「終身雇用見直し」だけではない経団連会長発言の真意。人材入れ替え「ジョブ型」への野心

経団連の中西宏明会長の「終身雇用の見直し」発言が大きな話題になっている。終身雇用とは、入社後から定年まで雇用を守ることであり、正確には「長期雇用」である。

中西経団連会長

終身雇用を見直す必要があると主張する経団連の中西会長(写真は経団連会長就任前の2017年1月)。

REUTERS/Ruben Sprich

なぜ、見直す必要があるのか。中西会長はこう発言している。

「終身雇用を前提に企業運営、事業活動を考えることには限界がきている。外部環境の変化に伴い、就職した時点と同じ事業がずっと継続するとは考えにくい。働き手がこれまで従事していた仕事がなくなるという現実に直面している。

そこで、経営層も従業員も、職種転換に取り組み、社内外での活躍の場を模索して就労の継続に努めている。利益が上がらない事業で無理に雇用維持することは、従業員にとっても不幸であり、早く踏ん切りをつけて、今とは違うビジネスに挑戦することが重要である」(5月7日定例記者会見、経団連発表)。

これだけを読むと「今の事業の盛衰が激しい時代では雇用を守ることは難しい」と言っているようにしか聞こえない。

だが、中西氏の言いたいことはこれだけではない。一連の発言を追っていくと、終身雇用を構成する日本的雇用システム自体の見直しを求めていることがわかる。

就職活動

日本では、新卒一括採用、定期昇給、生活の保証といった仕組みが当たり前だった。

撮影:今村拓馬

日本的雇用システムとは、職業スキルのない学生を「新卒一括採用」によって大量に採用し、入社後は研修や職場教育によって会社の事業活動に必要なスキルを長期にわたって身につけさせる。

そして、毎年給与が上がる「定期昇給」や各種手当てによって家族を含めた生活を保障し、終身雇用で雇用の安定を約束することで後顧の憂いなく社業の発展に貢献してもらう仕組みだ。

中西会長が「日本的雇用システム」に言及し、波紋を呼んだのは2018年9月の就活ルール廃止の可能性について言及したことが始まりだった。

「終身雇用制や一括採用を中心とした教育訓練などは、企業の採用と人材育成の方針からみて成り立たなくなってきた」(2018年9月3日、定例記者会見より)

そして2019年4月22日、経団連の肝いりで開催された「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」の中間とりまとめに関する記者会見では、こう発言している。

「新卒一括採用で入社した大量の社員は各社一斉にトレーニングするというのは、今の時代に合わない。この点でも考え方が一致した」(記者会見発言より)

中途採用ではなぜダメなのか

就活

新卒学生を一括に大量採用して一斉に研修を行うのは、今の時代に合わない、と中西経団連会長。

reuters/Yuya Shino

中西発言の要諦は、終身雇用の根幹である「新卒一括採用」と、それと対になっている「企業内人材育成」が時代に合わない、見直すべきということだ。ということは人材を長期に囲いこむ必要もない。必然的に終身雇用を堅持する必要もなくなるということだ。

もちろん技術革新のスピードが早く、ビジネスモデルがめまぐるしく変化する今の時代では、事業に必要な人材を一から育てていたのでは間に合わないし、事業の買収と同じように外部からスキルを持つ人材を雇い入れるというのはわかる。

だが、現実には中途採用も行っている企業も多い。その都度必要な人材の一部を中途で採用すればよいではないかと思うし、新卒一括採用を含む終身雇用の仕組みまで見直すというのは極端すぎないかという気がする。

狙いは「ジョブ型雇用」の導入

学生

今後は、学生個人の意志に応じた、直線的で多様な採用形態に取り組むべきだとした。

shutterstock

仮に終身雇用を廃止した場合、それに代わるシステムはあるのか。中西会長の本当の狙いとは何か。

その一部をうかがい知ることができるのが前述した産学協議会の「今後の採用とインターンシップのあり方に関する分科会」の中間とりまとめである。そこにはこう書かれている。

「新卒一括採用と企業内でのスキル養成を重視した雇用形態のみでは、企業の持続可能な成長やわが国の発展は困難となる。(中略)

今後は、日本の長期にわたる雇用慣行となってきた新卒一括採用に加え、ジョブ型雇用を念頭に置いた採用(以下、ジョブ型採用)も含め、学生個人の意思に応じた、複線的で多様な採用形態に、秩序をもって移行すべきとの認識で、産業界側と大学側が合意した」

