒を振り下ろした。そのたび機動隊から歓声が上がった。

スマホ撮影する市民に「消せ、消せ」と

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激しい衝突の現場ながら、機動隊とデモ隊、メディアの記者以外は見当たらない、ある意味で閑散とした市街の様子。

午前2時ごろには、機動隊に拘束されたデモ隊員たちが5分に1人は連行されてくるようになった。いずれも細身の男性たちで、機動隊に殴られて足もとに崩れ落ちると、「ウソだ!(そいつはやられたフリをしているだけだ)」と声があがり、暴力が続いた。

「やめろ、やめろ」、機動隊の一部から制止する声が出ても、暴力は止まらず、歓声が混じる。様子を道路脇で見ていた人も巻き込まれそうになる。

そのまま連行されてくる人たちを見ていると、顔に見覚えのある男性が。30分ほど前まで、記者の隣で撮影していた男性によく似ていた。男性は頬を手で押さえ、体を丸めて暴力を受けていた。

機動隊員らはそのうち、道路脇で連行の様子をスマホ撮影していた人たちに向かっても、「消せ、消せ」と大声で詰め寄った。

インドネシア陸軍も警察機動隊の加勢に

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選挙監視庁の東側に逃げたデモ隊や群衆のほうに行ってみると、路上にはタイヤの焼け跡がくすぶっていた。

午前3時30分ごろ、選挙監視庁の西側に逃げたデモ隊や群衆のほうに行ってみた。状況はまったく違っていた。路上でタイヤや三輪車と思われる車両が燃え、焼け跡では火がくすぶっていた。焦げ臭さに催涙ガスが混じる。

監視庁から西に約1キロ離れた路上で、衝突が起きていた。軍隊や機動隊が通りを埋め尽くし、デモ隊や群衆の姿はまったく見えない。「バン、バチバチ」という音と同時に、おそらくデモ隊の放ったものだろう、水平方向に飛んでいく花火の輝きだけが見てとれる。

機動隊は催涙ガスで対抗。その後方には陸軍の部隊が控え、「前進せよ」「前方を守れ」というアナウンスを繰り返していた。午前5時ごろ、陸軍と入れ替わるように、機動隊が監視庁に向かって後退を始めた。隊員のひとりが両手を広げ、記者に衝突現場を離れるよう命じた。やむを得ずその指示に従うことにした。

「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」

道路では火の手が上がり、煙が充満した(5月22日午後7時ごろの様子)。

翌22日もデモ隊は日中から訴えを続け、夜になると再び衝突が激化した。

午後7時ごろ、選挙監視庁の近くにいると、昨夜と同じように催涙ガスの発射音が断続的に聞こえるようになった。監視庁近くの道路ではほぼ10メートルおきに火の手が上がり、煙が充満して視界が失われた。

歩くのも大変なほど群衆があふれ、石や竹竿を手に持ち、機動隊に向かって怒声を発していた。動きが取れなくなったため、一度現場を離れ、午後11時ごろにあらためて現場に向かおうとすると、監視庁そばの路地でデモ参加者らに止められた。

男女5人が寄ってきて、口々に「危ない」「写真を撮るのはよせ」と言う。みな催涙ガスに対処するため、白いクリームを塗りたくっている。興奮した様子で目を大きく見開いた男性が、「われわれは正義のために抗議をしている」と熱弁する。

別の男性が「これを見て!」とスマホ動画を見せてきた。拷問を受ける男性や口から血を流して運ばれる男性の姿をはっきりとらえていた。記者がその場を立ち去ろうとすると、彼らは突然、拳を握りしめ、天に向かってまっすぐに腕を伸ばし、「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と叫び、気勢をあげた。

記者も警察にカメラを確認される

インドネシア 機動隊

5月23日の日中は、機動隊員たちも休憩中だったのか、駐車場や路上に寝転がり、「写真撮ってよー」といつもの調子で話しかけてくる。

さらに翌23日の日中も、記者は選挙監視庁前を訪れた。

前日までの衝突が嘘のように、あたりは静まり返っていた。交通封鎖は続いていたものの、デモ隊の姿はなく、機動隊員たちも休憩モードなのか、駐車場や路上に寝転がっていた。周囲の店も少しずつだが営業を再開し、メディア記者や一般市民たちが交番や路上の焼け跡を見たり撮影したりしていた。

記者が近くを通りかかったその瞬間、200メートルほど離れたところで、わっと怒声が挙がった。機動隊がいっせいにその方向に走り出した。 遠目に、機動隊のひとりが男性の頬を拳で殴っているのが見えた。

少し離れた場所から、記者や通行人の女性がカメラやスマホで撮影をしていると、近くにいた警察に制止され、「中身を見せて」と確認を求めてきた。

メディアだと伝えても聞く耳持たず。最後はカメラの中身を見せた。 実際は動画を撮っていたのだが、静止画だけを見せて「撮れてなかった」と伝えると、それ以上追及されることはなかった。

