香港返還記念日である7月1日に発生した大規模デモは、日付をまたぐ深夜0時頃に警察によって解散させられた。現場ではガス弾がとんだ。
撮影・吉田博史
香港で再び大規模デモが行われた。当日の午後から深夜まで、その光景を見てきた。
7月1日は香港の人にとって特別な日だ。この日は英国からの香港返還記念日で、毎年デモ自体は行われている。
「5年前の(民主的な選挙を求めた)“雨傘運動”の時は別にして、規模はそこまで大きくなく、平和的なデモは毎年発生していた。今年は時期が時期だけに大規模になりましたね」(30代男性香港人)
現地在住のある男性はこう筆者に語った。午後2時半、ビクトリアパークからデモはスタートした。筆者は、一つ隣の駅である地下鉄・銅鑼湾駅を午後3時に下りた。
地下鉄・銅鐸湾駅はデモ参加者で溢れていた。多くの人が黒い服を着ている。
撮影・吉田博史
地下鉄・銅鐸湾駅から商業施設を通過して表通りへ。商業施設は通常通り営業していて、異様な状況でも観光客と思われる人々が買い物をしていた。
撮影・吉田博史
地下鉄内から既に周囲は人の海。特徴的なのは、黒い服を着ている人が多いこと。
香港大学で法律を学ぶ女性は、「デモ参加にする人は黒い服を着ることで、中国や(香港特別行政区の)林鄭月娥行政長官らへの抗議などを示しています。ただ、今日は白色でもいいとなっていました」と教えてくれた。
彼女に、「先進国では犯罪者引き渡し条例は普通だが、なんでそこまで反対するの?」と意地が悪い質問をしてみた。すると彼女は、「中国の裁判、法律には正義がないからです。自分たちの未来を守るためにも参加しました」と毅然と答えた。
地下鉄・銅鐸湾駅の商業施設から続々とデモ参加者が登場。
撮影・吉田博史
この日は日差しが強く、また蒸し暑かった。
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銅鐸湾エリアを歩いて抗議する人々。
撮影・吉田博史
銅鑼湾から行政区政府の本部建物まで歩いていこうと思っていたが、あまりに人が多く、なかなか前に進まなかった。
当初は雨と言われていた天気は快晴になり、気温は30度超えでとても蒸し暑い。今回のデモでも、5年前の雨傘運動と同じく、傘を差して歩く人々が多かった。あまりの暑さに熱中症で倒れる女性や、吐いている子どもを見かけた。その都度、周囲の人々が介抱し、混んでる中でも人々は道を開けて、倒れた人たちが介抱できる場所に運ばれていった。
レストランの前で水が振る舞われていた。
撮影・吉田博史
デモ行進とともに歩きながら、喉が渇いたと思っていると、レストランの前で店長と思われる男性と若い男性店員が無料でお茶を振る舞っていた。
男性店員に謝意を伝えたついでに、「香港の方ですか?」と何気なく話かけると、男性は苦笑いしながら答えづらそうに教えてくれた。中国本土の深セン出身だった。
「まだ香港で働き始めて2年です。今回のを含めて、こういったデモを見るのは初めてですね」
タピオカの路面店もデモ参加者がいて実質商売にならず。
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デモ参加者を上から眺める人たち。仮面を被っていた。
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デモでは、大半の参加者が広東語で叫んでいる。
発音表記があっているかわからないが、「あーとぉぅー!あーとぉぅ!」と叫んでいたので、どういう意味か尋ねると、漢字で書くと「下台」。要するに「林鄭長官やめろ!」を意味するとのことだった。
もう一つ興味深い場面に遭遇した。
デモの中にいる突然5、6人が中国語で「シャンガンレン!ジャーヨー!(香港人!加油!と書いて、香港人頑張れの意味)」とかけ声を数回出したのだが、周囲は全く同調せず、気のせいかもしれないが冷ややかな空気を感じた。
デモに参加している女性。笑いながら撮影に応えてくれた。
撮影・吉田博史
デモ隊が通り過ぎる中、いつも通り店はやっている。
撮影・吉田博史
デモの終着点である、金鐘(アドミラルティ)にある行政区政府本部までのルートは人で溢れている。ところが、一つ道路をまたぐと、人気は少ないが、普通の日常風景が広がっていた。
移動にあまりに時間がかかりそうだったので、銅鐸湾駅に戻って地下鉄で金鐘駅に移動した。午後5時頃に到着し、駅からすぐの場所にある、政府本部の建物へ向かった。さっきまでいた場所とは打って変わって、緊迫した空気が漂っていた。
行政区政府の本部建物前。デモ参加者たちが集結。
撮影・吉田博史
平和の意味でピース、しているのではなく、ハサミが必要というジェスチャーをする女性。
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行政区政府の本部建物前。デモ参加者たちがジェスチャーで必要な物を伝えていった。
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デモ参加者たちがジェスチャーで必要な物を伝えていった。ヘルメットが必要というしぐさ。
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デモの中心部まで進み、のんきにスマホで写真を撮っていると、突然参加者の女性に声をかけられ、「写真をとっちゃダメ!」と注意された。
彼女に限らず、今回のデモをスマホや一眼レフカメラで撮影する人は各所にいたが、その都度注意され、それがきっかけで罵り合いのけんかが発生している光景をたびたび見た
日中は蒸し暑かったこともあってか、熱さまシートを配っていた。
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夜になると、さらにデモ参加者たちは熱気が帯びていった。
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段ボールを調達して車で運んできていた。
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行政区政府の建物のゲートの一つ。バリケードが築かれている。
撮影・吉田博史
今回のデモ参加者、特に中心部にいる参加者達は、軒並み顔をマスクで隠している。20代の香港人男性がその理由を説明してくれた。
