4月24日(現地時間)にサンフランシスコで行なわれたFrontiersで講演するSlack Technologies CEO スチュワート・バターフィールド氏。
ビジネスチャット「Slack」を提供するSlack Technologies(以下、Slack)は、アメリカの証券取引委員会(SEC)に、上場に向けた同社の状況を説明するS-1申請書を提出し、SECのサイトでそれが公開された。
4月26日付けのその文章によると、Slackの現状の決算は、会社を運営する経費が売り上げを上回っている状況で、黒字化にはまだまだ遠い状況だ。
Slackが米サンフランシスコで4月24~25日(現地時間)に開催した自社イベント「Frontiers 2019」において、同社はロードマップを更新。当初、競合と位置づけていたマイクロソフトの「Office 365」、グーグルの「G Suite」といった従来型のEメールを中心とした業務システムを積極的にサポートする方針を示した。
Slackのエンタープライズプロダクト部門責任者を務めるイラン・フランク氏は、「Eメールのサポートはユーザーが一番望んでいた機能だった」と述べ、ユーザーの声が実装を後押ししたと説明した。
SECに提出された申請書から見えてきたSlackの現在地
SlackがSECに提出したS-1申請書で公開されたSlackの決算(単位:千ドル)、有料プラン企業数、従業員数。
Business Insider Japan
4月26日(現地時間)にSECのWebサイトで公開されたSlackのS-1申請書には、非上場企業だったSlackがこれまで公開してこなかった決算状況が記されている。
これによると、Slackの決算は1月31日に終了する会計年度(FY=Fiscal Year)の3年分が公開されており、FY2017(2016年2月1日~2017年1月31日)、FY2018(2017年2月1日~2018年1月31日)、FY2019(2018年2月1日~2019年1月31日)の売り上げや損失などが公開されている。
売上高(以下、1ドル=110円換算)は
- FY2017:約1億515万3000ドル(約115億6683万円)
- FY2018:約2億2054万4000ドル(約242億5984万円)
- FY2019:約4億55万2000ドル(約440億6072万円)
となっており、わずか2年で売り上げが倍以上に急成長している。その一方で、純損失は
- FY2017:約1億4690万9000ドル(約161億5999万円)
- FY2018:約1億4006万3000ドル(約154億693万円)
- FY2019:約1億3890万2000ドル(約152億7922万円)
となっており、毎年150億円超の赤字を出している状態だ。
Slackには無償で使えるフリープラン、有償のスタンダードプラン(1年契約で月850円)、プラスプラン(1年契約で月1600円)、さらにエンタープライズ向けのプランとなる「Enterprise Grid」(費用は規模感による)などが用意されている。
Slackのビジネスモデルはシンプルで、まずフリープランで利便性を理解してもらい、有償プランへの移行を促すというものだ。今回SECが公開した文章には、その有料プランを利用している企業の数も公開されている。
- FY2017:約3万7000社
- FY2018:約5万9000社
- FY2019:約8万8000社
有料プランを契約した企業の数が増えていることが、売り上げの増加につながっていることが見てとれる。
だが、そうした売り上げの増加は、同時にサポート担当やセールス担当などの人員増加が伴うことになる。
SlackがSECに提出した文章によると、従業員の数はFY2017で716名だったが、FY2019には1502名と倍増している。それに合わせてオフィスへの投資も必要になる。
サンフランシスコにあるSlackの本社ビル(写真は2018年9月時点のもの)。
撮影:小林優多郎
Slackは2018年、サンフランシスコに本社ビルを開設したばかりだが、そうした投資などが運営費としてかかっていると考えられる。このような負担が、売り上げは増えているのに純損失はほぼ一定になっている要因だと考えられる。
つまり、現状のSlackはユーザー数を大きくするために積極的に投資を行っており、ある程度は計画的に赤字を出している……そうした状況だと理解するのが正しいだろう。
十分な投資を得たスタートアップ企業がこうした経営手法をとることは珍しいことではなく、投資家がそれを許容している限りは一般的な手法だ。だが、言うまでもなく上場したらそれが許されるのかということには当然、疑問符がつく。
上場するのであれば、投資家にとっては株価を上げてもらい、市場においてできるだけ高値で売れるよう期待するのは当然のことだ。それまでより黒字化への圧力が増すのは火を見るより明らかだろう。
Slackを導入するメリットは「Eメールからの脱却」
Slack Technologiesエンタープライズプロダクト部門責任者 イラン・フランク氏。
黒字化に向けてSlackができることは何だろうか。すでに述べたとおり、Slackのビジネスモデルは、フリープランで利便性を理解してもらい、有償プランへと移行してもらうというものだ。
では、Slackのアドバンテージとは? イラン・フランク氏は「Slackはコミュニケーションをシンプルにして企業の生産性を上げることを目指している」と説明する。