大学側が心から合意したのか、渋々合意したのかわからないが、中西会長の日頃の思いが見て取れる。中西会長が描くのはズバリ「ジョブ型雇用システム」である。

「人基準」か「仕事基準」か

ジョブ型雇用と日本的雇用システムとは真逆の関係にある。

日本の場合は、その人の潜在能力や特性を見て「この仕事ならやれそうだ」と、配置(配属先)を考える。そしてある程度技能が向上すると、「この仕事もやれるのではないか」と期待を込めて次の仕事を与える。つまり人を見て仕事を当てはめる「人基準」が基本だ。

ビジネスパーソン

欧米では、その仕事をこなせる人を当てはめる「仕事基準」が基本だ。

shutterstock

それに対して欧米の場合は、やるべき仕事(職務=ジョブ)が明確に決まっており、その仕事をこなせる人を当てはめる「仕事基準」が基本だ。

だから、日本では専門性を持たないノースキルの学生でも採用されるが、欧米では専門スキルが重視される。

しかも必要な時に必要なスキルを持つ人を採用する「欠員補充方式」が主流だ。重視されるのは顕在化したスキルだけであり、もちろん年齢も関係はない。欠員補充なので元々採用数自体が少ないうえに、職業経験を積んだ人が好まれるので学生が優遇されることもない。

「彼は人柄も真面目でチャレンジ精神にあふれている。おまけに上位校出身だ」というだけでは採用されない。これがジョブ型採用だ。

給与もジョブで決まる(職務給)。どんな職務を担当しているかという仕事の内容と難易度(ジョブグレード)によって細かく規定されている。

ヨーロッパでは業種ごとの産業別労働組合と使用者側が話し合って企業横断で職種・職務ごとに賃金を決定している。ジョブで決まる以上、仕事と関係のない扶養手当や年齢給、持ち家の有無で決まる住宅手当もない。

同じ職務に留まっている限り、25歳と40歳の給与は変わらない。給与を上げようと思えば、がんばって職務レベルを上げるか、給与の高い職務にスイッチするしかないのだ。

スキル重視の欠員補充型では若者不利

合同説明会

ジョブ型採用に変わった場合、今のような90%超の就職率は維持できないだろう。

撮影:今村拓馬

では新卒一括採用を見直し、専門性重視のジョブ型採用に変わったらどうなるのだろうか。間違いなく言えることは、今のような90%超の就職率は維持できないということだ。

欧米では大学を出ても就職できない人が多い。街頭で「私にはこういうスキルがあります」と書いた段ボール紙を掲げてアピールする学生がいるが、決して不況だからそうしているわけではない。「欠員補充方式」である以上、必然的に若者の失業率が高くなり、ごく日常的な光景にすぎない。

しかし、これはまだよいほうかもしれない。

日本で新卒一括採用からジョブ型採用にソフトランディングするにしても多くの課題がある。少なくとも学生がジョブグレードの一番下のアシスタント職で雇ってもらえるような技能や資格などの基礎スキルを大学で身につけさせる必要がある。

だが、現状では一部の専門職系の大学や理工系学部を除いてそうなってはいない。特に学生の数が多い文系大学は、職業教育とはほとんど無縁の存在だった。

就職できなかった学生をどうサポートするか

テクノロジー

今後は、職業スキルを身につけられる教育が不可欠になってくるだろう。

shutterstock

では、どうあるべきなのか。じつは前述の産学協議会の中間とりまとめではこう書いてある。

「今後の課題として、企業側は、ジョブ型で採用する人材に何を期待し、雇用後の処遇やキャリアパスを明らかにすること、大学側は、将来、ジョブ型雇用が増えることが予想される職種(AI人材、データ・サイエンティスト、高度な専門性を持つエンジニア、FinTech人材、商品開発、マーケティング人材等)に対応する教育カリキュラムを実施する必要性が指摘された」

職種に関しては、AI人材など中西会長の出身である電機業界をはじめ、自動車・金融業界が喉から手が出るほどほしい人材に偏っているが、いずれにしても職業スキルを身につけさせる教育が不可欠と言っている。裏を返せば職業スキルを持たない学生は就職が難しいということだ。

また、職業教育を充実させたとしても、ジョブ型採用に転換すると採用数が限定される。全国に780ぐらいの大学があるが、就職を売りに募集している大学の多くが淘汰されるだろう。

さらに大学が職業教育のウエイトを高めれば、それとあまり関係のない非実学系のカリキュラムが減り、大学の教員が大量に失職することになる。大学の淘汰はいたしかたないとしても、就職できない学生と職を失った大学教員をどうサポートしていくかも大きな課題だ。

