日本は実験台?「財政再建しなくても破綻しない」話題の経済理論MMTとは

印刷される米ドル紙幣。

印刷される米ドル紙幣。「自国の通貨を発行して借金ができる国が財政破綻することはない」という異端の経済理論「MMT」が注目を集めている。

REUTERS/Gary Cameron

自国の通貨を発行して借金できる国が財政破綻することはない。だから財政再建のために政府の支出を減らしたり税や保険料の国民負担を増やしたりしなくても、借金を膨らませて費用を賄えばいい——。

アメリカで一部の経済学者らが提唱し、主流派の学者から異端視されながらも世論の一定の支持を得る「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory、MMT)」。「巨額債務を抱えているのにインフレも金利上昇も起きない日本が実例だ」と発言した米ニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授が7月16日、東京都内で講演し、改めてMMTの正当性を訴えたニュースも注目された。

本当にそんなうまい話があるのだろうか?アベノミクスは「異端」の領域に踏み込んでいるのか?提唱者の著作を分析した専門家に聞いた。

現状への問題提起は「共感できる部分もある」

アレクサンドリア・オカシオコルテス氏。

アメリカで史上最年少の女性下院議員となったアレクサンドリア・オカシオコルテス氏。彼女が支持を表明したこともあり、MMTの知名度は一気に上がった。

Rick Loomis/Getty Images

2018年、アメリカで史上最年少(29歳)の女性下院議員となり旋風を巻き起こした民主党のアレクサンドリア・オカシオコルテス氏が支持を表明し、一気に知名度が上がったMMT。ニッセイ基礎研究所専務理事の櫨浩一さんによると、標準的な理論体系があるわけではないという。ここでの議論は、経済学者ランダル・レイ氏の著作「Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems」(2012年)に基づく。

「MMTは現実経済の描写と、それに基づく政策提言という2つの部分から成ります。前者には共感できる部分もありますが、後者については賛同できない部分が多いです」(櫨さん)

櫨さんが評価するのは、単に政府が財政赤字を減らそうとするだけでは景気が悪化し、結果として財政赤字は期待したほど減らないおそれがあることをMMTが強調している点だ。

ニッセイ基礎研究所専務理事の櫨浩一さん。

ニッセイ基礎研究所専務理事の櫨浩一さん。

撮影:庄司将晃

MMTは、ある国の経済状況を考える時、政府・企業・家計・海外という「部門」ごとの金融資産と負債の差額=純金融資産の動きを重視する。前提として、ある国の純金融資産はすべての部門の収支を合計するとゼロになるとしている。単純化して言えば「誰かの赤字は、他の誰かの黒字になる」。この考え方自体は、主流派経済学と同じだ。

するとどうなるか。政府が財政赤字(負債)を減らすと、それに伴い企業や家計などの黒字(純金融資産)も減る。その時、企業や家計が収支の悪化を避けるために支出(企業による投資や人件費への支出、家計の消費支出)を減らせば、景気が落ち込む可能性がある。そうなると当初の想定よりも税収が減り、財政はそれほど改善しないというわけだ。

「この点は財政再建に関する議論で無視されがちなので、MMTがこの問題を改めて提起しているのは正しいと思います。

つまり財政再建を成功させるためには、政府は支出の削減や増税による収支改善の努力をするだけでなく、企業に設備投資や賃上げ・雇用増を促す税制改革や規制改革などもしっかり進めなければならない、という結論を導くことができます。これは重要なポイントだと私も考えます。

ところがMMTが主張する問題解決の方向性はいま話した内容とは異なり、『失業者の増加や企業の投資の減少といった経済活動の縮小均衡を避けるためには、政府は財政再建をせず、さらに借金をして財政赤字を増やし、支出すべきだ』としています。これは間違いだと思います」(櫨さん)

まずは「財政破綻を厳密に定義すべきだ」

ひび割れた1000円札。

財政再建をしないと、本当に財政破綻するのか?この問題を考える時には、「財政破綻」を3つのケースに分けて議論すべきだと櫨さんは言う。

fatido/Getty Images

櫨さんは、「自国の通貨を発行して借金ができる国が財政破綻することはない」というMMTの主張を検討する際には、「財政破綻」を厳密に定義すべきだという。

「財政破綻は3つのケースに分けられます。

(1)原理的に財政赤字が借金によって賄えなくなる

(2)今の制度のもとでは財政赤字が借金によって賄えなくなる

(3)原理的には可能だが、別の問題が生じるため財政赤字を借金で賄わない方がマシ

——というものです。

MMTは(1)の財政破綻は起こらないと言っているにすぎません。自国の中央銀行(日本なら日本銀行)に、政府が(国の借金証書にあたる)国債を買わせて自国通貨(日本円)をどんどん発行させれば、際限なく政府の支出を賄うことは原理的には可能です。

理由は後で説明しますが、日本を含む主要国では、中央銀行が国債を政府から直接買い入れることを法律で禁じています。MMTは、そのような制約があるなら法律や制度を変えてしまえばいいので(2)についても問題ない、というとらえ方をしています。

この点、各国の財政当局関係者や財政学者は(2)の財政破綻が起きると主張することが多いので、MMTの論者との間で議論がかみ合わない場合が目立つのです。

しかし最も重要な問題は、たとえ法律や制度を変えたとしても、(3)は起こり得るということです」

MMTも、政府が借金を膨らませて支出を増やしていけば、やがて全体として国内の需要が供給を上回り、いずれかの時点でインフレが起きるとしている。

万一インフレが加速し、お金の価値がどんどん下がっていくとどうなるか?

