芝コートへの立ち入りを禁止する標識
Peter Nicholls/Reuters
- ウィンブルドンでは長年にわたって、サーブアンドボレースタイルのプレイヤーはますます少なくなっている。
- プレースタイルの変化は、過去50年の芝コートの摩耗の変化に表れている。
- プレースタイルの変化と芝コートに与えた影響はまた、ベースラインからボールを打つことのメリットを奪った。
1968年のオープン化(プロ出場の解禁)以降、ウィンブルドンでの戦略は「サーブアンドボレー」でネットに出ていくスタイルから、ベースラインにとどまり、パワフルなショットで長いラリーを戦うというほぼ唯一の戦略へと移行した。
このプレースタイルの変化は2週間にわたる大会での芝コートの摩耗パターンに表れている。芝コートの摩耗はボールの挙動に影響を与え、戦略にも影響する。
過去50年間に行われたウィンブルドン決勝戦の画像から、プレーの戦略と芝コートの摩耗がどのように変わってきたのかを見てみよう。
1970年:マーガレット・コートがビリー・ジーン・キングを破る。プレイヤーはコート全体を使ってプレーしていた。至るところに摩耗が見られ、パターンはほとんどない。
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1975年:アーサー・アッシュがジミー・コナーズを破る。芝コートの摩耗はまだ広範囲に及んでいる。しかし、すり減っていない小さなエリアが出始めている。
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1980年:ビョルン・ボルグがジョン・マッケンローを破る。摩耗はまだ広範囲に及んでいるが、プレーヤーは通常、左右に動く前に中央を駆け上がったため、摩耗した部分はより真ん中にある。
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1985年:ボリス・ベッカーがケビン・カレンを破る。プレイヤーはまだネットプレーを行っていた。だが、摩耗パターンはネット際とベースライン際が左右に広がっているアルファベットの「I」のような形をしている。
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1990年:マルチナ・ナブラチロワがジーナ・ガリソンを破る。サーブアンドボレーをしない選手の中には、ショットにスピンをかけ、摩耗した芝を利用した者もいた。芝コートの摩耗した部分ではバウンドはほぼ予測不可能になったからだ。
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1995年:シュテフィ・グラフがアランチャ・サンチェス・ビカリオを破る。サーブアンドボレーの痕跡はまだ見られるものの、1990年代半ばまでに芝コートの摩耗はベースライン付近に集中してきた。
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2000年:ピート・サンプラスがパット・ラフターを破る。2000年代初頭までに、ネットプレーはもはや主要な戦略ではなくなった。だが、ペースを変えたり、意表を突く戦略として使われていた。その結果、ベースラインからのショットのバウンドは予測しやすくなった。
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2005年:ロジャー・フェデラーがアンディ・ロディックを破る。まだネット近くに摩耗はあるが、2000年代半ばの大きな変化は摩耗した芝の位置がベースラインのより深い位置になったこと。以前はベースラインの前後にあったが、ほぼ全体がベースラインの後ろになった。
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2010年:セリーナ・ウィリアムズがベラ・ズボナレワを破る。ネットプレーをするプレーヤーが少なくなるにつれ、カバーしなければならないエリアは小さくなった。
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2015年:ノバク・ジョコビッチがロジャー・フェデラーを破る。興味深いことにカバーするエリアは狭くなったものの、同時にプレーヤーがよりパワフルになったため、より深い位置でプレーするようになり、コートのサイズは事実上広くなった。
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2018年:ノバク・ジョコビッチがケビン・アンダーソンを破る。2018年、プレイヤーはよりネットに出るようになったため、ネット近くに少し摩耗が表れた。サーブアンドボレーの時代からは程遠いが、ここ数年はちょっとした“復活”が見られた。
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(翻訳:Toshihiko Inoue、編集:増田隆幸)