日本が世界に誇る巨匠・宮崎駿監督。(写真は2014年の米アカデミー賞授賞式のもの)
Frazer Harrison/Getty Images
日本アニメ界の巨匠、宮崎駿監督の代表作品の一つ「千と千尋の神隠し(中国名:千与千尋)」が6月21日、中国で公開され、公開6日目(6月26日時点)で興行収入が40億円(2.78億元)を突破した。
2001年に日本で公開された同作品だが、中国ではスタジオジブリ、宮崎駿監督の作品はこれまで公開が許可されてこなかった。しかし、2018年12月に「となりのトトロ」(中国名:竜猫)が公開されてついに“解禁”され、さっそく興行収入約27億円を稼ぎ出した。(1人民元=15.6円で計算)
6月17日に上海市内の映画館で行われた「千と千尋の神隠し」プレミアム上映会の様子。舞台上に立つのは吹き替えを担当した俳優たち。
出席した現地在住者より提供
北京在住の30代女性は既に何度も見たことあるのに、6月17日に上海で行われた「千と千尋の神隠し」のプレミア上映会に参加した。
「子どもの頃、中央テレビ(国営テレビ)で見ました(※)。宮崎駿監督の良い作品が映画館で見られてうれしい」
※中国では2000年前後まではテレビで日本のアニメが放送されていた。その後、政府の方針で、放送されなくなった。そのため、違法DVDやインターネットを通じて、日本のアニメを見ている20代、30代が多い
6月17日に上海市内の映画館で行われた「千と千尋の神隠し」プレミアム上映会の様子。
出席した中国人より提供
中国の映画市場は9500億円で世界第2位 日本は第3位で2225億円
上海国際映画祭には国内外から有名俳優が参加する。写真左は中国人俳優の王景春(6月14日、映画祭の会見等が行われるクラウンプラザ ホテル上海のロビーにて)。
撮影:大塚淳史
今回公開された「千と千尋の神隠し」は、わずか数日で「となりのトトロ」の数字を抜いている。中国での興行収入が約90億円だった「君の名は。」(中国名:你的名字)や約83億円だった「STAND BY ME ドラえもん」(中国名:STAND BY ME 哆啦A夢)の記録超えは少し厳しいが、50億円、60億円は狙える。改めて中国映画市場で日本コンテンツにチャンスがあることが見える。
国家電影局の発表によると、中国の映画市場規模は、約10年前から経済発展とともに急速に大きくなっていき、2018年の市場規模は約9500億円とアメリカに次ぐ世界第2位。同3位の日本の約2225億円の4倍以上の規模だ。ここ数年は勢いが鈍化しているが、まだ成長の余地を残しており、数年後にはアメリカを抜くと予測されている。
中国・上海では6月15日から24日まで上海国際映画祭が開催。市内各所にある映画館では海外映画の最新作品から過去の名作まで上映されていた。
日本からは「ホットギミック ガールミーツボーイ」(日本では6月28日公開)、「ダンスウィズミー」(日本では8月16日公開)といった最新作や「コンフィデンスマンJP」、「東京物語」、「 新世紀エヴァンゲリオン劇場版」、「AKIRA」など計約60本が映画祭期間中に上映された。多くが前売り券完売という盛況ぶりだった。
上海フィルムマーケットで日本企業の存在感なし
上海国際映画祭のフィルムマーケットの会場。市内の中心部にある。
撮影:大塚淳史
隣の巨大市場を日本側がどう見ているのか。
同時期に開催している上海国際映画祭の公式展示会であるフィルムマーケットをのぞいた。ところが、今回出展している日本の企業はまさかの1社のみ。他の欧米企業や韓国、インド、タイなどのアジア企業が出展している中で、全く日本企業の存在感がなくなっていた。
筆者は8年前から、毎年ではないがフィルムマーケットを見てきている。中国市場の急拡大とともに、上海のフィルムマーケットに出展する日本企業も多かった。2011年〜2012年頃は大手映画会社や番組制作会社、芸能事務所、そして自治体など10社以上が出展していた。前回2年前に訪れた時、日本企業の出展は減ってはいたものの、5社ほど出展していた。
日本の映画、注目のきっかけは韓国のTHAAD配備問題?
