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日々働くことを「いいお金儲け」に変えてみる、経済学の父アダム・スミスからの処方箋

私たち働く個人が普段、「経済」の大きな流れや今日に至るまでの歴史をあらためて意識することは、ほとんどありません。多くの人はもっと目の前のことに一生懸命になって働いています。

けれども、経済をもう少し大きな視点で捉えることは、ひょっとしたら、日々の「働く」をより良いものにするヒントを与えてくれるかもしれません。青山大学経済学部教授の中村隆之さんは、著書『はじめての経済思想史』の冒頭で、経済学とは、

「『いいお金儲け』を促進し、『悪いお金儲け』を抑制することで社会を豊かにしようという学問」であり、経済学の歴史は「さまざまな『悪いお金儲け』が力を持ってしまうたびに、それに対抗する手段を講じていくという形で展開されてきた」

と整理しています。そして、そのような流れを理解することが、現在および将来の経済がどうあるべきなのかを考える助けとなり、ひいてはそのことが、私たち一人ひとりの働き方の質を向上させることにつながる、とも。

経済学が一貫して追求してきた「いいお金儲け」とはどういうもので、そのことと私たちの「働く」はどう接続しているのか。私たち一人ひとりが日々の「働く」を良くするために、経済思想史から得られるヒントとは? 中村さんに伺いました。

中村隆之さん


 

PROFILE
中村隆之:青山学院大学経済学部経済学科 教授
1973年、神奈川県生まれ。京都大学経済学部、同経済学研究科で学ぶ。J.M.ケインズに関心を持ち、経済学史を専攻。2004年から鹿児島国際大学、2012年から青山学院大学で教えている。著書に『ハロッドの思想と動態経済学』(日本評論社、2008年)、『はじめての経済思想史』(講談社新書、2018年)がある。

あなたのその仕事は、誰を喜ばせているのか?

——働く個人が普段、経済思想の大きな流れを意識することはまずありません。経済思想の歴史を学ぶことと、普通の人が日々働くことには、どのような関係がありますか?

経済思想が現実にもたらすインパクトは大きなものです。「お金儲け」に関する、そもそもの考え方が変わるわけですから。

ただし、そのインパクトは間接的ですし、影響が表に出るまでにはものすごく長い時間がかかる。だから、新しい経済思想が生まれたとして、その時代を生きる人たちの働き方に直接影響を与えることは、ほとんどないと言っていいでしょう。

けれども、経済思想の歴史を大きな流れとして捉えることは、私たち働く個人に「経済活動の原点」を思い出させてくれます。「そもそも私たちはなぜここで働いているのか」とか、「なぜお金をもらい、ご飯を食べることができているのか」とか。こうした当たり前すぎて普段はあまり意識しないことに想いを馳せるというのも、私たちが日々生き生きと働く上では、大切なことのように思います。

——「経済活動の原点」とは?

誰かを喜ばせたことの対価としてお金を受け取ること。これこそが「経済活動の原点」です。

中村隆之さん。

歴史上初めてお金儲けをいいこととして肯定したのは、「経済学の父」とも呼ばれる18世紀の経済学者アダム・スミスです。それまでは、お金儲けは良くないことである、欲望を抑えない限り社会は良くならないとされてきました。スミスはその考え方を逆転させたのです。

有力者の言うことに盲目的に従ったり、出世のために媚びへつらったりするよりも、お客さん相手に腕一本で商売をし、一人ひとりが自立した生き方をしたほうが、社会は良くなるし、すばらしい人間性が鍛えられる。だからお金儲けをベースとした経済活動は肯定できる、というのがスミスの言いたかったことです。

経済学とは、こうした「いいお金儲け」を促進し、嘘をついたり仲間内で値段を釣り上げて儲けたりする「悪いお金儲け」を抑制することで、社会を豊かにしようという学問です。スミス以降の経済学の歴史は、さまざまな「悪いお金儲け」が力を持ってしまうたびに、それに対抗する手段を講じていくという形で展開されてきました。帰るべき原点は、いつの時代もスミスの考えでした。

私たちは、誰かのために役に立っているという実感があるからこそ、生き生きと働くことができるはずです。そう考えれば、スミスの原点に立ち返って「自分の仕事は誰を喜ばせているのか」と自問することは、私たち働く一人ひとりにとっても大切なことではないでしょうか。

本の山

——そうした観点から見ると、現代はどういう状況にあると言えますか?

