6月最後の週末、300万〜400万と言われる数の観光客がニューヨークに押し寄せた。ホテルはクリスマス並みに高騰、地下鉄も大混雑、筆者の住むタイムズ・スクエア周辺では、夜中までバーに長い列ができ、道に人が溢れた。
「New York Pride March」、通称「プライド・パレード」のために、アメリカ中、そして世界中から人が集まったためだ。
50回目を迎えたプライド・パレード。今年は深夜0時まで盛り上がった。
撮影:渡邊裕子
毎年6月最後の日曜に行われるこのパレードは、ニューヨークの夏の風物詩だ。だが、今年のパレードには桁違いに気合いが入っていた。2019年という年が、アメリカのみならず、世界中のLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の人権運動にとって大きな歴史的節目の年だからだ。
6月はプライド月間
6月は「プライド月間」と呼ばれる。「同性愛者はじめ性的マイノリティーの人権月間」という意味だ。
この文脈において「プライド(誇り)」とは、「自分の性的指向や性的アイデンティティに誇りを持とう。人間の多様性を認めよう。さまざまなアイデンティティをもつすべての人を受け入れよう」という意味で使われる。
性的マイノリティは長い間、世界中の国々で自らの性的指向やアイデンティティを否定され、抑圧され、沈黙と羞恥を強いられてきた。それらの人々の生き方を肯定し、本人たちも自分らしく誇り高く生きていけるような寛容な社会にしていこう、という意味が「プライド」という言葉に象徴されている。
アメリカでは、クリントン大統領が2000年に「6月を同性愛者のプライド月間」とし、2009年、オバマ大統領がそれを押し進めて「LGBTプライド月間」と宣言した。今日、このコンセプトはアメリカだけでなく、世界中に広まっている。6月になると、世界中の街でレインボーの旗を目にするのは、このためだ。
参加者は各々レインボーの旗をかかげる。
撮影:渡邊裕子
ニューヨークやサンフランシスコのようにLGBTの多い街では、店のディスプレイにも、ホテルやバーの玄関にも、彼らの人権獲得運動を象徴するレインボー柄が文字通り溢れる。最近では、さまざまなファッション・ブランドが、独自のレインボー柄グッズを期間限定で売ったりもしている。
レインボー柄の旗が初めて使われたのは、1978年、サンフランシスコ・ゲイ・パレードでのことだ。この時オリジナルの旗を作成したデザイナーは、当時、ゲイに圧倒的支持を受けていた女優ジュディー・ガーランドが、映画「オズの魔法使い」の中で歌う「虹の彼方に(Over the Rainbow)」に着想を得たといわれている。ガーランドは、1960年代の時点で同性愛者への理解を公言していた数少ない大スターで、最も有名なゲイ・アイコンとして知られる。
ストーンウォールの反乱
ストーンウォール公式のウェブサイト。
公式ホームページからキャプチャー
なぜ6月がLGBTにとって重要な月なのか。それは、1969年6月28日にニューヨークで起きた「ストーンウォールの反乱(Stonewall Riot)」と呼ばれる事件に起因する。
1969年当時のアメリカでは、49の州が成人同性間の性交渉を(双方の合意に基づいたものであっても)禁止していた。2人の男性同士がダンスをすることも、1971年までは違法だった。性的指向を理由とする解雇は違法ではなかった。同性愛者に酒を提供しただけで酒類販売免許を没収されるという法律もあったので、入口に「Faggots stay out(オカマ立入禁止)」と書いてあるバーもあったという。
当時、同性愛者たちのコミュニティだったニューヨークのグリニッジ・ビレッジに、ストーンウォール・インという人気のゲイ・バーがあった。6月28日、ここに踏み込んだ警察に同性愛者たちが力づくで抵抗。7月2日の夜に沈静化するまでの5日間、激しい抵抗運動が続いた。
数多くの負傷者をだし、13人が逮捕されたこの事件は、同性愛者たちによる前代未聞なレベルの抵抗であり、2000人を超える人々が関わったとされ、アメリカにおける同性愛者の人権獲得運動を盛り上げる決定的な起爆剤となった。
ストーンウォール・インは、現在もバーとして営業しているが、性的マイノリティにとっては聖地とされ、2016年6月、オバマ前大統領によって国定文化遺産保護地域に指定された。2019年6月14日には、LGBTコミュニティへの支持を示すべく、テイラー・スウィフトがここで公演。
28日の記念日にはレディ・ガガがストーンウォールに現れて歌い、「あなた達のコミュニティはここまで本当に頑張ってきた。そのことに誇りを持つべきです」「あなたがあなたであること、その存在を丸ごと祝福してほしい」というスピーチをした。
