ゲストが本田圭佑であることは関係者でもごく一部しか知らなかったようだ。Expo会場に出展していたあるブース関係者によると、一部中継のあった際は出展者や参加者の目が釘付けになっていたそう。
撮影:伊藤有
「おおおおお!!!!!」
東京・港区で開催されたマイクロソフトの開発者イベント「de:code2019」の初日最終セッション。当日の登壇寸前まで名前が明かされなかった「シークレットゲスト」が登場するや、会場は驚きの歓声に包まれた。
司会にうながされてステージ裏から現れたのは、サッカー界のレジェンド・本田圭佑だった。
広さ300名程度のセッションルームは、会期を通じて開催される150以上のセッションのなかでは、比較的小さい。その分、本田圭佑の存在感は「幸運な参加者」たちには、ひときわ大きく感じられたはずだ。
エンジェル投資家・本田圭佑の「即断即決」スタイル
左はゲストの内閣官房 政府CIO上席補佐官の平本健二氏、右は司会をつとめた日本マイクロソフト コーポレート戦略統括本部 エバンジェリストの西脇資哲氏。
現役のサッカー選手、サッカーチームの監督でありながら、IT業界でも名を知られるエンジェル投資家、起業家。アメリカ市場でスタートアップ投資をする「ドリーマーズファンド」の共同創業者でもある。共同創業者の筆頭は、あのハリウッド俳優のウィル・スミスだ。
ドリーマーズファンドのチーム。
プロフィールを紹介されると開口一番、「僕はいま、(メルボルン・ヴィクトリーFCと)5月末で契約が切れるから、正確には無所属。(言ってみれば)“ニート”なんです」と冗談めかして答えた。飄々とした言葉の端々に、余裕が感じられる。
“人生の大事なことはすべてインターネット文化から学んだ”世代の観客たちは、爆笑に包まれた。
本田は現在、エンジェル投資家として日米で約50社、自身がかかわる投資ファンドも含めると総計で約80社のスタートアップに投資している。投資先は、基本的に創業初期、いわゆるアーリーステージばかり。創業初期のスタートアップへの投資は、一般にリスクが高く、「目利き」でなければ難しいとされる。
会場の参加者たちは、ほぼ全員が現役のコンピューターのエンジニア(プログラマー)。なかには起業している人もいるだろう。
司会を担当したマイクロソフトのエバンジェリスト・西脇資哲も含めて、「本田がなぜITスタートアップに投資をするのか」には大いに興味がある。
ステージ上で本田は、淀みなく語った。
「僕は人に投資する。ビジネスモデルは、むしろあまり関係ない。(起業家の)情熱を、可能な限り見る。ビジネスアイデアというのは、(ピボット=路線変更もあるなかで)どんどん変わって行くもの。だから、あまり重要視していない。
僕が投資したいと思えるか。そして(起業家が)“やり切れる人なのか”を見ています」(本田)
本田が選んできた投資先は、基本的にテクノロジー分野のスタートアップだ。ただし、ソフトウェアだろうがハードウェアだろうが、カテゴリーは問わないとも。最近はブロックチェーン技術やAI技術にかかわる企業、個人と個人がつながるC2Cビジネスにも惹かれている。
「C2Cみたいなものにも興味がある。これまで、間に人が必要だったものが(必ずしも)いらなくなりつつある。(C2Cは)無駄を省くテクノロジー。さすがに、イーロン・マスクのようにロケット事業はなかなかできないので、僕の好きなもの(に投資している)」(本田)
本田の出資の意思決定スタイルは、基本、即断即決だ。
プロサッカー選手や監督としての多忙な時間を縫ってビデオチャットで面談し、その日のうちに意思決定する。
実際の話として、個人でエンジェル投資をした50社とも、ほぼその場で出資を決めていると言う。翌日になって撤回するようなことは「ほとんどない」(本田)。
「プログラミングを勉強している」の真意
2018年に報道された「本田圭佑がプログラミングを勉強している」というニュースは、IT業界を駆け巡った。
約3年前から始めたエンジェル投資家としての活動は業界では知られたものになっていたが、自身でもプログラミングを学ぼうとするのは、まったく次元が違う話だからだ。
学ぼうと思ったきっかけは、エンジェル投資家と、経営者としての活動に関係しているようだ。
「(プログラマーになろうとか)背伸びをするつもりはない。ただ、技術者と今後働くことが増えるだろうことは間違いないと思っていた。
人の気持ちを理解して、コミュニケーションをとる際に最も大事なのは、人(相手)の立場を考えること。(ソースコードを書く)その作業がどれだけ大変なのかを知るために、(プログラミングを学びに)行った。
