都内に住む10歳の男の子がパワポで作った12ページの資料が話題だ。男の子は4歳の時に発達障害だと診断されており、書かれているのは「発達障害って何?」というテーマ。
男の子は、自分が発達障害であることを知っている。小学4年生の時、学校の「総合」の授業で「共生」をテーマにしたまとめ学習に取り組み、資料を作ったという。
なぜ発達障害をテーマに選んだのか? 周りの人に何を伝えたいと思ったのか? 男の子と母親に話を聞いた。
「みんなでより良く生きる」こと考えたい
男の子は文章を書くのが苦手で、「伝えたいことがあるので、頑張ってパワポで資料を作りました」。パソコンの読み上げ機能を使って、伝えたいことを音声入力。画面に並べた文章をまとめる作業は、母親と一緒に進めたという。
男の子は2019年4月から定期的に渋谷区代官山にある「Branch room」に通っている。発達障害の子どもたち向けの「好きなことを見つける」「伸ばす」ことに特化したフリースクールだ。この日も放課後、Branch roomのスタッフとともに大好きなマインクラフトのゲームを楽しんでいた。
運営する「WOODY」(渋谷区)代表の中里祐次さん(36)が初めてこの「資料」に目を通した時、男の子の自己理解のポジティブさと、周りの人に伝えたいメッセージが明瞭なことに驚き、「これが小学生?」と思ったという。この6月、本人と両親の許可を得て資料をネット上で公開したところ、「全教員と全保護者に読んでほしい」「わかりやすい」「いろんな人がいていい世の中にしたい」などと多くの反響が寄せられた。
まずは資料に目を通してもらいたい。冒頭に「調べようと思ったきっかけ」として、3つの項目が記してある。
- ぼくが発達障害だから
- 発達障害は、体に不自由がある人とは違って、目に見えない。けれど、実は人数は多くて、とても身近な障害。
- 見えないからわかりにくいけれど、発達障害がどんなものか知れば、「みんなでより良く生きる」ということを一緒に考えられる
注目すべきは、そのわかりやすさ。「発達障害って何?」という見出しのページは、パッと見るだけで障害の特性が伝わってくる。
「普通って本当にあるの?」
くつろいだ雰囲気で放課後、「Branch room」で過ごす男の子、「ここにいると、すごく楽しい」。
日本では「発達障害」という言葉自体は広まってきたが、「生活で困ってしまう」中身については、まだまだ理解が追いついていないのが現状だ。
男の子が資料に挿入した吹き出しの「?」の部分を、周りの人がいかに想像できるかが課題なんだなということが、柔らかく伝わってくる。
それに続く「困ること」の一覧は、自分が感じていることだけにとどまらず、「人により困るポイントはさまざまで、『それぞれ』だ」ということが伝わるよう、書き方を工夫してある。
グッときたのは「まとめ」のページ。男の子の率直な思いが綴られている。
ずばり男の子に聞いた。この資料を通して、周りの人に何を伝えたいと思ったの?と。
男の子は10歳という年齢より大人びた口調だが、あどけない表情でこう言った。
「みんな同じじゃない。その一言が大事な気がする。それが結構大事だと思う」
「『普通できるでしょ』とか『普通わかるでしょ』とかみんなは言うけれど、『普通』っていうのが本当にあるのかなと」
「どうして生まれてきちゃったんだろう」
ゲームのコマンドを作るなど、男の子はパソコンでの作業が得意だという。
当初、母親(49)は発達障害という言葉は知らなかった。男の子が幼少期に好奇心が旺盛で興味のあることに飛びつくところは、母親の目に「積極的な子」と好ましく映った。
だが、集団生活を重んじる幼稚園に入ってからは、子育ての悩みが増えた。男の子が他の子たちとの関係をうまく結べず、他の子たちが先生から言われたことをしているときに一人だけ別のことをしていて、日々、先生や友達に怒られる。男の子は、園生活の中で次第に自信を失っていったのだ。
男の子は年中の時、母親にこう訴えた。
「どうして僕、生まれてきちゃったんだろう」