今回唯一出展の日本企業「アジアピクチャーズエンタテインメント(APiE)」は、映像制作や版権ビジネスを手がける。3年前に中国・深センに合弁会社を設立、中国以外にも韓国やアメリカに支社を持つ。寺田元社長は中国市場での日本コンテンツの動向をこう語る。
「日本のコンテンツは注目されていて、今年6月までの公開で日本の映画は15本が公開されています。その内3分の2がアニメ映画です。日本の映画への注目が向いたきっかけは、2016年に発生した、在韓米軍へのミサイル配備問題です」
日本でも大きく報道されていたが、2016年に韓国政府は在韓米軍基地に高高度迎撃ミサイル(THAAD)の配備を決定すると、中国が猛抗議し、さらにエンタメ業界からの韓国の映画、ドラマ、そして俳優や歌手まで閉め出したのだ(中国は公式には認めてはいない)。
すると、困ったのが中国国内の映画館だった。映画市場の規模は大きくなっているものの、映画館単館ベースでは厳しい状況の映画館が増えていた中で、ある程度収入が見込める韓国映画が突如上映できなくなった。その空いた枠を埋めるのに目が向けられたのが日本の映画だ。中でも大ヒットに結びついたのがアニメ映画「君の名は。」だった。
「その頃から中国企業の間で、日本のコンテンツの買い占めが一時期、トレンドになりました。東京国際映画祭のフィルムマーケットにも中国のバイヤーがたくさん訪れてました。ただ、中国企業も、利益の出る作品、出ない作品が顕著になり始めてから、しっかり見極めるようになりました。そして、一時は高騰していた日本のコンテンツの金額が、どんどん下がりました」(寺田社長)
フィルムマーケットでは、連日、シンポジウムが開催されていた。
撮影:大塚淳史
とはいえ、中国側の日本のコンテンツへの関心はまだ続いている。寺田社長によると、結果を出しているのはアニメだという。
「ここで気をつけないといけないのは、日本の作品が中国市場に多く入るようになりましたが、日本の作品の興行収入は、『君の名は。』以降は軒並み、良くはありません。中国の配給会社は、興行収入全体25%しか利益として得られません。宣伝費もかけたりするので、最低でも数億円以上の興行収入が出ないと利益が出ない。日本の作品は現状としてなかなかそこまで達していません。それでも、アニメの方が実写より達している」
こういった背景もあり、中国の映画市場でよりチャンスがあるのは、今注目を浴びている「千と千尋の神隠し」であったり「ドラえもん」なのだろう。
今年の上海国際映画祭のフィルムマーケットに唯一出展していた日本企業「アジアピクチャーズエンタテインメント(APiE)」の寺田元社長(写真左)。
撮影:大塚淳史
ただ、日本の実写映画に興味が向いていないわけではない。フィルムマーケットに出展していた日本など海外映画の版権ビジネスを行う「糖糖堂娯楽伝媒」の担当者は「昨年から日本の作品を取り扱い始めました。日本の映画は中国、特に上海で人気です。ただ、日本の作品は権利料が高いですね」と苦笑いだった。
上海国際映画祭の期間中に上映される日本の映画の多くが、前売りの段階で売り切れていた。
撮影:大塚淳史
中国の映画産業にある見えない壁「検閲制度」
日本の映画などコンテンツが、中国市場でチャンスがあると言われているのは版権ビジネスと言われている。既に大手出版社は中国に拠点を置き、自社が持つコンテンツの版権ビジネスなどを行っている。また、テレビ局も自ら、自社で製作したドラマなど番組の販売を行っている。
今回は出展しなかったが、過去に上海のフィルムマーケットに参加したことあるクリーク・アンド・リバー社は、中国に進出したころは映像制作を主目的としていたが、現在、中国では版権ビジネスを中心としている。
同社のライツ・マネジメント・グループで、中国との版権ビジネスを担当する李強氏は「今、中国市場で日本に求められているのは企画力や脚本です。弊社だけでも40タイトルを中国側に許諾しています」と版権ビジネスが活発化しているとする。ミステリーやサスペンスにニーズがあり、東野圭吾、湊かなえ、東川篤哉の作品が人気だという。また、「少女漫画やライトノベルの問い合わせもある」(李氏)という。
上海国際映画祭フィルムマーケットで見かけた、日本の映画を取り扱う中国の会社のブース。
撮影:大塚淳史
ここで中国のコンテンツビジネスにおいてネックとなるのが、内容の検閲制度だ。映画の脚本であれば「国家電影局」(国家新聞出版広電総局電影局)のチェックが入り、「撮影OK」「修正すれば撮影OK」「ボツ」と審査される。この基準が明文化されておらず、映画化ができなかった作品も数多くある。
「検閲制度には複雑なルールが多くあります。例えば、できちゃった婚、つまり結婚していないのに妊娠する内容はNGです。また、主人公は水商売してはだめだけど、第3の主人公はオッケーとか。政治的な内容はだめです。また、お化けとか迷信的なもの、性描写や暴力があるものもだめとか、本当に色々あります。明文化していない上に、審査する人が複数いて、人によってはダメな脚本内容が通過することもある。皆、予測しながら、中国向けの企画や脚本を作っています」(李氏)
この検閲制度に今年公開されたある作品が引っかかり、作品名、設定などを変えることになったと言われる。設定が異なるので世界観が壊れてしまい、原作を知る中国のファンから失望の声が上がっていた。興行収入も期待外れな数字に終わった。
上海国際映画祭のフィルムマーケットの商談エリアの様子。奥には中国映画の海外配信の商談ブースが並ぶ。
撮影:大塚淳史
中国独特の煩雑さ、そして資金回収のリスク。これらによって、コンテンツホルダーである日本企業は、中国市場に対していま一歩踏み出しにくくなっている。ただ、APiEの寺田社長は、経験を重ねることである程度、中国での手法が見えてくるという。
「最初はルールのわからないゲームをやっていましたが、検閲事情に詳しい人を弊社にスカウトするなど、経験を重ねて、今はルールがわかってきました。今、我々は来年公開を目指してアニメ映画を制作中です。中国から何社かオファーをもらっていて、さらにアメリカの会社からもオファーをもらっている。日本、中国、アメリカでの同時公開に向け準備しています」
日本政府は約5年前から「クールジャパン」と銘打ってコンテンツ産業の海外ビジネスのバックアップを仕掛けているが、正直、上手くいっているとはいえない。
一方で着実に海外で、特に中国の巨大市場に入り込んでいる日本企業や、映画人も増えつつある。今後どのように中国市場と日本が関わっていくのか、市場として横ばいの日本にとっては、非常に大きな命題だ。
(文、写真・大塚淳史)