メディア記者たちにも被害

インドネシア ジャーナリスト 記者危険

会見場に集まったインドネシアのメディア。現場ではフルフェイスのヘルメット、催涙ガスに対処する薬を持っていた。

ここまでつぶさに現場の様子をお伝えしたように、ジャカルタでは5月21日夜から23日未明に市内数カ所でデモ隊と機動隊の衝突が起き、ジャカルタ特別州政府は8人が死亡したと発表している。

現場からリポートを続けたメディア記者20人も、取材道具を奪われたり、取材妨害されるなどの被害に遭った。インドネシアの記者でつくる独立ジャーナリスト連盟(AJI)によると、主な被害は以下のようになっている。

  • CNNインドネシア:警察からレポートを止められ、仕事道具を奪われた
  • AP通信:オンラインで個人情報をさらされた
  • ABCニュース:警察に脅迫された
  • 地元紙コンパス:カメラマンがバイクを壊された
  • 地元ラジオ局Radio MNC Trijaya:警察から取材の記録を消された
  • インターネットメディアOkezone.com:警察、デモ隊にバイクを壊された

AJIは警察に対し、(デモ隊も含めて)ジャーナリストへの暴力や取材妨害の状況を調査するよう求めた。AJI自らも被害状況の調査にあたっている。

政府によるSNS規制、ツイッターは4日間使えず

また、衝突時の政府による情報統制はメディアに限らず、広く一般市民が使うSNSにも及んだ(5月22~25日)。

記者が異変に気づいたのは22日の朝だった。現場の様子を広く伝えようとツイッターを開き、写真数点のアップロードを完了し、午前8時ごろには動画をアップしようとしたが、夕方まで何度試みても成功しなかった。

インドネシアで広く利用されている「WhatsApp(ワッツアップ)」も、テキストメッセージすら送信できなくなった。Facebook、インスタグラムも利用不可に。22日の午後10時、知人に送ったメッセージが4時間遅れでやっと送信完了した。ツイッターは結局、画像も動画も25日午後1時までアップロードできなかった。

一方、インドネシアの通信情報省は、デマ拡散防止のために一時的にSNSを規制したことを明らかにしている。

地元メディアによると、5月21~22日に30種類のデマがSNSで拡散された。22〜24日には、機動隊に中国から派遣された隊員がいるとか、10代の子どもが警察から暴力を受けたという情報が拡散した。中国からの派遣を疑われた機動隊員や、10代とされた暴行被害者が記者会見に登場する事態にまで発展。 その後もデマとは知らず、誤った情報をいまだに信じている人もいる。

記者のところにも、デモ現場で会った人から、銃を持った人に拷問を受ける男性の動画や、群衆の中で口から血を流して倒れる男性の動画が送られてきた。SNS規制の開始後は、別のデモ参加者から「すべてのやりとりは監視されている。みんなにシェアを」といった文面も送られてきた。真偽は不明だ。

規制が解除されたのは25日午後2時ごろ。情報通信省は「前向きなことにサイバー空間を活用しよう。良い週末を」とツイッターで呼びかけた(上のツイートがそれだ)。

デマ拡散防止を目的にした政府のSNS規制について、ネットメディアの調査では、賛成対反対の割合がおよそ3対1となった。記者の現地の友人に聞いてみると、「(非常時の)政府のコントロールは必要」と話した。

激烈な衝突のすぐそばに広がる変わらぬ日常

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5月27日、衝突のあった現場のすぐ近くの路地。地元の人は「(デモ当日も)外の椅子で寝てたよ」と平然と話す。

暴力、SNS規制……衝突の現場にフォーカスすると、インドネシアの状況に不安を抱くかもしれない。

しかし、警察とデモ隊の衝突のさなかも、機動隊のすぐ後ろをコーヒーや菓子を販売する自転車2台が通り過ぎる光景があった。路地を200メートルも入ると、地元のおじさんたちは屋外の椅子に腰かけていつものように談笑していた。

夜通し投げる、殴る、蹴る、打つの攻防に明け暮れていた人たちは、ラマダン(断食月)の夜明け前の食事の時間が来ると、休憩に入った。日常風景が同じ街のなかに同居していた。

たった数日間、都市のごく一部で起きたできごとが世界中に拡散されるのは、インドネシアにとってマイナスではないか。一連の衝突の後、日本の人たちからはそんな意見も聞かれた。

一方、前述のAJIに加盟するCNNインドネシアのジョニー・アスウィラ記者は、「報道することで問題解決を促せることがある。(問題があれば)それを変えるのが僕たちの仕事だ」と記者に語ってくれた。

(取材・文:今井はる)

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