アメリカで広がる「中絶禁止」州。なぜ再び妊娠中絶問題は政治の争点になったのか

トランプ大統領

なぜ今、妊娠中絶問題が政治の最大の争点として浮上しているのか。

Reuters/ Carlos Barria

妊娠中絶問題が再びアメリカの政治の最大の争点になりつつある。

レイプによる妊娠を含め、中絶を原則的に禁止する州がここ2カ月で一気に広がりつつあるためだ。アメリカでの妊娠中絶は1970年代の最高裁判決以降、それまでの州による判断から、アメリカ全体で認められてきたが、時計の針が逆に向かっている状況だ。

保守派の判事が増え、最高裁判決も今後変わるかもしれない。「優生保護」という日本では女性の当然の権利がなぜいま、政治的な争点に再浮上してきたのだろうか。

圧倒的多数で「中絶禁止」成立

妊娠中絶

次々と成立する「中絶禁止法」に対して、声を上げる女性たち。

Reuters/ Shannon Stapleton

「中絶の原則禁止」という衝撃的なニュースが全米を駆け巡ったのは、5月半ばだった。

南部の中でも最も保守的なアラバマ州で、妊娠何週目かを問わず、レイプや近親相姦による妊娠でも中絶を認めない内容の州法が成立した。例外的に中絶が認められるのは、母体保護の目的でのみだ。同州議会では上院では賛成25、反対6、下院では賛成74、反対3と、圧倒的といえる数の賛成票が投じられた。

時計の針が逆に向かっている状況だ。それまでは州に任されていた中絶の権利が全米で認められたが、1973年の最高裁判決(ロウ対ウエード判決)以前と同じ状況ということになる。

この州法により、アラバマ州ではもし望まない妊娠による出産を避ける場合、他州のクリニックに行かなければならない。

ただ、1970年代以前には非合法なクリニックが処置をするケースも横行し、「中絶の数は減らない。ただ母体が危険になるだけ」という声が広がっている。

アラバマ州だけでなく、ミシシッピ、オハイオ、ケンタッキー、ジョージア、ルイジアナなど他の南部や中西部諸州でも、胎児の心拍が確認できるとされる妊娠6週間以降の中絶を禁じる州法が成立。こうした中絶権を制限する動きは広がりつつある。

ここで2つの疑問がわく。まずなぜ、「妊娠中絶」が再びアメリカの政治争点化しているのだろうか。そしてなぜ今なのか。

日本の「憲法9条」に相当する問題

キリスト教

キリスト教徒の多いアメリカ。伝統的なキリスト教の立場から中絶は極めて否定的にとらえられている。

GettyImages/ Win McNamee

誤解を恐れず言えば、妊娠中絶問題は日本の憲法9条をめぐる解釈や改憲のような位置づけに当たる。

キリスト教徒の多いアメリカでは、キリスト教的な考え方や倫理そのものが「伝統的価値」になる。その中でも妊娠中絶については、伝統的なキリスト教の立場から極めて否定的にとらえられている。

アメリカのキリスト教徒は人口の8割ほどで、さらに人口の20%から25%が聖書の言葉をそのまま信じる「福音派」である。先進国の中での最も「キリスト教原理主義」的な国家である。福音派は、例えば結婚は男女のものであるという信念を強く持っており、現在最高裁判決で合憲となっている同性婚に対して極めて否定的だ。

LGBTのような多様性にも否定的である。妊娠中絶も「子殺し」という立場を貫いている。この福音派の数字を見ても、いかに妊娠中絶がアメリカ社会の中で大きな争点となることなのか容易に想像されよう。

妊娠中絶禁止派は生命に「肯定的」という意味から、「プロライフ」派と自分たちを位置付けている。これに対して、母体を守る優生保護を含めて、女性の権利としての妊娠中絶擁護が1960年代から現在まで続いている。こちらは中絶という選択肢に対して「肯定的」という意味で、「プロチョイス」派と呼んでいる。この戦いは「文化戦争」として長年政治的にも社会的にも大きな争点となってきた。

中絶の是非はアメリカの世論をちょうど2分している。2018年のギャラップの調査によると、「プロライフ」「プロチョイス」のいずれも48%。興味深いのは男女差がほとんどない点だ(男は「プロライフ」49%、「プロチョイス」47%、女は「プロライフ」47%、「プロチョイス」49%)。年齢的には高ければ「プロライフ」になる傾向がある。