いろいろな働き方をしている人がいるから一概には言えませんが、大多数の人は会社組織に属して働いていますよね。同級生や教え子にも、サラリーマンとして組織で働いている人がたくさんいるのですが、私の目には、彼らがとてもつらい思いをしながら働いているように映ります。組織のルールに従うことが優先され、「いいお金儲け」から遠ざけられているように思えるのです。

——組織で働くことがなぜ「いいお金儲け」から遠ざけられることになるのですか?

先ほども言ったように、経済活動の原点は、誰かを喜ばせること(社会に役に立つこと)によって対価を得ること。ですが、組織で働いていると、「自分の仕事が誰の役に立っているのか」を実感しづらいところがありますよね?

個人で働いている人、例えばラーメン屋さんであれば、喜ばせる対象は目の前にいるし、自分が作ったラーメンを直接届けることができますから、「自分が誰を喜ばせることによってお金を得ているのか」を理解するのが容易です。一方、組織で働いていると、毎月決まった額の給料が振り込まれるし、直接お客さんと接する仕事ばかりではないから、これが難しい。

加えて組織には、とにかく「利益を上げよ」という指令があります。組織の構成員である限り、その指令には従わざるを得ない。個人としては社会に役に立つことをしたいと思っていても、そちらの指令に従うことが優先される。だから「いいお金儲け」からは遠ざけられるのです。

学校

「利益を上げること」と「社会に役立つこと」はなぜ矛盾してしまうのか

学生時代には生き生きと自由に生きていたような子も、会社に入った途端に組織人間になってしまうことはよくあります。もちろん、組織のために頑張るのは悪いことではないし、本人が楽しくやっているのであればそれもいいでしょう。けれども、競争に敗れた同僚を「できないやつ」と切り捨てたり、裏側で家族や友人との関係が犠牲になっていたりするのを見ると、経済学に携わる者として、とても心苦しく思います。

経済は成長したし、賃金という意味では、労働者の立場は昔と比べてすごく上がりました。しかし、本当の意味で「質の高い労働」とは、生きがいを感じながら働ける状態を指すはずです。労働者がそうした「いいお金儲け」から遠ざけられているのが現状だとすると、経済学は、克服すべき「悪いお金儲け」をいまだに克服できていないことになります。

——会社組織ももともとは社会を良くするべく生まれたはずです。なぜ「利益を上げること」と「誰かを喜ばせること」が矛盾してしまうのでしょうか?

大きな一因は、金融界のあり方にあると考えられます。そのことを説明するのに、ケインズという経済学者を紹介したいと思います。

イギリスの経済学者ケインズは、一般には、社会が不況に陥ったら政府が市場に介入し、金融政策や財政政策を行うべきという、いわゆるケインズ政策を提唱した人物として知られています。それはもちろん間違いではないのですが、より重要なのは、そうした “処方箋” 以上に “診断”、背景にある考え方です。

中村隆之さん。

世の中のお金儲けには、「一生懸命にものを作ってお客さんを喜ばせることで対価を得るお金儲け」と、「お金でお金を稼ぐ金融界のお金儲け」の2種類があります。

ケインズがこうした政策を提唱した背景には、「金融界のお金儲け」を放っておくと、前者の「一生懸命にものを作ってお客さんを喜ばせることによるお金儲け」が邪魔をされ、結果として経済が回らなくなってしまうという考え方がありました。政府が介入するという “処方箋” は、こうした “診断” の結果だったわけです。

世界恐慌後の「ニューディール政策」など、この考え方は一時は実際の政策に生かされました。その結果、福祉国家体制が充実したし、労働者の権利も向上することになる。

ところが、1980年代に入ると、政府による金融への介入に不満を持っていた人たちがこれを批判。「金融はいいお金儲けを促進するためにある」というもともとの考え方から180度転換し、「金融自身がお金儲けを追求していい」という、いわゆる新自由主義的な考え方に変わってしまったのです。その結果、「金融によるお金儲け」が暴走し、リーマン・ショックという悲劇に行き着いたのは、ご存知の通りです。

——政府による介入という “処方箋” がベストかどうかはともかく、放っておくと金融は暴走し、「いいお金儲け」の邪魔をしてしまうという “診断” は正しかった、と。

さらに、もともとの話に戻れば、株式会社における「利益を上げろ」指令は、結局のところ、株主に対して利益を出さないといけないという話です。だから、その根っこも同じところにあります。組織で働く人たちの現状は、こうした80年代以降の流れの中にあります。ゆえに、働く個人が自分たちの職場を良くしようとか、「いいお金儲け」をしようという考えが取りにくくなっているのです。