深夜まで12時間続いたパレード
参加団体は約700、15万人がパレードには参加した。
撮影:渡邊裕子
今年の6月は、ストーンウォール50周年にちなみ、InterPride という団体(世界的にLGBTコミュニティを結ぶネットワーク)が主催する世界的イベント 「WorldPride」をニューヨークがホストすることになったこともあり、例年以上の盛り上がりを見せた。
例年であれば日没ごろ(20時ごろ)にはお開きになるのだが、今年は参加する団体が例年の倍以上となったため、終了時刻は「最後のグループが歩き終わるまで」となった。歩くコースは2マイル(3.2キロ)。途中、ストーンウォール・インの前も通る。
今年の参加団体は約700、約15万人がパレードに参加し、約300万人(主催者計)の観衆が路上からレインボー旗を振り、声援を送った。正午に始まったパレードが終わったのは、深夜0時。実に12時間にわたって続いたのだ。
私は、日本からのグループが18時ごろ出発すると聞いていたので、17時過ぎから五番街で待機した。23丁目で地下鉄を降りると、地下まで爆音が聞こえてくる。地上に出てみると、例年とは比較にならない数の人々が沿道を埋めていた。2015年、米最高裁で同性婚が合憲と判断された直後のパレードもなかなか凄まじかったが、今回はそれをゆうに超える熱気と人出だった。
何より、歩いている人たちも観衆も、年齢・性別・国籍を問わず、みんなが楽しそうな顔をしているのが良かった。目が合うと、誰もが「Happy Pride!」と声をかけあい、ハイファイブをしあう。
結局、18時にスタートするはずだった日本チーム(東京レインボー・プライド)を私が見たのは、ほとんど23時だった。その後まもなく最後のグループが通り過ぎ、警察と清掃車が入って掃除モードになったが、最後のグループが2マイルを歩ききったのは、0時を過ぎていただろう。
“お堅い”企業も参加
ファッション企業だけでなく金融機関といった“堅め”の企業もスポンサーに。MLBなど団体も目立つ。
撮影:渡邊裕子
この数年パレードを見てきて、様変わりしたと感じるのが、参加する企業の増加だ。かつてプライド・パレードというと、ドラッグ・クイーンや半裸(かろうじて下半身だけはカバーしているという感じ)の身体を誇らしげに見せびらかす男性たちが中心だった。
それがここ数年、企業のチームが増えた。しかも、それが実に広い業界を網羅するようになってきている。一つの節目は、2015年の同性婚合法化だったと思う。
ファッション関係(アパレル、化粧品など)の企業は関係者や顧客にLGBTが多いこともあり、昔から積極的に支援してきた。だが最近はそれらの業界にとどまらず、もっと“お堅い”企業も増えている。
今年は大手の金融機関が軒並み大掛かりなフロート(日本でいう山車のようなもの)やバルーンを出し、数多くの社員達が会社お揃いTシャツを着て参加していた。シティバンク、JPモルガン・チェース、バークレイズ、モルガン・スタンレーなどだ。野村證券もフロートを出していた。
その他、大手ホテルチェーン(ヒルトン、Wホテル)、航空会社(ユナイテッド、アメリカン、ブリティッシュ)、小売店(ウォールマート、ノードストロム、ニーマン・マーカス、ターゲット)、リーバイス、ティファニー、L’Oreal、Mac、P&G、ダノン、AT&T、IBM、Salesforce、Uber、Netflix、HBOなども目についた。
また、MLB(メジャーリーグ・ベースボール)、NHL(ナショナル・ホッケー連盟)、NBA(ナショナル・バスケットボール連盟)といったスポーツ関係も。営利企業以外では、ニューヨーク消防署、ニューヨーク大学、俳優の組合、メトロポリタン・オペラ、地元の大学病院、米国聖公会、イスラム教、ユダヤ教、仏教などのグループもあった。
プライド月間はビジネス商機
レインボー色のケーキも。
撮影:渡邊裕子
これらの企業や団体が参加するようになった大きな原因は、社員たちが自分の所属する企業に Diversity (多様性)を認める社風を求めている、ということがあるだろう。
LGBT問題に限らず、「人間の多様性に対してオープンで寛容な企業」と認識されることは、企業にとってブランディング上、さらに人材獲得の戦略上プラスである。それだけでなく、何か雇用関係でもめた時に「この会社は人権保護をちゃんとやっていない」と訴えられないようにするための予防策でもあるのだ。
