【老後資金2000万円問題】年金改革を警戒する高齢者、過剰反応恐れる政府。いまこそ企業にできることとは

年金払え デモ

6月16日、東京・日比谷では、金融庁報告書の内容とそれに関する政府の対応に抗議するデモが行われた。

撮影:西山里緒

ここまでの騒動を、当事者の誰が予想していただろうか。金融庁の報告書「高齢社会における資産形成・管理」(言葉を選ばずに言えば、本来目新しいものなど何もなかったはずのレポート)が、あわや国政選挙の争点となりかねない事態にまで発展している。

報道も政治もにぎやかだ。不安をあおるもの、そもそも常識ではないかと諭すもの。実は老後資産は6000万円必要だとか、いまの高齢世帯の多くは無貯金だとか、専門家たちが毎日のように新たな見方を示してくれる。

資産形成や年金制度について、地に足の着いた議論を求める声もあるが、専門家たちの主張は、ベーシックインカムのような抜本策から在職老齢年金制度の見直しといった地道な取り組みまで、良く言えば多種多様、悪く言えば好き勝手でバラバラ。建設的な議論が進む気配をまったく感じないのは、私だけではないだろう。

老後2000万円問題が明らかにした「2つの事実」

老人 人生100年

「人生100年時代」はもうすぐそこまで来ている。

撮影:今村拓馬

「人生100年時代」の到来が現実のものとなり、国・企業・個人それぞれが社会の大転換と向き合うことが求められるなか、今回の騒動であらためて判ったことが2つある。

1つは、年金に対する国民の不安はやはり非常に大きいということ。

総務省統計局のデータによると、65歳以上の人口(3571万人、2019年3月概算値)はいまや正規労働者の人数(3457万人、2019年1〜3月期速報値)を上回る。老後の資産形成・管理という金融庁報告書のテーマが、世間であっという間に年金制度の話にすり替えられたのは、高齢者の年金改革への警戒心がゆえだろう

そしてもう1つ判ったことは、 国民の不安が大きすぎるがために、政府の取り組みはさらに慎重なものになるだろうことだ。

終身雇用の終えん、単身世帯の増加、非正規雇用の拡大など、さまざまな要因から国民の生活のあり方が多様化するなか、画一的な政策をもってものごとを一気に解決するのはもはや不可能だ。それに、社会保障制度の改革など法整備による対策を打ち出すには、長期的な議論が必要になる。

しかし、高齢化が急速に進むなかで老後生活への不安は日々広がり、深まっており、抜本的な方策ではなくとも、なるたけ早く不安を緩和する「次の一手」が求められている。それが何なのかは誰にとっても自明で、次のようにシンプルなことだ。

1. 60歳以降も働き続け、なおかつしっかりした報酬を得られるようにする

2. 老後のための資産づくりを、なかば強引にでも実施する

3. お金を稼ぐ能力だけではなく、蓄えて長期的な資産にする能力を広める

1.と2.について、企業の人事部門は、いずれ法制化されることを想定している。しかし、政府が今回のような国民の過剰反応を恐れて取り組みを先送りにするのであれば、法整備や社会保障改革を待たずとも、企業が自ら着手すべき時期に来ているのではないか。具体的には何をすべきか、以下で考えてみたい。

定年延長と報酬水準維持が難しい理由

定年延長 60歳 オフィス

平均寿命が今後も延びていく以上、働き続け、しっかりとした報酬が得られる環境をつくるのが、最もシンプルな施策ではないか。

Yagi Studio/DigitalVision GettyImages

1.については、大手鉄鋼4社(日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼所、日鉄日新製鋼)は、2021年から定年を65歳へと延長することをすでに決めている。平均寿命が今後も延びていく以上、働き続け、しっかりとした報酬が得られる環境をつくるのが、最もシンプルな施策と言えるだろう。

ただ、企業人事の現場の声に耳を傾けると、こんな声が聞こえてくる

「定年を延長すると、バブル入社組が退職するまでの時間も延び、若手の登用が遅れるのが課題」(大手食品製造業人事部長)

「活躍する高齢者には70歳以上であっても高報酬で応えたいが、一方で、権利だけ主張して働かない従業員を定年延長するのには抵抗がある」(建設業人事部長)

もう一歩踏み込んで言うと、企業が定年延長に二の足を踏む最大の理由は、いまは低く抑えられている60歳以上の賃金が上昇し、人件費が増加することだ。

いわば「転職市場の弱者」である60歳以上の労働者については、賃金改善が後回しになっている。それはそうだ、良い時代を生きた60歳以上より、現役真っただなかで苦しむ氷河期世代の賃金改善が先ではないか、という声も聞こえてきそうだが、実はこれから長く働かなければならない氷河期世代ほど、60歳以降の賃金水準が改善される恩恵は大きい

そもそも60歳以上の賃金を抑制してきたのは、十分な退職金や年金を受け取れる高齢世代と、現役世代との不公平が顕著だったからだ。しかし、もはや環境は変わった。一部の働かない従業員の存在を理由に、中高齢層の貧困化・少子高齢化社会の変化への取り組みを先送りにするのは、これから先は失うもののほうが大きくなるのではないか。

