韓国の半導体大手、SKハイニックス製のメモリーチップ。もし日本政府による輸出管理強化によって半導体材料の供給が滞れば、SKやサムスン電子といった韓国経済を引っ張るハイテク企業にとっては打撃だ。
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日本政府による韓国向け輸出管理の強化を巡り、「不当な経済措置だ」と反発する韓国側は世界貿易機関(WTO)への提訴の準備を進めている。日本側は「WTOのルール上問題はない」との立場で、両国の主張は真っ向から対立する。
ここにきて「アメリカが両国の仲裁に動いている」という報道も出ているが、実際にWTOの紛争解決手続きに持ち込まれたらどうなるのか?国際経済法とWTOに詳しい早稲田大学の福永有夏教授に聞いた。
安倍首相ら「元徴用工問題も一因」
早稲田大学の福永有夏教授。
撮影:庄司将晃
日本政府は2019年7月4日、半導体製造に欠かせない「感光材」などの輸出手続きを厳しくする措置を発動。具体的には、日本企業が「包括的な輸出許可」を取れば契約1件ごとの許可は不要としてきた優遇措置について、韓国への輸出については適用を止めて通常の手続きに戻した。
さらに、武器などに転用できる品目の厳格な輸出手続きを簡略化できる「ホワイト国」(アメリカ、ドイツ、フランスなど27か国)の指定から、近く韓国を外す方針も表明。そうなれば、個別の輸出許可が必要となる品目が一部の工作機械などにも広がる。
経済産業省はこうした措置をとる理由について、以下のように説明している。
(1)日韓間の信頼関係が著しく損なわれ、信頼関係の下に輸出管理に取り組むことが困難になっている。
(2)韓国に関連する輸出管理を巡り不適切な事案が発生した。
一方、「信頼関係が損なわれた」背景について安倍晋三首相や菅義偉官房長官は、韓国の最高裁が日本企業に賠償を命じた韓国人元徴用工訴訟の問題に、韓国政府がきちんと対応しないことが一因だという趣旨の発言をしている。
この訴訟では、第2次世界大戦中に「徴用工として強制労働をさせられた」という韓国人が日本企業に損害賠償を求めた。日韓両政府とも「1965年の日韓請求権協定で解決済み」としてきた元徴用工への補償問題が、最高裁判決により一転して蒸し返された格好だ。
判決を受け、原告側は賠償金を確保するため、日本企業が韓国内に持つ資産の売却手続きを進めている。日本政府は企業に実害が生じないための対応を求めているが、韓国政府は今のところ静観しており、両国間の関係悪化は深刻だ。
「WTOは加盟国の主権に配慮し、基本的に各国の判断に干渉しすぎない『控え目な判断』をします。WTOの紛争処理手続きに持ち込まれた場合、日本政府による今回の措置は正当化される可能性が高いとは思います。
しかし、輸出管理の問題を政治問題と関連付けるのは好ましくありません」(福永教授)
最大の論点は「安全保障上の理由があるか」
2018年10月30日、ソウルに集まった元徴用工の男性とその支援者。この日、韓国が日本の植民地だった時代に徴用工だった韓国人4人への賠償を新日鉄住金に命じる判決が確定し、日本企業関係者らに大きな衝撃を与えた。
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WTO協定の中にある関税貿易一般協定(GATT)は、一部の例外を除き関税などによらない輸出入数量の制限を禁じ(11条)、WTO加盟国が他の加盟国に「最恵国待遇」(ある加盟国が最も有利な待遇を与えている第三国よりも不利でない待遇)を与えることを求めている(1条)。韓国側は日本の措置は「政治的動機に基づく貿易制限措置」であり、これらの条項に違反していると主張する。
一方、GATTは加盟国が「自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要であると認める」措置については、例外的に許されるとしている(21条)。今回の措置はこれに該当するので問題はない、などと日本側は説明している。
「現状を見る限り、日本政府による今回の措置は、特にGATT1条については違反とされる可能性も否定できません。
そこで最大の論点となりそうなのが、今回の措置が21条で規定される『例外』にあてはまるかどうかです。
『輸出管理を巡る不適切な事案』がどのような内容か、日本政府は公表していませんが、そう判断できる何らかの出来事はあったのだと思います。
21条を巡る加盟国間の争いについて、WTOの紛争処理手続きで判断が示された例はほとんどありませんが、この条文は加盟国にかなりの裁量を認めています。日本政府が今回の措置をとった理由が安全保障上のものだけであるなら、WTOの紛争処理手続きにおいて、日本側の主張が正当化されない証拠は今のところ見当たりません」(福永教授)
トランプ政権の「WTO破壊」に日本も加担?
