40歳になった浜崎あゆみを今こそ語りたい。叩かれる歌姫がくれる勇気【告白本最速レビュー】

『M 愛すべき人がいて』(小松成美・著/幻冬舎)

デビュー前夜からブレークまでの、浜崎あゆみの軌跡が綴られている『M 愛すべき人がいて』(小松成美・著/幻冬舎)。

撮影:西山里緒

8月1日、浜崎あゆみが、エイベックス会長・松浦勝人氏との恋愛を告白 ── 。〈事実に基づくフィクションである〉との注釈はつけられているものの、そのニュースを最初に見た時、アッと息を飲み、一瞬、時が止まった。

すぐに取り憑かれたように、このニュースに関する情報をTwitterで探した。その間、じんわりと私は考えていた ── ああ、ついにあゆについて語らなければならない時が来てしまったんだ、と。

平成の終わり、あゆは十分に語られたか

渋谷

浜崎あゆみは「平成の歌姫」と呼ばれる。

Ting Him Mak from Hong Kong, China / CC BY 2.0

あゆのブーム最盛期だった2002年。小学生だった私は、ほかの何万人の子どもたちと同じようにあゆの真似をして、500円で買ったしっぽのキーホルダーをジーンズの腰にぶら下げていた。

雑貨屋さんで買った420円のメモ帳に、パイナップルの匂い付きのペンでせっせと書いていたのは、あゆの歌詞だった。

あゆが流行らせた迷彩柄の肩出しTシャツ。今でも覚えているのはきっと、それを自分でも着てみたかったからなのだろう。その服装は、クラスの中でもイケている、可愛い女の子にしか許されない特権なのだ、と、当時から気づいていた。

あの頃、私たちにとってあゆは、カルチャーで、ファッションで、メディアで……。歌手という枠組みには到底収まらない存在だった。あゆに似ている人なんて、誰もいなかった。

けれども私たちはいつからか、あゆについて語ることをやめてしまった。

同時代を彩っていた宇多田ヒカルが「人間活動への専念」のために休業し復活した時も、安室奈美恵が引退した時も、私たちは、浜崎あゆみについて十分に語らなかった。

栄光を求める女性への冷笑

浜崎あゆみ

なぜ女性アーティストは、過去の恋愛経験や体型などでバッシングされるのか。

Gonzalo Fuentes / Getty Images

いまネットを少し探せば、あゆに関するバッシングは山のように見つかる。表舞台に立つたびに、太った、痩せた、声が出なくなった。新しい恋人のニュースが出れば、「痛々しい」「また話題作りか」……。

2度の結婚と、離婚。繰り返された熱愛報道。LGBTイベント出演と「マイノリティとして歩む」というメッセージ。なにかを発信するたびに、あゆは批判される。叩かれる。

きっとそこには、栄光を求め続ける女性に向けられる冷笑も含まれているのだろう。20年以上にわたって活躍している男性のアイドルや歌手には向けられない批判の声が、あゆには浴びせられている。

平成のうちに引退を決めた安室奈美恵と、あゆの評価の違いからも、それは見てとれる。つまりあゆは女性として“逸脱”している、だから叩かれるのだ。

しかし、それでいいのか。平成が終わって令和がはじまった今、私たちはあゆをもう一度見つめ直さねばならないのではないか ── 。容赦ないバッシングの声の中で、そんな想いをずっと抱いていた。

ハッピーエンドのその先へ

浜崎あゆみ

20年以上もステージに立ち続けるあゆの姿に、勇気をもらうのだ。

Kin Cheung / Reuters

『M 愛すべき人がいて』は、福岡から上京してきた売れないモデル・女優だった浜崎あゆみが、当時エイベックスの専務だった松浦勝人氏にその才能を見初められ、スターダムを駆け上がっていく数年間が、あゆ本人の視点から綴られたノンフィクションノベルだ。