リーマン・ショック以降、さまざまな反省がなされていますが、ここから金融を「いいお金儲け」を促進するのに役立つものへと変えていけるのか、それとも再び暴走してリーマン・ショックの悲劇が繰り返されるのか。経済学は正念場を迎えていると言えるでしょう。

中村隆之さん。

働く一人ひとりにできるのは「まず発言する」こと

——そこは経済学の先生たちに頑張ってもらうしかないですね。でも、経済思想によるインパクトが出るのには時間がかかるとするならば、「いいお金儲け」を追求し、生きがいを感じながら働くために、私たち一人ひとりにできることはありますか?

繰り返しになりますが、スミスがお金儲けを肯定したのは、そのほうが一人ひとりが自立した生き方につながるし、その結果として、社会がより良いものになると考えていたからです。その意味で言えば、現代においても、働く個人は組織に使われるのではなく、自立した存在としてあるのでなければなりません。

では、どうすればそういう存在になれるのか。二つの方向性が考えられるだろうと思います。

一つは、労働者一人ひとりが、組織に依存しないでもいいくらいに強くなるという方向性です。例えば、今すぐに会社を飛び出しても転職先に困らないくらいの能力があれば、実際に転職するしないは別にして、組織の言いなりにならずに済むはずです。そういう人はもちろん増えたほうがいいし、一人ひとりが能力を伸ばすべく頑張らなければならないのは確かでしょう。

しかし一方で、自分が強くなることで自立を勝ち取れるのは、ごく一部の人に限られるのではないかとも思います。今は「自由になるために技術を、資格を、さらには英語も身につけないと……」といったメッセージが強すぎる気がします。目的は自立することだったのに、そうした強迫観念に縛られて、かえって苦労している人も多いように見える。

強くなって飛び出すのではないもう一つの方向性は、今いる環境を良くすることです。会社組織のもともとの存在意義は、おっしゃるように、社会に役に立つことをすることで利益もあげること。労働者が本当にやりたいのもそれ。であれば、それができるような場にすればいい、という発想です。

——分かります。けれども「利益を上げろ」指令が強い現状では、それが難しいという話だったのでは?

一気に全部変えることはできないとしても、できることはあるはずです。私が思うに、労働者がまずやるべきは「交渉すること」であり、「発言すること」ではないか、と。

手

いきなり会社全体を変えるのが無理なら、まずは小さなチーム内の話でもいい。交渉して、今までとはなにかやり方を変えてみる。それくらいのことであれば、短いスパンでも可能でしょう。自分がチームを率いるリーダーなのであれば、そういう発言がしやすい雰囲気を作ることから始める、とか。

こうした事例が積み重なっていけば、いずれはもう少し大きなことにつながるかもしれない。さらに、職場環境を良くしていくことが一人ひとりの働く活力になり、売り上げにもちゃんとつながることが分かれば、経営陣や投資の動きだって、ゆくゆくは変わっていくかもしれませんよね?

これまでの日本は右肩上がりで経済が成長していたから、労使の関係がなあなあだったんです。なんとなくお互いに協調してやれば会社も繁栄するし、給料も上がっていくという、win-winの関係だった。だから、働き方そのものを良くするといったことは、ある意味で放置されてきたのです。

けれども、これからの日本はそんなに成長するなんてことはあり得ません。働き方や働く環境を良くしていくためには、ちゃんと交渉しないといけない。長期的に見ればそれは、利益を上げるためにも必要なことでしょう。

中村隆之さん。

もちろん、先立つ物がない状況でいくら「環境を良くして」と発言しても、会社側からは撥ね付けられてしまうのがオチ。であれば、例えば会社のものでも労働者の給料でもない、どちらにも属さないお金を一定量プールしておいて、それを働く環境を良くするために使っていく、というのはどうか。その使い道については、労働者も発言権を持って決められる、というような。

「利益を上げよ」指令が強い現状では、そのような改革自体が簡単ではないのは分かります。でも、簡単ではないからと言って、そのままでいてはなにも変わらない。まずは「発言する」という小さな一歩を踏み出すことからしか始まらないのではないでしょうか。小さくてもいいから成功体験を生み出すことが、次の発言を生み、やがて大きな力にもなり得るのではないかと思います。

中村隆之さん。

(取材・文:鈴木陸夫、企画・編集:岡徳之、撮影・伊藤圭)

"未来を変える"プロジェクトから転載(2019年6月18日公開の記事)

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