安倍晋三首相(左)と菅義偉官房長官。2人とも、今回の韓国向け輸出管理強化の理由とされた「信頼関係が損なわれた」背景について、韓国政府が元徴用工問題にきちんと対応しないことが一因だという趣旨の発言をしている。
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一方で、福永教授は次のように指摘する。
「今回の措置がとられた理由のうち、実際には安全保障以外の要素がどれくらいあったのかが問題です。日本政府要人の一連の発言という『状況証拠』から見て、今回の措置が元徴用工問題と全く無関係だと言うには無理があります。
21条は、何が安全保障上の理由にあたるかについて加盟国に広い裁量を認めているだけに、乱用される危険性が高い。だからこそWTOの加盟国は、これまで21条を根拠にした貿易制限の措置の発動は慎重に行ってきました」
アメリカのトランプ政権は2018年、中国など世界各国から輸入される鉄鋼・アルミ製品に追加関税をかける際、「安全保障上の理由」を根拠とした。だが、実際の目的が「貿易赤字の削減」であることは、トランプ大統領自身が公言している。
「自由貿易を推進するWTO体制をトランプ政権が壊そうとしているのに対し、WTO体制からメリットを受けてきた日本は、破壊的行為を止めるために戦うことを期待していたのですが。むしろトランプ氏がつくった新しいルールのもとでゲームをプレーすることを選んでしまったのか、と残念に思います」(福永教授)
元徴用工と輸出管理「総合的な協議が必要」
保護主義を掲げるアメリカのトランプ政権は、中国などから輸入される鉄鋼・アルミ製品に追加関税をかける際、「安全保障上の理由」を根拠とした。だが、実際の目的が「貿易赤字の削減」であることは、トランプ大統領自身が公言している。
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WTOの紛争処理手続きは次の通りだ。
まず2国間で協議し、まとまらなければ一審に当たるパネル(紛争処理小委員会)で審理。その決定に当事国のどちらかが不服の場合、二審にあたる上級委員会に持ち込まれ、最終的な決定が下される。一連のプロセスには2、3年かかるのがふつうだ。
ただ、上級委のメンバーはアメリカによる再任・補充の拒否によって欠員が出ており、WTOの紛争処理機能は機能不全に陥りつつある。日韓の争いについて最終的な決定が出るまでどのくらいの時間がかかるかは不透明だ。
「仮にWTOでどちらかが勝訴したとしても、ここまで大きな政治問題になってしまっただけに、負けた方の国では世論の激しい反発が起き、問題の最終的な解決にはつながらないでしょう。
日韓両国とも『絶対に負けたくない』のがホンネでしょうから、WTOが決定を出す前に、いずれかの時点で互いに受け入れ可能な合意を探る可能性はあると思います。
実際問題として、元徴用工と輸出管理の問題がリンクされてしまった以上、これらの問題を政治的に高いレベルで総合的に協議して解決することが必要ではないでしょうか。
もし日本政府が韓国の不適切な輸出管理のみを問題にしたかったのであれば、タイミングが悪すぎるとしか言いようがありません」(福永教授)
(文・庄司将晃)