「5年前の雨傘運動の時に、警察がデモ参加者に交じって写真を多く撮って、後に参加者が逮捕されたりしました。だから、わからないようにするためにマスクをしています」
とにかく、プレスジャケットを着ていない、カメラで撮影しようとする人々に大して、デモの参加者たちがどんなに離れていても見つけ出しては、怒声をあげていた。
中高年男性2人がけんかしていたので、周囲の人に理由を聞くと、「一人がスマホでデモ参加者の顔などを撮っていました。香港人とは思いますが、親中派なんでしょうね」。
その男性は、周囲から「早く消えろ!」という声を一斉に浴びていた。
デモの中心部の一角には、6月29日にビルから飛び降りて亡くなった21歳女性の追悼場があった。
撮影・吉田博史
中心部にある壁には、張り紙が多く貼ってあるところがある。近づいていくと、ある一角で手を合わせている人たちがいた。6月29日にビルから飛び降りて亡くなった21歳女性を追悼していた。
大学生だった女性が飛び降りたビルの壁には、犯罪者引き渡し条例改正に対する抗議が書いてあった。すぐ近くで大きな声が飛び交っているのに、ここだけは突然沈黙の世界だ。
撮影・吉田博史
行政区政府の建物前の高架橋の床には林鄭長官たちを風刺するイラストがあった。
撮影・吉田博史
行政区政府の建物前の高架橋の壁や柱に貼られている張り紙。
撮影・吉田博史
行政区政府の建物前の高架橋の壁や柱に貼られている張り紙。
撮影・吉田博史
本部前の道路をまたぐ高架橋の上に移動すると、デモの全体像がよく見えた。今回初めて香港のデモを見たので、これまでと同じか異なるのかはわからない。ただ、非常に統制が取れていることがわかる。ただし、誰か一人が指揮しているというわけでもなさそうだった。
特に興味深いのは、主要な必要物資を伝言ゲームのように伝えていき、それをバケツリレー方式で渡していったり、徒競走かのごとく走っていって必要物資を持っていくことだ。
必要としている物は、ヘルメット、傘、結束バンド、はさみラップ、段ボールをつぶしたもの、赤いコーン、鉄柵など。デモの最前線、政府本部の建物に向けてどんどん輸送していくが、その都度、必要なものをまず一人がiPad上で大きい文字で表示させ、それを見たデモ参加者が大声をあげて、大きなジェスチャーで伝える。
ヘルメットならかぶるようなしぐさを、はさみなら二本指でチョキチョキするしぐさをと、そうやって数百メートル以上先まで伝わっていき、さらにそれをどこからか運んできていた。特に、よくこれだけ集めてくるな、と驚くほど大量の赤いコーンが次々と運ばれてきた。
必要物資が書かれいる張り紙。
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結束バンド、ラップ、段ボールで作った、恐らく防水用の盾。
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大量の赤いコーンが続々と運び込まれていた。
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サランラップをどう使うのかわからなかったが、よく見ていると、段ボールを板状にしてラップでまいていた。恐らく放水などから守る盾として使うと思われる。また、デモ参加者の腕にもラップが巻かれていた。理由を聞くと、「催涙ガスから守るため」だという。効果のほどは正直わからないが、過去の経験からのようだ。
午後9時ころ、議会本部を突破したというニュースが出ていたようだが、現地にいた筆者は、場所のせいか気づかなかった。ただ、建物内の窓からヘルメット姿のデモ参加者数人が見えて、歓声が上がっていた。
隣でみていた50代男性に、なぜ警察はいないのか尋ねると、「午前中も衝突が発生していて、いったん引き上げちゃったからじゃないか。ただ、深夜には戻ってくるだろうね」と話していた。
道路には「Living in HK」と書かれていた。
撮影・吉田博史
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「暴動じゃない、暴政だ」という抗議の張り紙。
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いったん引き上げ、現地のマクドナルドに向かった。そこは、デモ参加者の若者達であふれかえっていた。
日付のかわった午前0時頃、ついに警官が登場した。
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午前0時ごろにやってきた警察官たち。
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身を乗り出してデモを眺めている人。
撮影・吉田博史
日付が変わって午前0時、そろそろ地下鉄の終電に乗って、ホテルに戻ろうと思い、現場に戻った時だった。ドン!という音とともに煙が上がった。いつの間にか、警察車両や警察官の大群が道路を固めていた。デモの参加者たちは、「引き上げろ!危ないから引き上げろ!」と地下鉄駅に行くように促し、一部は警察が来た方向とは逆の方向へ離れていった。
警察達と対峙している一段が100人近くおり、大丈夫だろうか、とよく見ると、ほとんどが香港や海外の記者達だった。
警察官たちは一斉に、デモ参加者たちが築き上げたバリケードを壊していき、徐々にデモ隊が占拠していたエリアを進んでいき、デモは実質解散となった。あれほど統制取ってバリケードを築いて対抗していたのに、あっさりと崩されていった。
0時頃、ついに警官が登場し、バリケードなどを壊した。
撮影・吉田博史
地下鉄の終電に乗ると、デモ参加者達が続々と乗ってきた。しかし、車掌が扉を閉める度に誰かが体を挟んで、まだ乗っていないデモ参加者に乗るよう促していた。それが5回ほど続き、ようやく扉が閉まって出発すると、大歓声が。そして、駅で降りる度に歓声をあげて、恐らく互いをねぎらっていた。
警察が登場し、後ろに引いた一部のデモ参加者たち。
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デモが実質終わった現場ではゴミが溢れていた。
撮影・吉田博史
(文・写真、吉田博史)