企業ITは実に複雑になっている。コミュニケーションをとるツールも、EメールとLINEのようなメッセンジャーアプリなどが併存している状態だ。フランク氏によれば、それらのレガシーツールを、Slackを導入して置き換えることで、よりシンプルにして企業の生産性を上げてほしい、それがSlackが目指す未来だという。
Electric Arts(EA)社によるSlackの稼働状況。1日のアクティブユーザーは1万3000人。その従業員たちが1日あたり39万通のメッセージをやりとりしている。
EAではさまざまなサービスをSlackに接続させている。
Frontiers 2019では、Slackを導入することで生産性を向上させた企業の例がいくつか紹介された。例えば、ゲームパブリッシャーのElectric Arts(EA)は、グローバルで約1万3000人の従業員がSlackを活用しており、毎日39万を超えるメッセージ、9300ものファイルがやりとりされているという。
EAでは製品開発、マーケティング、人事、セールスなど、さまざまな部門でSlackが大規模に活用され、Eメールよりも高い生産性を実現しているというコメントが紹介された。
14万人の従業員にSlackを導入したオラクル。
オラクルは、Slackを導入後、徐々にEメールの利用率が下がっていった。
また、アメリカのソフトウェア会社大手のオラクルでは、グローバルで14万人超の従業員がSlackを利用可能になっており、9万人近くの従業員がすでにそれを利用している(アクティブユーザーになっている)ことが紹介された。
日々160万のメッセージがやりとりされており、毎日1万8000のファイルがSlackにアップロードされている。そうしたファイルやメッセージの従来のやりとりはEメール経由だったそうだが、Slackの導入後は、EメールよりもSlackの利用率の方が上がっているのだという。
これらの事例からわかることは、“レガシー”のEメールからの脱却、それがSlackの大きな魅力だということだ。
Slackユーザーが一番欲していた「Eメール」を実装
SlackでEメールをサポート。
だが、SlackがFrontiers 2019 やそれに先だって発表したのは、「天敵」であるはずのEメールのサポート拡大という意外な選択肢だった。
SlackはAPIを他社に対して公開しており、パートナーとなる他のクラウドサービスプロバイダーがそのAPIを活用し、Slack上でデータのやりとりを行える仕組みがある。
これを利用すると、他のクラウドサービス、例えばSalesforceを業務システムとして利用している企業が、SlackからSalesforceを利用したりなどの使い方が可能になる。言ってみればSlack自身がITツールのハブになり、他のツールも一緒に活用できてしまうのだ。
SlackからEメールを共有したりが可能になる。
これまで、Slackは、Eメールやオフィススイートとして人気を二分しているグーグルの「G Suite」、マイクロソフトの「Office 365」を標準ではサポートしてこなかった。しかし、4月のアップデートでそれぞれのEメール、カレンダー、クラウドストレージに接続するアプリの提供を開始した。
これにより、Slackに両社のEメールを添付したり、クラウドストレージ上にあるファイルを共有したり、自分のスケジュールをSlack経由で共有したりということが可能になる。
さらに、Frontiers 2019 では、Slackのアカウントを持っておらず、Eメールのみを利用しているユーザーも、直接Slackユーザーとのやりとりが可能になる「ブリッジ機能」を発表した。
“仮想敵”であるはずのEメールのサポートに突然熱心になったのは不思議にも思える。前出のイラン・フランク氏は「実はユーザーから一番要求が多かった機能がEメールのサポートだった」と、その理由を明かしている。Slackに乗り換えて、もっと生産性は上げたいけれども、いきなり電子メールは捨てられない、そういうユーザーが少なくなかった。
さまざまな業種や部署の対応が必要になる(写真はイメージ)。
撮影:小林優多郎
実際、Slackを使い始めた企業で、最大の課題はこのEメールからのシームレスな移行だという。確かにSlackは皆が使い出せば便利だが、オラクルの事例でもそうだったように、みんながEメールを使っている時にはなかなか稼働率が上がらないという問題がある。
また、社内でSlackを導入しても、社外の関係者とのやりとりはEメール、という例はまだまだ少なくないだろう。そうしたときに、Eメールがシームレスに使えないことは、Slackへのハードルになっていた。
つまり、今回のEメールのサポートというSlackの新戦略は「急がば回れ」的な戦略だと言える。
EメールからSlackに切り替えてほしいが、まだまだEメールはなくせない、そういうレガシーのシステムを抱えたエンタープライズにとって、今回のEメールサポートの拡大は朗報だ。Slackへ移行する最大の障害が1つなくなったと言っても過言ではなく、Slackの成長にとって大きなステップになることは間違いない。
(文、撮影・笠原一輝)
笠原一輝:フリーランスのテクニカルライター。CPU、GPU、SoCなどのコンピューティング系の半導体を取材して世界を回っている。PCやスマートフォン、ADAS/自動運転などの半導体を利用したアプリケーションもプラットフォームの観点から見た記事を執筆することが多い