また、アメリカでLGBT月間は、ハロウィーン、クリスマス、バレンタインデーに並ぶ重要な商機ともなっており、近年はファッション・ブランドのみならず、食産業もこの波に乗っている。「プライド・シェイク」「レインボー・ケーキ」などを出す店まで出てきている。
今日では企業にとって、LGBTコミュニティはもはや無視できない重要な顧客層なのだ。何しろ、LGBTコミュニティの購買力は、年間9170億ドルにものぼると見積もられている。
物議を醸したグーグルの参加
ニューヨーク公立図書館の正面にもデカデカとレインポーのフラッグが。
撮影:渡邊裕子
企業参加に関連して、今年サンフランシスコのパレードを巡って物議を醸した話があった。"Ban Google From Pride" と呼ばれるグーグルの社員グループが、パレード主催者に「(公式スポンサーである)グーグルをプライド・イベントに参加させないでくれ」と陳情したのだ。
これらの社員たちは、「グーグルは、LGBTの社員たちをハラスメントから守るポリシーを採用できていない。そんな会社がプライド・イベントのスポンサーになり、パレードに参加するのはおかしい」と訴えた。
主催者側は、グーグルの参加やスポンサーシップをキャンセルこそしなかったが、これらの社員たちに、公式なグーグルグループとは別に、「グーグルのポリシーに反対する社員たちのグループ」としてパレードに参加することを認めた。
一方、近年プライド・パレードが商業化していることを良く思わないLGBTたちもいる。ダウンタウンでパレードが行われているのと同じ頃、アップタウンでは、Queer Liberation Marchというイベントが行われていた。
こちらは、1970年に行われた第1回目のパレードと同じルートを歩くもので、警察の助けも企業の協賛も一切受けずにパレードを実行、約4万5000人を動員した。主催者たちは、「今日のプライド・パレードは、ストーンウォールの精神をもはや受け継いではいない。大企業が大金を出してフロートをスポンサーし、広告として利用しているだけだ」と批判している。
東京レインボープライドにとってのチャレンジ
日本からも今回、200人以上が参加し、東京レインボープライドがフロートを出した。
【写真】
東京レインボープライド代表の杉山文野さんによると、東京で初めてのプライド・パレードが開催されたのは1994年。当時の参加者数は1000人だったという。今年のゴールデンウイークに開催した「プライド・フェスティバル」では、パレード参加者数が初めて1万人を超え、動員数は20万人を記録した。
大きな節目となったのは2015年。渋谷区と世田谷区が同性パートナーシップ制度を始めた年だ。7月1日からは茨城県が都道府県として初めて同制度を取り入れることを発表。現在、同性パートナーシップを認める自治体数は24にのぼっている。今回は、渋谷区の長谷部区長もニューヨークのパレードに参加した。
だが日本の場合、イベント開催に必要な資金(5000万円)をすべて自分たちで調達しなくてはならないなど、サポートが少ないのが課題だという。例えばウィーン市の場合、市のプライド・パレードに約3000万円、ユーロ・プライドには約1億円相当の公的な支援を出すという。
企業スポンサーも、日本はまだ一口あたりの金額が限られているだけでなく、参加企業も限られている。
杉山さんは今回参加したことであらためて行政との連携や、SNSの発信の仕方、プライド月間全体の構成、PRIDEの意味などについても考えさせられたという。
トランプ時代の反動
トランプ時代になりLGBTをはじめマイノリティに対しての差別を許す空気が生まれている。
Reuters:Carlos Barria
同性婚、就職における差別の撤廃はじめ、性的マイノリティの人権は、この50年で確実に進歩を見せている。だがアメリカでも、その闘いが終わったとはまったく言えない。
トランプ大統領が就任以来、移民、イスラム教信者、黒人、女性などさまざまなマイノリティに対する差別や侮蔑をよしとする発言を頻繁に行っているのはご存知の通りだ。LGBTもその一つで、実際トランプ政権になってから、「宗教上の良心」を理由に、LGBTへの差別を許す立法も、いくつかの州で進んでいる。
2016年、オバマ政権は、トランスジェンダー(生まれた時の体と心の性が一致しない性的マイノリティ)の男女が米軍に入隊できるようし、自身が認識する性別に基づいて米軍で勤務することを容認した。
トランプ政権は、これを巻き戻すべく2017年、トランスジェンダーの入隊を無期限に禁じる措置を講じた。2019年1月、米国最高裁判所は、このトランプ政権の措置を認める決定を下し、4月には国防総省がその措置を発効させ、出生時の性別での入隊を義務付けた。
