日本人は全体としてみれば、株式などリスクを伴う投資を避け、円の預貯金に資産を集中させてきた。これは「金融リテラシーの乏しさ」を示す事実なのだろうか?
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「老後資金2000万円」問題を契機に、改めて日本における資産形成への考え方、より大上段に構えて「金融教育の必要性」を説く議論を目にする。
「金融リテラシーに乏しい日本人」という指摘がなされて久しい。その際、よく引き合いに出されてきたのが、株式投資への消極性だろう。
「投資から貯蓄へ」が実情だった
【図表1】
現状で国内に1800兆円超におよぶ個人金融資産が存在する割には、株式に10%程度しか配分されていない。この「株式投資が過少である」という事実と合わせて指摘されるのが、「現預金が過大である」という事実だ。過去6年間に日本株が大きく値を上げたにもかかわらず、依然として現預金が全体に占めるシェアが半分以上である。
日本銀行の資金循環統計を元に具体的な数字を確認してみると、2019年3月末時点で日本の家計部門の個人金融資産は1835兆円ある【図表1】。金融危機が発生する直前の2007年6月末時点(1643兆円)と比較すると約192兆円増えたことになる。
だが、内訳を見ると、増加分のほとんどは現預金(外貨預金を除く)であり、790兆円から970兆円へ約181兆円増えている。この間、株式・出資金は203兆円から183兆円へ約20兆円減っている。
金融資産全体に占める割合で言えば、金融危機を経て現預金(外貨預金を除く)は48.1%から52.9%へ上昇したのに対し、株式・出資金は12.4%から10.0%へ低下している。この2時点間だけを比較すれば、「貯蓄から投資へ」どころか「投資から貯蓄へ」と資産形成が進んだことが分かる。
株高でも根強い「現預金志向」
1800兆円超に及ぶ国内の個人金融資産のうち、株式に配分されているのは1割にとどまる。
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2007年6月末から足もとまでの動きを見た場合、日経平均株価は最大で約40%上昇した一方、政策金利は負の領域にまで落ち込んだ(例えば10年金利は1.9%程度からマイナス0.20%程度まで低下した)ことを思えば、このような金融資産の動きは直感的には腑に落ちないという印象はある。日本特有の現預金志向が垣間見える。
【図表2】
日本において貯蓄と投資の大小関係は長年変わっていない。株式に、国債などを含む債券、そして投資信託などを加えた合計を「投資性資産」とし、現預金(除く外貨預金)とのシェアを比較してみると、両者の差は円安バブルと呼ばれた2005~2007年ごろに顕著に縮まったものの、危機を経て再び拡大、その後横ばいが続いている【図表2】。
「日本人は金融リテラシーを欠いている」という議論は、こうした投資性資産への消極性と現預金志向の強さを総称した表現であり、それ自体は大きく的外れではないのだろう。
消えぬ「バブル崩壊のトラウマ」
アベノミクスによって円安・株高が進んだ割には、株式投資のすそ野はそれほど広がってはいない。バブル崩壊の深刻なトラウマが、個人の資産形成に影響を与えていることは無視できない。
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これほど巨大な金融資産が現預金に傾斜し、分散投資がほとんどなされていない状況は、リスク管理の観点から確かに適切ではない。
だが一方、過去20年余りを振り返れば、まず為替市場の歴史は疑いようもなく「円高の歴史」だった。そして、「円高の歴史」はそのまま「(物価が持続的に下がっていく)デフレの歴史」でもあった。「デフレの通貨は上昇する」は教科書が教える事実そのままである。
株についても、調子が良いのはアベノミクスが始まった2012年12月(円安・株高は同年11月半ばから始まっていたが、第2次安倍政権が発足したのは12月)以降の話であって、それ以前は主要株価指数の中で出遅れ感が目立っていた【図表3】。
【図表3】
ちなみに、バブル崩壊直後である1990年初頭を起点として主要国の比較を試みた場合、日本株はその他の株価指数と比較して「横ばい」という印象に収まる。約30年前の株価水準を主要国の中では唯一、回復できていないという事実は家計部門の目にどう映っているだろうか。
アベノミクスの作り出した円安・株高に彩られた上げ相場においても株式保有が進まなかったことに違和感は覚えるが、それ以前に負ったバブル崩壊の深手が陰に陽に個人の資産形成に影響を与えていることも無視できない。
円預金は「失われた20年」にふさわしい運用法だった?
円相場の歴史は「円高の歴史」、「円高の歴史」は「デフレの歴史」だった。理論的には「物価が下がる国の通貨は上昇する」のが正しく、実際にそうなってきた。
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繰り返しになるが、円相場の歴史は「円高の歴史」、「円高の歴史」は「デフレの歴史」であった。そして、株価は基本的には下落傾向を強めてきた。リスク資産の価格が下落傾向にあったのもデフレと整合的な動きである。
もちろん結果論なのだが、「株式を選ばずに日本円の現預金を選んできた」という事実は「日本株がさえず、円高傾向が進んできた」という長年の相場傾向を上手くとらえていたのも確かであろう。
「(日本人が外貨投資に消極的なこともあって)円高傾向が続き、デフレになった」という因果を逆転させた主張も有り得るかもしれない。しかし、理論的には「物価が下がる国の通貨は上昇する」のが正しいのであり、実際にそうなってきたという史実は軽視すべきではない。
過去20年にわたって外貨や株式に投資していた場合、外貨からの金利収入や株式のキャピタルゲイン(値上がり益)は大きかっただろう。「金融リテラシーがあり、適切な分散投資をしていれば、円で現預金という選択よりも高い収益が得られたはず」という主張ももっともである。
だが、その間には危機後の苛烈な円高相場もあったわけで、当時発生した為替リスクを乗り切れなかった投資家も存在したはずだ。
少なくとも「物価が上がらない国」で自国通貨高が実現し、家計部門もこれを選好してきたという事実は、理論的に見て違和感のないものである。
資産形成は最終的には各々趣味嗜好や相場観に依存するものだ。ゆえに、絶対的な解を押し付けるものではない。
しかし、「株式を選ばずに円の現預金」という日本の家計部門が長らく続けてきた資産選択は「失われた20年」と形容される近年の日本経済状況と整合的なものだったという視点は、1つの考え方として知っておいても面白いのではないか。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
唐鎌大輔:慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)国際為替部でチーフマーケット・エコノミストを務める。