REUTERS/Jason Lee
アップルが7月25日、半導体メーカーインテルの「スマートフォン用モデム事業」を10億ドル(日本円で約1080億円)で買収すると公表したことが大きな話題を呼んでいる。
両社の発表によれば、アップルがこの買収で得るのは、約2200名のスマートフォン用モデム事業に関わる従業員、知的財産権(IP)、装置そして各種のリース(オフィスやそれに付随するものだと思われる)だ。
アップルはこの4月に、モデム関連の特許料支払いにおいて、長い間係争関係にあった半導体メーカー・クアルコムとの訴訟を終結させ、その時点でクアルコムのモデムを採用する計画があると明らかにしていた。それと相反するような、アップルの買収劇の狙いを分析する。
インテルが「スマホモデム事業」を諦めた必然性
クアルコムが2月にスペイン・バルセロナで行なわれたMWC19で行なった5G立ち上げを記念したパーティ、クアルコムにとっては競合となるインテル、そしてその顧客と見られていたアップルに対する勝利宣言だった。
今回の買収でアップルがインテルから得るのは、平たく言えば、インテルがスマートフォン用モデムとして開発してきた、スマホに欠かせない「セルラーモデム製品」、そしてそれを開発してきた従業員がそのままアップル傘下に入るということだ(スマホ以外のセルラーモデム事業、例えばPC向けやIoT向けなどは引き続きインテルに残る)。
この背景を理解するにはまず、なぜインテルがスマホ向けモデムを諦め、売却しなければならなかったのかを紐解く必要がある。
インテルがセルラーモデムのビジネスを開始したのは、インテルがドイツの半導体メーカー・インフィニオンテクノロジーズからセルラーモデム事業を買収してからだ(2011年)。
インフィにオンテクノロジーズが売却完了を表明した2011年1月31日付けのプレスリリース。
インフィニオンテクノロジーズは、初期のiPhone向けセルラーモデム(2Gおよび3G)をアップルに供給しており、それがそのままインテルにスライドした。このため、3G時代のiPhoneはインテルのモデムを採用していた。ただし、北米向けや日本市場向けのCDMA版(日本ではKDDIが提供していた3Gの方式はクアルコムが開発)には、クアルコムのモデムが採用されてきた。
しかし、LTEに切り替わる時点(iPhone5時点)で、インテルはLTEに対応したモデムチップの投入がクアルコムに比べて圧倒的に遅れていた。このため、アップルはLTEではクアルコムのモデムを全面的に採用した。iPhone 5以降のLTEに対応したiPhoneの各製品が、これに該当する。
ただ、近年は一部モデルでインテルモデムの採用が再び始まっていた。アップルとクアルコムのセルラーモデム特許の特許料支払いで係争になっていたこともあり、北米向けのモデルではインテルモデムのモデルが用意されるなどしており、その延長線上で5G世代ではiPhoneのモデムはインテルのモデムになると考えられてきた。
2018年2月に「5Gモデム戦争」の雲行きが変わった
2018年のMWCで展示されたクアルコムのSnapdragon X50 5G modemのデモ。
だが、その雲行きが大きく変わり始めたのは2018年の2月にスペインで行なわれた通信機器の展示会「MWC」だ。2018年のMWCでは、現在の5Gの基礎となった5GNRの標準化のスケジュールが前倒しされて、2018年末に標準化が完了すると発表された。
これを受け、通信キャリアは2019年の前半から5Gサービスを開始できるようになった。端末メーカーもそれに併せて2019年前半から端末を投入できることになった。
それと同時にクアルコムは、2018年内に「Snapdragon X50 5G modem」という5Gモデムを投入すると発表、これを利用すれば「2019年前半に、5G対応のスマートフォンが製造可能」だとアナウンスした。
Snapdragon X50 5G modemの半導体チップ(左)。
出典:OnQ Blog by Qualcomm
実はこのSnapdragon X50 5G modemは、元々計画されていた製品ではないのだと、OEMメーカーの関係者は証言する。そもそもこのSnapdragon X50 5G modemはOEMメーカーに対して5Gのテストをするために用意されたチップで、本来は製品化される予定ではないものが、5Gの導入を1年前倒しするために急遽製品に格上げされた、というのだ。
その話の真偽は不明だし確認する術はない(当たり前だがクアルコムに聞いても否定されるだけだし、そもそもテスト用のチップと製品の違いは何なのだという議論もある)。
だが、1つだけ言えるのはSnapdragon X50 5G modemは「フル機能の本命チップではない」ことだけは確かだ。
というのも、Snapdragon X50 5G modemはシングルモードと呼ばれる5Gだけを実現したモデムで、4G以前との互換性を実現するには4Gモデム(クアルコムの場合にはSnapdragon 855などのSoCに内蔵されている)を利用する必要がある。つまり、本体を小型化するには不利な構造だ。
MWC 19のクアルコムブースに展示されたサムスン電子のGalaxy S10 5G、現在は韓国などで実際に販売されている。
5Gの標準化スケジュールが1年前倒しになったため、「クアルコムと係争を抱えていたアップルを除く」すべてのスマートフォンメーカーが、クアルコムの採用に走ることになった。
インテルが対応するのを待っていたら少なくとも1年、もしインテルがロードマップ通り出せなかったら下手をすれば2年、5Gの導入が他社よりも遅れることになる。当然の展開だ。
実際、今年のMWCでインテルはスマートフォンの顧客を1つも獲得できていないばかりか、既に顧客として発表していた中国の半導体企業(SoCベンダー)「Spreadtrum Communications」との契約が破棄されており、むしろ後退していた。
つまり2019年2月の時点で既にインテルの外堀は埋まっていたのだ。
その延長線上に、アップルとクアルコムの和解があり、そして、今回のアップルによるインテルの買収がある。
アップルが買収した最大の目的は「特許」という武器
MWC 19のクアルコムブースに展示されたソニーモバイルの5G搭載Xperia試作機。
アップルが今回の買収をするメリットは何だろうか?