再教育のための公的支援の必要性

ビジネス

採用形態が変われば、同一企業内の給与格差が広がることが予想される。

撮影:今村拓馬

また、無事に就職できたとしてもスキルレベルに応じて給与が決まるため、初任給が一律ではなくなる。大卒総合職は一律20万~21万円程度という企業が多いが、これが能力・スキルで大きく違ってくる。

すでに技術系に関してはスキル採用を実施している企業も少なくない。ITベンチャーの採用担当者は、

「基本的には初年度の年収は500万円をベースに、400万円台もいれば600万円台の人もいる。ただし、それに見合う成果を出せるかわからないし、2年目で成果を出さないと下がる。入社5年目になると、一番下の年収と上の年収で3倍ぐらいの差がつくこともある」

と語る。

ジョブ型雇用では当然、年功的給与がなくなるため同一企業内での給与格差が拡大することになる。

社員

再教育や再就職、給与の低い社員の生活保障等の支援が必要になってくる。

撮影:今村拓馬

さらに、スキルが陳腐化した社員の再教育と再就職、そして給与が低い社員の生活保障をどうしていくのかという課題もある。

ジョブ型雇用ではビジネスの必要性に応じて、その都度必要なスキルを持った人材を採用するが、その一方でスキルが陳腐化した社員は退出させられる。つまり、より有能な人材を採用する代わりに必要でない社員に辞めてもらうという人材の新陳代謝がジョブ型雇用の特徴でもある。

冒頭に紹介した中西会長の終身雇用の見直し発言は、まさにこことリンクしている。そして制度的には、経済界が長年主張し、政府で着々と検討が進められている解雇規制の緩和ともつながっている。

中西会長は企業内での職種転換は難しいと言っているが、企業内で再教育をしないとなると、公的セクターによる再教育と就職あっせん機能の充実が不可欠になる。日本の労働(転職)市場は大企業社員の離職率が低いため脆弱であり、流動性も低い。ジョブ型雇用が浸透するまでの間の公的支援が重要になる。

中学校

生活費の大きなウェイトを占めるのは子どもの教育と住宅。ヨーロッパでは大学まで無償で教育を受けられる仕組みに取り組んでいる。

shutterstock

もう一つは職務レベルが高くなく、低い給与に甘んじている人の生活の救済である。もちろん本人の努力が足りないといえばそれまでだが、ヨーロッパのジョブ型雇用社会でもかなりの数が存在する。生活費の大きなウエイトを占めるのは子どもの教育と住宅だ。そのためヨーロッパでは小・中・高・大学の無償化に早くから取り組んでいる。

また、住宅に関しても持ち家政策ではなく、安い賃貸住宅に住めるようにする公的支援も手厚い。日本では終身雇用制の下では会社が低金利の住宅ローンを提供し、持ち家を持つことを推奨してきたが、それもなくなる。給与が低くても安心できるような住宅供給政策も必要になる。

70歳定年と終身雇用廃止は矛盾しない

ところで政府は60歳定年後も70歳まで雇用を確保することを企業に義務づけることを検討している(当初は努力義務とし、時期を見て義務化)。一見、終身雇用の見直しと矛盾しているように思えるが、ジョブ型雇用が実現すれば、それほど大きな問題ではない。法的に人材の入れ替えが自由にできるようになれば、会社にとって必要な人材であれば年齢が高くても問題がないからだ。

70歳まで雇用するという制限があっても、実質的には欧米企業と同じようにエイジレス雇用と変わらない。

働く人々

問題はすべての企業、そして働く人たちがジョブ型雇用を望んでいるのかどうかである。

撮影:今村拓馬

いずれにしても長年続いた日本的雇用システムからジョブ型雇用に変われば、移行期の一時的なショックで大きな混乱が予想される。そのための公的支援など国の果たすべき役割も大きい。

問題はすべての企業、そして働く人たちがジョブ型雇用を望んでいるのかどうかである。

経団連はそうした企業や働く人たちの意向調査も発表していない。単に「経営者の誰もが終身雇用は持たないと思っている」といった安易な発言によって、なし崩し的に既成事実化することがあってはならない。


溝上憲文:人事ジャーナリスト。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て独立。人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマに執筆。『非情の常時リストラ』で2013年度日本労働ペンクラブ賞受賞。主な著書に『隣りの成果主義』『超・学歴社会』『「いらない社員」はこう決まる』『マタニティハラスメント』『人事部はここを見ている!』『人事評価の裏ルール』など。

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