彼女は松浦氏と初めて会った時から、尊敬に入り混じった恋心を覚える。松浦氏への想いは募り、それはそのまま、大ヒットソングの歌詞を生んでゆく。

注目すべきは、あゆは決して松浦氏に依存したりもたれかかったりしていたわけではない、という点だ。松浦氏と結ばれた後も彼女は自ら努力して時代をつくり、別れの後も「一人で歩いていく」という想いを固める。

なぜ、あゆはこれだけバッシングされても、現役でい続けるのか。

あゆファンを公言するフードエッセイストの平野紗季子さん(生まれ年は私と同じ、1991年だ)は、インタビューでの彼女の発言を引用し、浜崎あゆみの切なさとは、家庭ではなくショービズの世界に“居場所”を求めてしまったことである、とした上で、こう書いている

「『平成の』と冠された多くの歌姫が、平成が終わる前に続々と舞台から去っていきました。引き際美しく完璧な歌姫像も確かにカッコいいのですが、そうはなれない不器用なところがayuらしい。

ayuはハッピーエンドのその先を果敢に歩んでいくのだと思うし、その姿は同じように現実を生きる私たちに勇気を与えてくれているような気がします」

つまり、あゆのすごさとは、昭和、そしてもしかしたら平成にいたるまで私たちが縛られてきた女性の「ハッピーエンド」に囚われない生き方をしていることなのだ。

女性芸能人やアスリートが結婚したり、出産したりするときによくつけられる枕詞に、「女性としての幸せを手にした●●さん」というものがある。

その言葉にずっと違和感を覚えていた。結婚しない人、離婚した人、子を産まない人は「女性としての幸せ」を手にできないのか?

そんなハズはない、と、二度の離婚を経験し、なお現役で歌い続けるあゆはいう。

本書には、松浦勝人氏からの言葉として、こう書かれている。

「あゆの目指す場所は、この世界の外にはない。俺たちが立っている世界の、ずっと先にあるんだよ」

「自らの美学を貫き、この世界を去っていくアーティストもいるよ。でも、あゆはそうしない。ステージに立ち続ける。年齢なんかにとらわれない。それがアーティストの姿だから」

“さまよう”女性のロールモデルに

本のタイトルは、2000年に発売された大ヒット曲「M」から取られている。

動画:ayu

この“暴露本”に対してもSNSでは早速「話題作りか」というバッシングが殺到している。あゆがこの反応を予想していなかったわけがない。それでもあゆはこのタイミングで、本を出した。

だからこそ私は今、あゆへの支持を宣言したい。それも過去のあゆではなく、現在を更新し続けるあゆへの、だ。私たちはそんな「浜崎あゆみ」のショーの中にいる。

2002年に発表された「Voyage」で、あゆはこう歌う。

「僕達はこの長い旅路の 果てに何を想う 誰もみな愛求め彷徨う 旅人なんだろう」

ハッピーエンドなんてないんだと、あゆはもしかしたら、ずっと前から気づいていたのかもしれない。確かに全盛期、彼女の歌詞の魅力はその“孤独さ”にあった。

しかし、30代を経て40代を迎えた彼女の人生を知った上で曲を聞くと、歌詞はまた別の意味を帯びてくる。

本書の始め、平成の最後に彼女は、松浦氏にこう語りかける。

「あゆね……今だから歌える歌を、届けていきたい。いろんな経験をしてきた今だからこそ、歌える歌があると思っているから」

そして、盟友であり、かつての恋人でもあった松浦氏は、こう答える。

「そうだよ、40代になっても、いくつになっても、自分だけの世界を築き、ありのままの姿でそれを貫く。それがアーティストだろ」

全盛期時代の自分の「赤裸々な恋愛事情」をあえて、さらけ出す。痛々しくても、叩かれても。

20代のように、見た目で影響を及ぼすのではなく、誰にも似ていない生き方で人を惹きつける。そうすることであゆは、平成を置き去りにして、次の時代でも“伝説”になるのかもしれない ── かつての小さな「あゆ」ファンとして、そう思った。

編集部注:初出時、松浦勝人氏の肩書をエイベックス社長としておりましたが、会長の誤りでした。訂正いたします。2019年8月1日 18:30

(文・西山里緒)

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