コルク所属の新人漫画家たちの「合宿」の様子。講義をするのはコルク代表の佐渡島庸平さん。
撮影:西山里緒
2018年にもっとも売れた本、『君たちはどう生きるか』。漫画化された新版が212万部を超える大ヒットを記録したこの本の作画は、漫画家や作家のエージェント会社・コルクに所属する漫画家が担った。
そんなコルクが、新たに「インディーズレーベル」を立ち上げ、出版分野にも進出すると発表した。この決断の背景には、上記の「200万部ヒット」があったという。コルク代表の佐渡島庸平さんに、その戦略の意図を聞いた。
212万部と5万部の“実力差”
7月上旬、東京・世田谷の広々としたレンタルスペースで、漫画家たちを集めた「合宿」が行われていた。
中心に立っているのは、以前は講談社の編集者として『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』などのヒット企画を生んできた佐渡島さんだ。
ストーリーの組み立て方、表情の作り方……。佐渡島さんの講義を熱心に聞くのは、コルクに所属する新人漫画家たち数人。その後は、実際に絵を描いてみるワークだ。
今まで和やかに話していた漫画家たちも、ワークに移ると表情がグッと真剣になる。コルクは数年のスパンで、こうした新人漫画家たちをサポートする。
「(『君たちはどう生きるか』がヒットする前は)出版社の力を借りる必要ってあるのか、と考えていた」
佐渡島さんはそう打ち明ける。
実際、現在のコルクの収益源は出版社からの印税収入だけではなく、多岐に渡っている。
雑誌の原稿料や紙の出版物の印税収入に加え、電子出版、オンラインサロン、そしてグッズ(物販)からの収益といった作家の収入の一部からエージェントフィーを受け取る、というのがコルクのビジネスモデルだ。
黙々とワークに励むコルク所属の新人漫画家たち。
出版社と組むことの本当のメリットを佐渡島さんが強く感じたのは、『君たちはどう生きるか』の大ヒットを受けてからだったという。
「多分、僕たちが『君たちはどう生きるか』を出版していたとしたら、5万部くらいかな。5万部と212万部という圧倒的な実力差が、そこにはあった」
その最たるものは、新聞広告やテレビでの宣伝、電車での中吊り広告といったマスメディアを駆使した宣伝のノウハウと人脈だ。また、大ヒットが見込める作品に対して億単位の宣伝費をかけるなど、「攻めるぞという時に出版社は強気に攻められる」。
100万部規模の本の宣伝・販売を仕掛けられる出版社と、コルクのように長期的に作家と並走するエージェンシー。
「長期的な戦略と、短期的な戦術を組み合わせる」必要を強く感じたとき「出版社が気持ちよく(コルクと)組める状況をどう作るか」。これが新たな課題として浮上してきた、という。
初めから1〜2万部は売れる作家に育てる
コルクは独立レーベル「コルクインディーズ」を発表した。
10年間の講談社での編集者経験から「編集者が組める・組みたいと思う条件」はよくわかっている、という佐渡島さん。
「漫画でも小説でも、新人の初版は5000〜6000部くらい。それだと人件費などを考えるとトントンだから、やっぱり1万部、2万部は売れる企画に関わりたいって気持ちを、出版社の編集者だったら持つだろうなと」
目安は、出版社に持ち込んだ時点ですでに「1〜2万部の部数は見込める」作家。
数年かけてコルクが新人作家にファンコミュニティを1万人規模にまで育てる過程を担い、100万部単位の企画・宣伝は出版社と手を組む ── これが、佐渡島さんが考える新時代の“ヒットの法則”だ。
ファンとの関係性を築く上で必要となるのが、グッズのように購入するリアルな本だ、と佐渡島さんはいう。ここで考え出されたのが、冒頭に出てきたインディーズレーベル、「コルクインディーズ」だというわけだ。
コルクインディーズでは、市場には流通しない限定版の本の出版を扱う。
「コルクインディーズ」の本が流通するのも、限られた書店数店だ。
出典:コルクインディーズ ウェブサイト
それらを青山ブックセンター・TSUTAYA BOOK STORE 五反田店・渋谷のBOOK LAB TOKYOといったいくつかの選ばれた書店に置き、「漫画家のライブハウス」として積極的にサイン会や交流会を開く。
佐渡島さんは、それをインディーズバンドと熱心なファンに例える。
たった10人でも、熱心なファンが毎日のように作品と接触できる機会があれば、その熱は必ず外へも波及し、作家を「メジャー」へと押し上げるはずだ ── 佐渡島さんはそう読んでいる。
出版業界はハードランディング
2018年の出版市場規模。
出典:全国出版協会・出版科学研究所
こうした新しい取り組みの背景には、漫画業界・ひいては出版業界に対する強い危機感がある。
出版科学研究所によると、2018年の出版市場規模は、前年比3%減の1兆5400億円(電子版と紙を合わせたもの)。紙の売り上げは、ピークだった1996年の半分をついに切った。
他方では、作家エージェンシーという新しい出版のあり方も徐々に広まりつつある。その一例が、『とある魔術の禁書目録』や『ソードアート・オンライン』などの編集者としても知られる元・電撃文庫の三木一馬さんが立ち上げた「ストレートエッジ」だ。
また、YouTubeベースで漫画を発表するチャンネルも増えており、漫画とそのほかのコンテンツの境目は、今までになく曖昧になりつつある。
その中でコルクが提供できる価値はなんなのかと問うと、まずは生き残ること ── というシビアな答えが返ってきた。
「出版社から出てきた人間が出版社を更新する方が、ソフトランディングが起きて多くの人を幸せにするんじゃないかなと僕は思ってやってきた。けれど、ネットからどんどんこういった人たちが出てきていて 、結局世の中の変化はハードランディングでしか変わらないんじゃないかと」
「そのハードランディングの時に僕らは死なないようにしなきゃいけない、という危機感・緊張感をもって日々、生きています」
コルクが開拓してきた「作家エージェント」というビジネスモデルと、新たに発表した独立系の「インディーズレーベル」という考え方。これらが業界のスタンダードになる日は、もうじき来るのだろうか。
(文・写真、西山里緒)