イギリス在住のライター、ブレイディみかこさんの新著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、「底辺託児所」からカトリックの名門小学校、そして再び「元底辺中学校」に舞い戻った息子「ぼく」との1年半を綴ったノンフィクションだ。
人種差別、貧困、LGBTQ……「多様性を獲得できるのは上流階級のみ」という過酷な社会状況にありながらも、理解し合うことを諦めない子どもたち。そんな彼らを見て「今は上の世代が下の世代に学ぶとき」だと著者は言う。
なぜブレグジットが起きたのか。子どもたちの現場を知ることで、その背景が見えてくる。
現場は「底辺保育所」から「元底辺中学校」へ
在米のライター、ブレイディみかこさん。イギリスの労働者たちのリアルを描き続けてきた。
撮影:竹下郁子
ブレイディみかこさんはイギリスに移り住んで23年目。保育士資格を取得し、「最底辺保育所」(ブレイディさん)で働きながら執筆した『子どもたちの階級闘争——ブロークン・ブリテンの無料託児所から』は、グローバル化と共に深刻化する社会の分断を描き出し、新潮ドキュメント賞を受賞するなど(2017年)大きな話題を呼んだ。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、同じく新潮社の月刊誌『波』での連載を単行本化したものだ。
「なりゆきで始めた連載です(笑)。編集者から『今のブレイディさんの現場を書いてください』と言われて、でも保育所は潰れちゃったしなぁと考えたときに、自分の育児の現場があるじゃんと。たまたま息子が入学した中学がユニークだったので、じゃあそのことを書こうと」(ブレイディさん)
「息子」とは、アイルランド人で元銀行員で現在は大型ダンプの運転手をしている「配偶者」と、ブレイディさんとの間に生まれた少年のことだ。
市の学校ランキング1位の公立カトリック小学校で生徒会長を務めるほどの優等生だった彼が、「ホワイト・ウォッシュ(白い屑)」という差別用語で表現される白人労働者階級の子どもたちが通うことで知られていた「元底辺中学校」に進学を決めるところから、エッセイはスタートする。
「多様性」が限られた人だけのものという皮肉
本書によると、イギリスで2016年〜17年度に平均収入の60%以下の所得の家庭で暮らす子どもの数は140万人。これは子どもの総人口の約3分の1だという(写真はイメージです)。
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「ブレグジットの背後にあるもの、イギリスの“地べた”で何が起きているのか。日本にはその情報があまり伝わっていないと感じます」
とブレイディさんは言う。
「ぼく」の中学は学力向上に注力する校長の努力のかいあって、学校ランキングは底辺から真ん中あたりまで浮上している。だから「“元”底辺校」だ。
しかし、アジア人を差別する同級生がいたり、中古の制服を修繕して貧困家庭の子どもたちに50〜100円で販売するボランティアグループがあったり、「ぼく」のインスタグラムには家出か失踪か分からない行方不明になった生徒の情報を求める投稿が流れたりと、課題は多い。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の特設サイト。試し読みや書店員の感想も見ることができる。
出典:『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社サイト
イギリスでは公立でも子どもや保護者が学校を選べる。移民の多いロンドンなどの大都市では話は別だが、地方では奇妙な現象が起きているという。「チャヴ」(これも差別用語)と呼ばれる白人労働者の若者が多い地区の学校は、「人種差別がひどく荒れている」という噂が立ち、ミドルクラスのイギリス人や移民はそうした学校を避けるという。結果として、一部の上流階級や意識の高い人しか多様性を享受できないという「多様性格差」社会になっているそうだ。
小学校時代はランキングの上位校で多様性を享受できる環境に育った息子の「ぼく」は、「元底辺中学校」でさまざまな壁にぶつかる。家族でどうその壁に向き合ってきたかを、切実に、かつユーモアたっぷりに描いた本書には、「自分の子どもに読ませたい」という読者からの反応も多いという。
12歳は大人や教育を疑うには十分な年齢だ
ブレイディさんは読者層は特に想定せずに書いたそう。刊行後、親世代から「子どもに読ませたい」と言われ、意外だったと振り返る(写真はイメージです)。
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「ぼく」が得意な科目に「ライフスキル教育」がある。「シティズンシップ・エデュケーション」、日本でいう「市民教育」のことだ。イギリスの公立学校ではこの「シティズンシップ・エデュケーション」の導入が義務づけられ、中学生には「議会制民主主義や自由の概念、政党の役割、法の本質や司法制度、市民活動、予算の重要性」などがカリキュラムされている。