プログラマーになりたくて行ったわけではない、という情報だけは、最初に説明しておきたい」(本田)
同時期に話題になったのは、本田のエンジェル投資などを扱うKSKグループが、「GitHub」(ソフトウェアの共同開発プラットフォーム)上にアカウントを開設したことだった。
このアカウントが実は本田自身のものだったことも、本田の言葉から明らかになった。
プログラミングスクールの「TECH::CAMP」(テックキャンプ)のカリキュラムの一貫で、作成したものだそうだ。
「プログラミングを学んで、率直に教えてください。面白かったですか?」
西脇が投げかけると、思わず本田は無言になった。
「あれ……これ流れ的には……」と西脇が苦笑に包まれた観客に続けると、本田は少し黙ったあと、こう続けた。
「大変だな、と思いました。……僕はうそをつくのがあまり好きではないので……。面白いか面白くないかというのは、なかなか分かっていない段階なので、そのレベルまでまだ行っていない」(本田)
「僕がエンジェル投資をする」原体験は2008年
セッション後半に語った本田自身の言葉によると、自身がエンジェル投資や起業などサッカー選手以外の「ビジネス」を手掛けようと決めたきっかけは、11年前の2008年。海外に飛び出したときの体験だった。
現地で、自分の子供と同じような年齢の貧しい子供たちがたくさんいるのを目にした。こういう子供たちを助けるために何か行動を起こせないか、と、後年サッカースクールを作った。
しかし、運営してみて、これだけでは意味がないことにも、気づいた。
「なんとか子供たちに大きな夢を持ってもらおうと(サッカースクールを)やった。でも当たり前なんですが、僕が本当にターゲットとしている子供たちは、経済的に何も解決されない。学校をやめて、親の仕事を手伝って(いる子供たちが)、このスクールに通えるわけがない。
経済的に何かコミットしないと(彼らの助けにはならない)。そういう意味で、“投資”を始めたんです。ベンチャー投資を通じて、社会課題を解決したり、(子供の貧困を助けたり)世界的に成功するような企業に投資できたらな、と。そういう思いで(エンジェルを)始めたのが3年前です」(本田)
本田は「“誰もが夢を追い続けられる世界にしたい”というのが僕らのグループの行動指針」だとも言う。
こうした流れを背景に、いま本田は、指導者と生徒をマッチングさせる学びのプラットフォーム「Now Do」の本格立ち上げを進めている。CEOは本田自身だ。
Now Doの公式サイト。
「プラットフォームとしては、(こういうC2Cの仕組みは)別に斬新じゃないんです。でも一言で言うと教育革命につながると思っていて。
成功している人って、その人の能力が高いのか?というとそうじゃないんですよ。
僕にしてもそうですが、指導者に恵まれていたというのがある。親、先生含めてです。
いま、多くの人(生徒)が指導者に恵まれていないんです。でも、その人へのレッテルとしては“才能がない”“能力がない”で片付けられるんです。そんなわけない」(本田)
語気を強めて、本田は一息に続ける。
「(その意味で)僕は少なくとも育ってきた環境は運が良かったかもしれないけど、もっと良い指導者もいたかもしれない。
これまでのサービスだと、指導者は良い仕事をしようがしまいが、給料は変わらない。競争が発生しない。(だから)いい仕事をしたらもっと選ばれて、もっと稼げる、もしくは(指導に対する)単価自体も上がるような仕組みをつくりたい。
夢を実現するために、教育者が努力して、お互いが幸せを追求できるような“習い事のプラットフォーム”で結ばれていく(世界をめざしたい)」
このNow Doのプラットフォームは世界展開も視野に入っている。そのためのエンジニアにも投資するつもりだと本田は言う。
5月18日、本田は自身のツイッターで意味深な投稿をした。
ITエンジニアの皆さん、近いうちに世界を本気で変えたいと思っている仲間を募集しますので宜しくお願いします!
登壇のあと、短時間だが、本田に質問をする機会があった。聞いたのは、まさにこの投稿のことだ。本田によると、やはりNow Doのための開発人員募集の布石だそうだ。
次のサッカーチームの所属がどこになるのかにはもちろん世間の関心は高いが、一方スタートアップの実業家としての本田圭佑の動きにも、2019年はいろいろな驚きがある年になるのかもしれない。
(敬称略)
(文・伊藤有、写真・SAMSON YEE)