筆者は、大きく言って2つあると思う。
1. インテルの5Gモデムが当面必要だから
iPhone XS MaxとiPhone XS。
Edgar Su/Reuters
1つは、インテルがiPhone向けの5Gモデムをある程度まで開発している可能性。それが今後登場する5GのiPhoneに採用する予定なら、開発は継続しなければならない。
インテルは既にXMM8060という、上位の性能をもつ5Gモデムを今年の後半に出荷開始し、2020年に登場する製品に搭載すると説明してきた。
もちろん、インテルも、アップルも、アップルがインテルの5Gモデムを採用するとは一言も言っていない。しかし、この4月までクアルコムと係争を抱えていたことを考えれば、そういう計画だったと想像することは難しくない。
この仮説が正しいとすれば、インテルがそのスマートフォン向け製品の開発意思を失っても、製品を出すには買収するしかなかったということになる。
2. インテルが持つ特許を、武器としてアップルが必要としていた
アップルへの事業売却を伝えるインテルのプレスリリース
もう1つの理由で、おそらくこちらがメインだと思われるのが、「インテルが持つセルラー関連の特許をアップルが必要としていた」というこだ。
クアルコムはセルラーモデムの開発をベースに発展してきた企業で、特に2G/3G関連の基礎的な特許を多く持っている。それを元にしてライセンスビジネスを行なっている事は広く知られているところだ。そして、ライセンス料が不当だというのがアップルの主張で、それ故に両社は係争になっていた。
ではその特許料を減らすには? そんな魔法のような方法が、実はある。
最もわかりやすいのは、交渉相手が特許を持っているなら自分も特許を持って、それで相殺するという方法(クロスライセンス)だ。
新しい世代の技術(例えば2019年導入された5G)が導入されるときに、できるだけ自社の特許が採用されるようにすればいい。セルラーの規格を決めている3GPPは、通信キャリアや半導体メーカーなどが集まって仕様を決めているので、自社のIPが採用されるかどうかは政治力によって決まる。
もちろんそこでもクアルコムは強いのだが、インテルも5Gには深くコミットしてきたのでそれなりの主張は通せている。実際、NTTドコモが報道発表した「5G規格関連特許出願・寄書の動向分析」では、インテルは5.3%で、7位の出願数となっている。
ドコモの資料「ドコモの5G特許出願ファミリー数が世界の通信事業者で首位」より抜粋。インテル下部の青線は編集部が追加した。
出典:NTTドコモ
それ以前の3GやLTEに関しても、インフィニオンテクノロジーズ時代から引き継いでいるIPが多数あると考えられる。それらと5G関連の特許をアップルは何よりも欲していたはずだ。そう考えれば、今回の買収劇は腑に落ちる。実際、インテルの発表によれば1万7000の無線に関する特許がアップルに引き継がれるとされている。
これらは、スマートフォン用のビジネスを諦めたインテルが持っていても宝の持ち腐れだが、アップルが持っていれば、クアルコムと交換して相殺できるという明快なメリットがある。
インテルのモデム事業を買収すれば10億ドルの支払い1回で終わりだが、特許料は製品1つ1つにかかってくる。今後何十年とモデムを搭載した製品を作り続けると考えれば、10億ドルよりも高くつく、そうアップルは判断したのだろう。
その上で、ライセンスにかかるコストを最低限に抑えてクアルコムのモデムを採用するというストーリーをアップルは描いているのではないだろうか。
(文、写真・笠原一輝)
笠原一輝:フリーランスのテクニカルライター。CPU、GPU、SoCなどのコンピューティング系の半導体を取材して世界を回っている。PCやスマートフォン、ADAS/自動運転などの半導体を利用したアプリケーションもプラットフォームの観点から見た記事を執筆することが多い。