2019年6月、レインボー旗の掲揚を巡って、トランプ政権と複数の米国大使館が対立し、ニュースになった。オバマ政権以来、米国大使館におけるレインボー旗の(公式な旗棒を使っての)掲揚に関する許可は、簡単な手続きですむはずだったが、2018年ポンペオ国務長官の就任とともに規則が変わった(ポンペオ長官は福音派キリスト教信者で、結婚は異性間のみに認められるべきであると信じる人物)。
今年イスラエル、ドイツ、ブラジル、ラトビアなど複数の大使館が、プライド月間のレインボー旗掲揚許可を求める申請を行ったところ、それらのすべてが国務省にはねられたのだ。
それでも、複数の大使館(ドイツ、韓国、インド、チリ、オーストリアなど)は、大使館の建物を虹色にライトアップしたり、公式の旗棒以外でレインボー旗を掲揚したり、虹色のバナーを玄関に吊るすなどして、LGBT支援を表明した
このニュースを受け、カリフォルニア、ウィスコンシン、ニューヨークなどいくつかの州知事は、あえて州政府のビルにレインボー旗を掲揚し、LGBTコミュニティへの支持を示すとともに、トランプ政権のポリシーへの反発を示している。
アメリカ史上初のゲイ大統領候補
アメリカ史上初となるゲイの大統領候補者、ピート・ブティジェッジ。
Reuters:Leah Millis
そんな中、アメリカの同性愛者たちを取り巻く環境の進歩を感じる象徴的な出来事があった。
6月27、28日の2日間、民主党の大統領候補者による初回ディベートが行われた。注目を集めた1人が、「ピート市長」の愛称で知られるピート・ブティジェッジ(37)だった。
現職のインディアナ州サウスベンド市の市長。保守的なインディアナ州で初めてゲイだと公表した上で当選した市長であり(29歳で初当選)、3月の出馬表明以来、「若かりし頃のバラク・オバマを連想させる」と注目を集めてきた。
ハーバード大学を卒業後、ローズ奨学生としてオックスフォード大学に留学。ギターとピアノ演奏はプロ並みで、8カ国語を自在に操る。2014年には市長を休職してアフガニスタンに従軍。2018年に、現在の夫であるチャスティンと結婚している。
3月までまったくの無名だったブティジェッジは、この3カ月間で2580万ドルを集め、バイデンを除く民主党候補者の中で飛び抜けている。2008年のオバマ・キャンペーンさながらに、非常に幅広い層からの寄付を集めていることが特徴でもある。
さらに、この第1回目のディベートの司会者は、MSNBCのニュース番組ホスト、レイチェル・マダウだった。彼女は、大手テレビ局においては初の、同性愛者であることを公表しているホストだ。
1970年、ニューヨークにおける初回プライド・パレードの時のチラシには、こう書かれていた。
「これが一体何につながるのか、誰にもわからない。我々はただ、同性愛者たちが社会の重要な一部となるような社会、つまり人間として扱われるような社会になる日が来ることを望んでいる。( “What it will all come to no one can tell. It is our hope that the day will come when homosexuals will be an integral part of society — being treated as human beings.”)」
それから50年が経ち、数え切れない数の人々の努力と犠牲の上に、アメリカはとりあえずここまで来ることができた。
今回のパレードで目にした横断幕の一つに、こんな言葉があった。「Tomorrow starts today」。明日は今日から始まる。50年前の6月28日があったから今日がある。そしてこれからの50年も、今日から始まる。そう思わされた今年のパレードだった。
(敬称略)
渡邊裕子:ニューヨーク在住。ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修了。ニューヨークのジャパン・ソサエティーで各種シンポジウム、人物交流などを企画運営。地政学リスク分析の米コンサルティング会社ユーラシア・グループで日本担当ディレクターを務める。2017年7月退社、11月までアドバイザー。約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社、HSWジャパン を設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。Twitterは YukoWatanabe @ywny