退職金制度の思い切った転換を

サラリーマン

撮影:今村拓馬

続いて、2.の老後資産の確保の問題。企業において老後資産はこれまで、退職金制度に直結するものだった。しかし、終身雇用の崩壊で転職者が増えたいま、定年退職時の退職金支給額は大きく減少しており、もはやそれだけで老後資産を考えることはできない。

「50代で入社した転職者だと、退職金は管理職でも300万程度が多い」(大手化学品人事部長)

「定年後の継続雇用は、中途入社の人ほど熱心。前職の退職金はすでに生活費として取り崩していて、老後資産がほとんどないという相談を近年よく受ける」(情報システム人事担当)

このような変化に対して必要な取り組みは、転職時の生活を支える退職金と、老後生活を支える退職金の明確な分離だ。

具体的に言えば、中途退職時の退職金は数カ月の生活を支えるためのものとし、一律月給3カ月程度に、その他の退職金はすべて確定拠出型年金に移管して、60歳以降にしか受け取れないように見直すのである。

確定拠出型年金については、資産運用の責任を企業から個人に移管することが最大の導入目的とされる。しかし、原則60歳まで引き出すことができない仕組みであるがゆえに、転職時に生活費として使ってしまうのを防げること、さらには自己都合退職の場合でも減額されず、言ってみれば老後資産が強制的に確保されることも、重要な役割だ。

パナソニック、ソニーなど日本を代表する企業でも、退職金制度の「一部」ではなく「全額」を確定拠出年金に切り替える取り組みが進んでいる。転職によるキャリア形成が当たり前になるなか、確定拠出型年金の活用は急務と言える。

誰も教えてくれなかった「蓄え、資産にする能力」

株価 資産運用

お金を「うまく蓄えて資産にする能力」の教育は日本に欠如している。

Yuichiro Chino/Moment Getty Images

最後に3.だが、お金にまつわる能力には「稼ぐ能力」と「うまく蓄えて資産にする能力」、そして「決められた範囲で生活する能力」がある。ところが、学校教育も企業の人材開発も、勤勉と禁欲を求め続けたためであろう、「うまく蓄えて資産にする能力」言い換えて「金融リテラシー」は、多くの社会人に欠如したままだ。

組織人事コンサルティングを手がける筆者の会社でも、企業向けに50代を対象としたライフプラン研修などを実施しているが、今回問題になっている老後の必要資産額どころか、現在生活費として月々どのくらい使っているかすらご存じない方が、研修参加者の8割を超えるのが実態だ。

金融リテラシーの不足が未来への不安の原因になっているのであれば、企業は形式的な投資教育などでお茶を濁すのではなく、人生100年時代の生き方・暮らし方について、早い段階から必要な知識を提供してその不安を解消していくことこそが、従業員の定着や生産性向上につながるのではないか。

政府にも個人にも期待できないいま、企業の役割

ビル 会社

政府も個人も無力化されたいま、企業の取り組みがいよいよ必要とされている。

撮影:今村拓馬

上記のような取り組みはいずれもきわめて当たり前のもので、企業の人事部門にとって、その必要性はすでに十分認識されているはずだ。にもかかわらず、実際の取り組みが思うように進まないのは、「法改正まで待っておく」という環境変化に対する受け身の姿勢と、「従業員の自己責任」という言葉の呪縛に要因があるのではないか。

バブル崩壊からのおよそ四半世紀、グローバル経済の進展や企業の体力低下により、企業はかつて担っていた従業員に対する責任の多くを、徐々に従業員個人に転嫁していった。

自律した従業員を育てることを人事政策の根幹に置く企業も多く、高齢になっても働き続けられるよう自己研鑽すること、老後資産を自ら確保すること、必要な金融知識を身につけることなどは、企業がわざわざ面倒を見るものではないという考えが定着してきた。

もちろん、従業員がみな自律し、企業と個人の関係がより対等なものとなることは双方にとって理想的なことだ。 しかし、本当にそれだけでいいのだろうか。

自己責任を求めても問題が解消されず、その結果未来の貧困と社会の荒廃までが予想されているいま、次の世代まで幸福の水準を維持しようとすれば、誰かが手を差し伸べなければならない。だが、頼みにしてきた政府は高年齢層に縛られて身動きできない。個人は、氷河期世代を筆頭に、大きなうねりに抗する力を持ち合わせていない。

企業の取り組みがいよいよ必要なのだ。


秋山 輝之(あきやま・てるゆき):株式会社ベクトル取締役副社長。1973年東京都生まれ。東京大学卒業後、1996年ダイエー入社。人事部門で人事戦略の構築、要員人件費管理、人事制度の構築を担当後、2004年からベクトル。組織・人事コンサルタントとして、のべ150社の組織人事戦略構築・人事制度設計を支援。元経団連(現日本経団連)年金改革部会委員。著書に『実践人事制度改革』『退職金の教科書』。

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