「このままじゃ、この子は壊れる」と判断した母親が区の発達センターに連れていき、男の子が5歳になる少し前に、発達障害の一種、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」と「自閉症スペクトラム(ASD)」の併発だと診断された。
「デコボコちゃん」から徐々に説明
男の子は好奇心や探究心が旺盛、コンピュータ周りのことを大人と話すとき、質問がポンポン飛び出す。
彼はどのように自分の障がいを理解していったのだろう。母親はこう証言する。
「この子が大きくなってからわかるよりも、小さい時から自然とわかるようになっていったほうがいいと思って、Eテレで発達障害の番組が放送されれば必ず観ていました。『あれ、この子と同じようなこと、君もよくやるよね〜』なんて家族全員でワイワイ言いながら」
最初は発達障害という言葉ではなく、「デコボコちゃん」という名前で障害の特性を伝えていたという。小2になり、彼は母親にこう聞いてきた。
「デコボコちゃんって言うけれど、本当の名前は何なの?」
母親はすかさず、こう言って聞かせたと言う。
「あなたの場合はADHDとアスペルガー(現在はASDとして括られている)」
関連する絵本『ふしぎだね ADHDのおともだち』『ふしぎだね アスペルガー症候群のおともだち』も、親子で読んだ。漫画『発達障害のある子の世界 ごもっくんはASD(自閉症スペクトラム障害)』『発達障害のある子の世界 トビオはADHD』を買い与えると男の子自身が興味を持ち、繰り返し読んできた。
そんな風に幼い頃から段階的に知っていったためか、男の子は自分が発達障害だということを、実にナチュラルに受け止めている。インタビューではこう話していた。
——だんだん自分で発達障害のことをわかってくる時、どんな気持ちがしたのかな?
「正直、悪くは思わない。自分は自分なんだから、別にそれでいいじゃないかって思う」
クラスで「お前だけずるい」と言われて
「Branch room」を運営する「WOODY」代表の中里祐次さん。
現在、男の子は小学5年生。知的に遅れはなく、公立小学校の通常学級に在籍している。週に1回は学校に設置されている「特別支援教室」に通う。そこではコミュニケーションが苦手な子どもならば、ロールプレイなどで適切な会話を学んだり、相手の気持ちを考えたりと教育的ニーズに応じた指導がされる。
校長を中心に、学校側は困りごとへの対応に注力しており、情報が共有されている。そのため、通常のクラスでも、各学年の担任が困りごとに一つひとつ対処してきた。
例えば低学年の頃には授業に集中できるよう、机の周りにパーティションを取り付けてくれた。苦手な音が聞こえないように耳栓をつけることや、心が落ち着かない時には保健室や図書室で過ごすことも認めてくれている。
日本では2016年4月に「障害者差別解消法」が施行され、学校や職場では一人ひとりの困りごとに合わせた「合理的配慮」を行うことが義務化された。「うちの子が通うところは、理解のある学校」だと母親は言う。
だが残念なことに、そうした「特別な配慮」が4年生にもなると、「なぜお前だけが特別扱いなんだ」「ずるい」と面と向かって言われ、イジメられる機会がポツポツ増えてきた。男の子は言う。
「先生は僕に優しくしてくれていたんです。でも、みんなには『お前だけずるいよ』と思われていて、それでいじめられちゃったのかなと思って」
男の子の心の中では、「違い」は悪くないんだという思いがある。いじめられている時は、「僕は違うことのほうがいいと思っているのにな……」という考えが浮かんでくるが、友達の前ではうまく言えないのだと言う。
「なくしたいのは差別や争い」
この資料をまとめたのは、いじめなどで学校に行きづらい日々が続いていた4年生の終わりの頃だった。中国人と日本人の両親を持つ女の子が、「言葉の違い」と「言語的なハンデ」からいじめられていて、「可哀想だな」と思ったことも思い出した。最初にテーマに選んでいたのはパラリンピックだったが、それはやめた。「自分の障害のことを発表しつつ、それぞれが違って、得意や不得意があることを伝えられれば」という気持ちが高まったからだ。