「ぼく」の期末試験の最初の問題は「エンパシーとは何か」。彼は「自分で誰かの靴を履いてみること」と回答したそうだ。エンパシーは「他人の感情や経験などを理解する能力」のこと。「ぼく」はエンパシーについて授業中に教師が語った話を、こう振り返っている。
「EU離脱や、テロリズムの問題や、世界中で起きているいろんな困難を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なんだって」(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より)
ライフスキル教育の試験では、他にも「子どもの権利」を述べさせる問題などが出たという(写真はイメージです)。
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最近のライフスキル教育の試験では、架空の「知識人の大学教授」を登場させ、「ある教授が『最近の学校はレイシズム(人種差別)について教えすぎている』と言っています。あなたはこの考えに賛成ですか反対ですか。またその理由を述べなさい」という問題があったそうだ。
ブレイディさんは言う。
「この問題がすごいのは、学校で先生が教えていること、つまり学校教育すらも疑えと12歳の子どもに突きつけているところです。大人は正しいか?と。イギリスは子どもの権利について小学校から繰り返し教えますが、シティズンシップ・エデュケーションはここまでやるのかと、正直驚きました。そりゃ考える力もつきますよね。
息子や息子が語る学校の子どもたちの話を聞いていると、たとえブレグジットのような大変なことが起きたとしても、長い目で見ればイギリスは大丈夫だろうと思えるんです。
あの子たちの世代が自分たちで考えて、また世の中を変えていくだろうと」(ブレイディさん)
これは私が息子から学んで成長する本
ブレイディさんたち家族が暮らすのは、イギリスの南東部に位置する都市ブライトン。観光地としても有名だ。
Reuters/Peter Nicholls
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で繰り返し描かれるのは、何度ぶつかっても理解し合うことを諦めない子どもたちの姿だ。
生徒たちが「貧乏人」と「ファッキン・ハンキー(中欧・東欧出身者への蔑称)」の言い合いで取っ組み合いの喧嘩を始めれば、「ぼく」は貧乏人発言をした少年の罰の方が軽かったことを考え込む。
ある生徒は自らのジェンダーを「クエスチョニング」とさらりと話すし、貧困家庭の子どもにリサイクルの制服を渡すときに「ぼく」がかけた言葉は、「君はぼくの友だちだから」とシンプルだ。
「これからは上の世代が下の世代に学ばないとダメですよ。この本だってそう、私が息子から学んで成長してるんです。私たちの常識ではどうにもならない時代になってるんですから。まずは若い世代に何が起きているのか、何に困っているのか話を聞くこと。
そこで私たちが『文句言うな』『我慢しろ』なんて言ってたら既成概念を壊せない子どもしか育ちません。国としてはゆっくり自殺してるようなもの。だって既成概念が正しい保証なんてどこにもないんですから」(ブレイディさん)
ブレア、メイ元首相らが残した教育
テリーザ・メイ(左)、トニー・ブレア(右)元首相ら。2019年6月20日撮影。
Reuters/Henry Nicholls
ブレイディさんはイギリスの若者でもギャップがあると感じている。大学生や大卒の階級ではそうでもないが、疲弊した労働者階級は「体制に反抗するのはダサい」ととらえ、「決められた枠組みの中でうまくやるしかない」と信じる20代が多い一方、「枠組み自体を疑う」ようになっているのが「ぼく」の世代だという。
「世代対立を煽るのは嫌なんですが、世代で人をくくれる何かがあるとすれば、それはどんな教育を受けてきたかだと思います。
息子世代はトニー・ブレア元首相の教育改革の成果が現れてるんです。彼は『多様性』と『社会包摂』を2大柱に掲げて保育所と小中学校の大変革を行った。
ブレアって今は嫌われているし悪いこともいっぱいしたけど、これは心から評価できます」(ブレイディさん)
波風を立てても子どもを守るのがイギリスの教育
FGMや強制結婚を防ぐことをテーマにしたガールサミット。2014年ロンドンで。
GettyImages/Oli Scarff ・スタッフ
同じように教育に成果を残した部分もあるとブレイディさんが考えているのが、ブレグジットの混迷で退任に追い込まれたテリーザ・メイ元首相だ。女性器の一部を切除、または切開する「FGM」の取り締まりを進めてきたのが彼女だという。