「プロライフ」派となったトランプ氏

トランプ政権

選挙に勝つために妊娠中絶問題で宗旨替えまでした。

GettyImages/ Brett Carlsen

それではなぜ今なのか。それは一言で言えば、トランプ政権の誕生そのものなのだ。

彼は生粋のニューヨーカーであり、多様な人たちが住む都会で生まれ育ち、多様なライフスタイルがあるのが当たり前であるという価値観が根本にあるとみられる。つまり「保守」は仮面。実際、妊娠中絶についての過去の発言もかつては容認派(プロチョイス派)で、プレーボーイとしてのライフスタイルは宗教とは無縁である。

しかし、トランプ氏は2016年の大統領選挙では妊娠中絶禁止派(プロライフ派)に宗主替えした。投票すれば8割を超える確率で共和党に投票する福音派の票が欲しかったためだ。選挙公約にも宗教団体が免税措置を受けるために科されている政治活動の禁止を緩和することを盛り込んだ。

さらに「宗教保守のトランプ政権」というイメージを固定させるために、政権に宗教保守を強力に代弁する人物を据えた。それが副大統領に任命したペンス氏だ。

福音派の権化のようなペンス氏は、共和党の政治家の中でも際立って福音派の政治家だ。ペンス氏はインディアナ州知事時代、宗教的信条から企業が同性愛者などに対するサービスを拒否することを認める「宗教の自由の回復法」を推進したことでも知られている。この法律に従えば、例えばレストランが同性婚のカップルの利用を拒否できる、といったことも可能である。

ペンス氏を副大統領候補に指名したことで、実際に過去の共和党候補と同じように、福音派の票を手放すことはなかった。出口調査では福音派の80%がトランプ氏に投票し、クリントン氏には16%にとどまった。

勢いづく保守の「永続革命」

アメリカ最高裁

保守派5人、リベラル派4人と保守派の方が最高裁の主導権を握ることになった。

Reuters/ Leah Millis

「プロライフ」派となったトランプ氏を後押しする風が吹く。最高裁判事に空席が出たことだ。

アメリカの最高裁は、違憲か合憲かの判断を日本の最高裁よりも積極的に行い、国の政策や社会的に重要な争点に介入する司法積極主義の傾向がある。

1950年代から長年にわたって、リベラル派判事が多かったこともあり、公民権運動に代表されるように市民運動などの政治活動の第一歩としての裁判闘争戦術が展開された。ブラウン判決(1954年、人種隔離違憲)、ミランダ対アリゾナ判決(1966年、被疑者の人権配慮)などは世界的にも有名だ。妊娠中絶を全米的に認めさせた上述の「ロウ対ウエード判決」(1973年)もその中の1つである。

最高裁判事は、アメリカの政策の方向性を左右し、実質的な政治の参加者とも言える重要な人物だ。最高裁判事は長官を含めて9人。終身制のため、1度就任した判事は30年以上勤める場合が多い。社会問題の司法による解決が判事の構成次第で大きく変わってくる。

オバマ政権下では保守派4人、リベラル派4人、中道派が1人だったが、保守派のスカリア判事が2016年2月に死亡し、保守・リベラルのバランスが崩れていた。2016年大統領選の期間中から、最高裁判事の任命人事は重要な争点だった。この欠員に対してトランプ氏は、大統領就任後に保守派のここはゴーサッチ判事を選んだ

アメリカの現在の最高裁(任命年順)

リベラル派 ブライヤー ギンズバーグ ソトマイヨール ケーガン
保守派 トーマス アリトー ロバーツ ゴーサッチ カバノー

さらに大きな動きがあった。2018年、たった1人だった中道派のケネディ判事が引退を決めたことだ。その席にトランプ大統領は、保守派のカバノー氏を任命した。承認公聴会はかつてのセクハラ問題で大きく揺れたが、それでも何とか乗り切った。

これで保守派5人、リベラル派4人と保守派の方が最高裁の主導権を握ることになった。リベラル派の4人のうちの1人であるギンズバーグ判事も高齢で病弱であるため、いつ退任してもおかしくない。保守派はさらに増える可能性もある。そうなると、保守化に有利な判決が続く「保守永続革命」が達成されることになる。

冒頭の「中絶の原則禁止」の州法もそもそも判事任命の動向をみすえながら、今後、最高裁まで持ち込むことを前提に動いているのはいうまでもない。

再びアメリカの政治の最大の争点になりつつある「妊娠中絶」に司法がどう判断するのか。注目が集まっている。

前嶋和弘(まえしま かずひろ):上智大学総合グローバル学部教授(アメリカ現代政治外交)。上智大学外国語学部卒業後、ジョージタウン大学大学院政治修士過程、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了。主要著作は『アメリカ政治とメディア』『オバマ後のアメリカ政治:2012年大統領選挙と分断された政治の行方』『現代アメリカ政治とメディア』など。

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