インフレに伴って価値が上がりやすい不動産や株式といった資産をたくさん持つ富裕層には、それほど悪影響はないかもしれない。しかし、わずかな蓄えや年金に頼る高齢者の暮らしは一気に苦しくなり、賃金が物価ほど伸びなければ現役世代の生活も大打撃を受けるなど、大多数の人が困ることになる。これが(3)のケースだ。

MMTもインフレのリスクは認めている

ジンバブエの街角。

2008年、ジンバブエの首都ハラレの物売りのそばで、真新しい「5000万ドル」紙幣を持つ住民。財政破綻に伴い、ハイパーインフレが人々の暮らしを直撃した。

REUTERS/Mike Hutchings

「MMTの提唱者の間では、(景気が良く、仕事を選ばなければ誰でも職に就ける)完全雇用の状態になるまでインフレは起きないと主張する人もいますが、レイ氏は完全雇用に至る前でも物価上昇が加速する可能性はあると認めています。

いずれにしてもインフレが起きたら、その時点で政府が支出削減や増税などによって物価上昇を抑えるから大丈夫、というのがMMTの考え方です。例えば、年金や生活保護の増額を物価上昇率より低く抑えて実質的な政府支出を減らす、といった手段を用いるとしています」(櫨さん)

そうした引き締め策が絶妙のタイミングで、かつ「引き締めすぎず、緩すぎもせず」という完璧な内容で実施されれば、深刻な問題は生じないのかもしれない。ただ、櫨さんは次のように指摘する。

「インフレが起きたら引き締めるという手法では、タイミングが間に合わないおそれがあります。例えば増税や支出の削減は、法律を国会で成立させたうえで、さらに実施まである程度の期間を設けるといった手順を踏むことになります。

そもそも政府が常に最善の政策を実行するとは限りません。みんなにとって心地よいインフレ率のゾーンはかなり狭く、その範囲に収まるように政策をファインチューニング(微調整)するのはとても難しいことなのです。

歴史を振り返れば、政府に自由に通貨を発行できる権限を与えると、必ずと言っていいほどその権限を乱用して大惨事を引き起こしてきました。だからこそ今では主要国は、政府の言いなりになるかもしれない中央銀行が国債を直接買い入れることを禁じているのです」

アベノミクスとMMT「ほぼ同じという言い方もできる」

安倍晋三首相と日本銀行の黒田東彦総裁。

安倍晋三首相(右)と日本銀行の黒田東彦総裁。政府が借金を雪ダルマ式に膨らませながら高水準の支出を続けられているのは、日銀による「異次元の金融緩和」のおかげだ。

REUTERS/Toru Hanai/Pool

日銀が国債を民間金融機関から大量に買い入れ、市場をお金でじゃぶじゃぶにして景気を刺激する。これがアベノミクスの柱である「異次元の金融緩和」の肝だ。

政府はそのおかげで、「これほどの借金は返せないのでは」と考える人が増えて国債に買い手がつかなくなる事態を心配せずに、借金を膨らませながら高水準の支出を続けられている。

「政府と日銀は別々に存在しており、日銀は国債を政府から直接買ってはいません。確かに現状はMMTそのものではありません。

ただ実態として、日銀は政府が発行する国債の大半を間接的に買い入れており、日銀の金融政策を決める審議委員も政府寄りの人が多数を占めています。見方によっては、MMTとほとんど同じだ、という言い方もできるかもしれません」(櫨さん)

かつて政治家は右肩上がりの経済が生み出すパイを切り分けていれば良かったが、低成長が当たり前となり、「誰かを助けるには誰かに負担をお願いしなければならない」時代になった。「誰も痛みを感じずに問題を解決できる」と訴えるMMTや、それと似たような主張が魅力的に見えることは不思議ではない。今回の参院選でも、国民の負担増も含む現実的なビジョンを示して財政再建の必要性を強く訴える主要政党はない。

「日本は完全雇用の状態が続いています。さまざまな要因がありまだインフレは起きていませんが、今後は急に物価が上がり出す可能性も十分にあります。

景気が今より少しスローダウンしても、街に失業者があふれるような状況ではありません。大きな危険を冒してまで、財政拡張や金融緩和といった景気刺激策をさらに追加する必要はないと思います。思いきりふかしているアクセルを、もう少し緩めてもいいのではないでしょうか」(櫨さん)

「炭鉱のカナリア」という言葉がある。炭鉱で有毒ガスが発生すると、人間より早く気付いて鳴くのを止める習性があるので、労働者はカゴに入れたカナリアを連れて坑道に入ったことに由来する。櫨さんはこの言葉を引いて、次のように指摘した。

「海外のMMTの提唱者や支持者にとっては、先進国でも飛び抜けて財政状況が悪い日本でインフレも財政破綻も起きていないということは安心材料でしょう。でも、炭鉱のカナリア扱いされている日本人にとっては、大した気休めにはなりません」

(文・庄司将晃)

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