FGMはアフリカや中東、アジアの一部で今も続く習慣で、幼児期から15歳までの少女たちに施術されることが多く、出血や感染症で命を落とす危険もある。イギリスでは1980年代から違法になっているが、一部の移民コミュニティでは今もまだ行われているという。
そのためライフスキルの授業で「人権侵害」として教え、「FGMを受けさせられた人や、受けさせられそうな人を知っていたら先生に報告するように」促すのだ。
しかしその授業の後で「ぼく」のクラスでは、あるアフリカ系移民の女子生徒が「心配という名の偏見」にさらされるようになってしまう。ブレイディさんは「予防と偏見は紙一重のところがある」としながらも、言う。
「教えなければ波風は立たない。が、この国の教育はあえて波風を立ててでも少数の少女たちを保護することを選ぶ。
こうやって波風が立ってしまった日常を体験することも、様々な文化や慣習を持つ人々が存在する国で生きていくための訓練の1つなのかもしれない」(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より)
書籍刊行後も本作の連載は続いている。少女と生徒たち、そして学校が迎えた1つの結末が『波』2019年6月号の連載にあるので、こちらもぜひ読んで欲しい。
大人が変わらないと子どもも変わらない
誰もが気軽に社会問題や政治を語る空気が、イギリスにはある(写真はイメージです)。
GettyImages/SolStock
『ぼくはイエローで〜』を読んで驚くのは、11〜12歳の「ぼく」と「母ちゃん父ちゃん」の間に会話の「タブー」がないことだ。政治の話などは日本では家族の間ですら、いや家族だからこそ話すのは難しいという人が少なくない。
ブレイディさんに子どもとどうやったら今の関係が築けたのか尋ねると、「社会がそうだから」と一言。
「パブで近所の人たちと私や配偶者が政治の話をするのを見て、彼は育ってるんですよね。だから自然と『じゃあ自分も話そう』となっただけで。
日本に帰省するたびに驚くのが、飲みに行ったりしても政治の話をする大人がいないことです。不思議に思います。大人が変わらないと子どもは変わらないと思います」(ブレイディさん)
教員も保護者も「反緊縮」運動
総選挙の2カ月後、次の選挙に向けて全国を回る労働党党首のジェレミー・コービン(2017年8月撮影)。
GettyImages/Matt Cardy・特派員
子どもたちにそうした背中を見せているのは、教員たちも同じだ。
「ぼく」が通う「元底辺校」では教員がソーシャルワーカーのような役割を務めざるを得ない状況が続いている。制服のリサイクル、女子生徒への生理用品の提供、時にはお昼ごはんを買ってあげることも。
教員たちは子どもの貧困の原因は、2010年から続く保守党政権による「緊縮財政」だと考え、デモ活動など反緊縮運動を展開している。
ブレイディさんが住む地域では、ほとんどの公立小中学校に「この市(町)は生徒1人あたり年間◯◯ポンド削られています」という垂れ幕が掲げてあるという。
2017年の総選挙で労働党が「反緊縮」を唱えた際には、保護者が「教員が◯人減らされています」「1クラスあたりの生徒数が◯人増えています」などと書かれたビラを配っていたそうだ。子どもの送迎時の校門前で、「だから労働党に投票してね」と言いながら。
『波』7月号は本書の刊行記念特集。高橋源一郎、三浦しをんらが感想を寄せている。
撮影:竹下郁子
選挙では保守党は第1党にとどまるものの過半数の議席を維持できない一方で、労働党は議席を増やした。
「まさに草の根ですよ。イギリスは何十年も前からこんなことをやってきたから、おかしいと思う人はいません。日本も始めなきゃいけないんじゃないですか?」
とブレイディさんは問いかける。
6月21日に投開票があった参議院選挙の投票率は48.80%と、衆院選を含め全国規模の国政選挙としては戦後2番目の低さだった。
「政治に関心がなかったり、何か困っているときにその原因が社会にあるかもしれないと思えないのは、そもそもそういう教育しかされてないから。
日本に帰省するたびに生きづらい社会になってると感じるんですが、これを変えるにはやっぱり教育を変えていくことですよ。
教育って学校でのことはもちろん、家庭や社会でもそうです。
私も、息子だけ私だけの考えではダメかもしれない、でも2人で一緒に考えることでベストな答えが導き出せるはずだと思って、毎日息子と接しています。
大人が子どもの話を聞く態度、子どもに向けて発信する言葉1つ1つがが本当に大切だと思います」(ブレイディさん)
(文・竹下郁子)
ブレイディみかこ:保育士・ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年に新潮ドキュメント賞を受賞し、大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補となった『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』をはじめ、著書多数。