「僕が絶対になくしたいと思っているのは、考え方の違いによる差別や争い」
「相手を否定しないで、『こっちもいいと思うけれど、そっちもいいよね。それなら合わせよう』みたいな考え方が持ち込める世界になったらいいなと思う」
結局、発表の日は学校を休み、クラスメイトの前では発表できなかったが、担任の先生と特別支援教室の先生が資料に目を通したという。
特別扱いだけでは「配慮」にならない
「合理的配慮」の義務化に伴い、学校の通常学級でも、障害のある子に対する「個別の」きめ細かい対応が求められるようになった。文字の読み書きに困難がある子だったら、タブレットや音声読み上げソフトで学習するよう手立てを整えるなどだ。
だが、配慮の仕方が「まだまだ発展途上」だと指摘するのは、NPO法人バオバブの樹の理事で言語聴覚士の沖村可奈子さんだ。字の読み書きに障害がある「発達性ディスレクシア」がある子どもとその家族の支援に取り組む。
「漢字の読めない子に、ふりがなを振って別のテスト用紙を用意してくれる先生はいらっしゃいます。でも、本人に説明もなく突然それを渡して、本人がパニックになったことがありました。隣の席の子に、『なんで君だけ違うテストなの』と突っ込まれてしまったのだと。まず、配慮してほしい内容や場面を決めるのは本人です。その上で配慮する場合には、さりげなく。もしくは全員に『違い』の選択肢のバリエーションをつけてあげるといった『もう一歩先の配慮』というのが欠かせません」
この「一歩先の支援」について、一般社団法人日本発達障害ネットワーク副理事長の日詰正文さんは、こう語る。
「国は発達障害という言葉を普及し、風を吹かせたけれど、それをうまく使っていく『使い方』の開発はこれからですよね。風は吹いているだけではダメで、どう配慮したら周りも含めて理解が深まるのか。1人に個別に対応するだけじゃ不十分で、周りの状況を整える『目』も肥やしていかないと」
「皆が違うことを受け入れられるように」
今回、勇気を出してインタビューに応じてくれた男の子に、「どうして取材を受けてみようと思ったの?」と聞いてみた。
「最初は緊張してやめようかなと思ったりしたんですけれど、受けてみようという気分になって」
——じゃあ、ちょっと大きな話になっちゃうけれど、社会の人に伝えたいメッセージというのがあるのかな?
「うーん。僕は互いにわかり合うことで、生きやすい社会がつくれるかもしれないと思っているから」
——将来の夢は?
「はい。まず、僕がみんなと違うことも受け入れられるような人になりたい。それで、そういう人たちを受け入れられる社会を作れたら。あ、作りたいのは、そういう人たちを受け入れられるような会社かな」
——なんだか、すごくしっかりした夢ですね。
「それがダメだったら、ゲーム会社をつくるとか。ゲームのイラストを作ったり、音楽をつくったり。電子系の会社ですかね」
そういうと男の子はニッと笑った。大好きなゲームの話になると、顔がほころぶ。等身大の小学5年生の笑顔だった。
男の子がインタビューを受ける様子を見ていた母親は、感慨深げな表情を浮かべていた。「質問に、彼なりの言葉で答えるその内容に、少し目頭が熱くなる瞬間がありました」
男の子がまとめた資料は、自身の内側から湧き上がる「社会がこうなったら」という実感からの発信だということが、インタビューを通じてよく伝わってきた。毎日のように「違い」に悩んできたからこそ、「違い」の価値がわかっているのだなと。
男の子の言葉から、希望が見えた。こんな発信が増えていけば、私たちの社会はもっと明るくなるに違いない。
(文・古川雅子、写真・今村拓馬)
古川雅子:上智大学文学部卒業。ニュース週刊誌の編集に携わった後、フリーランスに。科学・テクノロジー・医療・介護・社会保障など幅広く取材。著書に『きょうだいリスク』(社会学者の平山亮との共著)がある。