東京・渋谷のITベンチャーで企画採用担当として働く彩花さん。誇るキャリアは、元地下アイドルだ。
撮影:岡田清孝
ますます活況の転職市場だが、転職活動の履歴書に書く時に、どんなキャリアなら「役立つ」のだろう。
現在、東京都内のIT企業の採用企画担当として働く、彩花さん(22)の場合、仕事の基礎を学んだ元職は、「地下アイドル」だ。取材で訪ねた彩花さんは、そのやわらかな笑顔を見ると、一瞬で心から歓迎されている気持ちになる、不思議な空気をまとっていた。
地下アイドル:大きな事務所に所属せずに、小規模なライブハウスでライブ活動をする、インディーズアイドルのこと。マスメディアへの露出より、ライブでのファン交流などに重点を置いている。
おじいちゃんも中学生もいるファン
包み込むような、柔らかな笑顔が印象的だ。
地下アイドルの仕事を始めたのは、2015年の大学1年生の頃。中学時代の友達からの紹介です。メンバーが足りなかったらしく「入らない?」って誘われました。「いつやめても大丈夫だから」と言われて、「ちょっとやってやめればいいや」って。最初は甘い気持ちでした。
デビューも軽い感じで、事務所に所属するとメンバーが決まれば「はい、●月にデビューね」みたいな。
活動は秋葉原とか渋谷、新宿、ライブハウスがあるところならどこでもです。土日は必ず地下アイドルの仕事があって、時には平日もありました。
もともと歌うことが好きで、自分自身が地下アイドルも大好きだったこともあって。何度かライブをやっているうちに、楽しくなって、のめり込みました。
「私のために会いに来てくれる人がいる。その人たちのために頑張りたい」っていう気持ちが芽生えたんです。会いに来てくれる人のいることが私の生きがいになり、自分もその人たちの生きがいになれるんだって。
私は2つのグループを掛け持ちしていました。地下アイドルではわりと、よくあることです。(グループは)プリンセス系と、ロック系に所属してました。オリジナルの曲を歌って踊る。楽器はやりません。
ファン層は多彩でした。おじいちゃんぐらいの人もいれば、普通のサラリーマン、自分より若い人もいました。ファンには女の子もいるんです。
そこまで思ってくれる「この人のためにがんばろう」
地下アイドル時代の彩花さん。2つのグループを掛け持ちしていた。
提供:彩花さん
印象に残っているエピソードですか?そうですね、けっこう危ないこともあります。
ストーカー事件が報道されたりすると、その事件に触発されてか、グループのメンバーに殺害予告がツイッターのリプライで送られてきたことがあります。それがあってしばらくの期間、警察にライブの舞台袖まで付き添ってもらったこともありました。
もちろん、危ないことばかりではないです。自分のために怒ってくれたり泣いてくれたり。「そこまで思ってくれるんだな」って。
様々な場所に遠征に行ったんですけど、飛行機や新幹線を取ってついてきてくれる人もいて 。地下アイドルに、そこまでなかなかしないじゃないですか。ここまで会いに来てくれるんだ。この人のために頑張ろうって、やっぱり思います。
収入は毎回、手渡しでした。 私のところは歩合制なので、お客さんが多ければその分もらえるし、少なければ少ない。最初の頃は交通費で、収入が消えることも多々ありました。
「まともな仕事じゃない」と厳格な親
地下アイドルの仕事は大好きだったが、厳格な親にはいい顔はされなかった。
はい、最初は家族に隠していたんです。うちは門限厳しかったし、父は厳格で。大学に入るまでバイトだって許してもらえないような家でした。なのでさすがに、地下アイドルやりたいとは言い出せなかったんです。
「アイドルライブの物販(のアルバイトを)しているよ」って話してました。
でも「なんでスタッフなのにこんなに帰るのが遅いの」って言われるようになって。もう嘘はつけないと、20歳の誕生日に、家族に打ち明けました。
「怪しいとは思っていたけど……」と言われましたが、正直に自分から話したので許してもらえたんです。ただ、父は「オタクは気持ち悪い」「理解できない」と思っていて。
「そんな人たちの前に立って、何が面白いの。まともな仕事じゃない」って、いい顔はされませんでした。
「就職する時はやめるから」と言って、学校は行きながら、地下アイドルやっていたんですが。父の病気をきっかけに、大学は辞めました。大学3年生の時です。
そこからは、地下アイドルで生きていこうって決めました。
人気の差は歴然のシビアな世界
応援してくれるファンの存在が、自分を前向きにしてくれた。
提供:彩花さん
心がけていたことは、話しやすさですね。高圧的に行かないこと。私は、色仕掛けとか、グループで一番可愛い女の子キャラじゃなくて「話しやすい友達キャラ」って決めていました。
ライブの後のファンとの交流でも「こういうことがあってさー、疲れちゃったよー」って、ぽん、と言ってもらえるような存在になろうと。
だからですかね。「2番目に好きだよ」って言われることも多かったです(笑)。
ライブの後の交流は、チェキで写真を一緒に撮って、サインしながらお話しします。1人当たり、1分40秒くらいですかね。チェキが1枚1000円なんですけど、1枚撮ると(地下アイドルは)その会社が定めた割合をお給料としてもらえるんです。
グループ5人並んで、ざっとファンが好きなアイドルのところに並びます。
はい、人気の差は歴然です。私は最初、1人もファンが来なかったこともありました。(誰も並んでいないことを)可哀想に思って、チェキを撮ってくれる人(ファン)もいました。
「こういう言葉をかけてもらったら嬉しいだろうな」
ネガティブになりがちな性格も、地下アイドル時代に、前向きになれたのはファンのおかげ。
提供:彩花さん
でも、それが辛いってあまり思いませんでした。もともと、どちらかと言うとネガティブな方なんですが、地下アイドルの時は、前向きでいられたんです。
なぜですか?応援してくれる人がいたからです。応援してくれる人がいないことがなかった。必ず誰かから「がんばってね」って応援されたんです。
使命感というほど背負っているわけではないんですが、その人たちの笑った顔を見ると、うれしいんです。その人たちの感情が直に、感じられる。自分もアイドルオタクだったので。「こういう言葉をかけてもらったら嬉しいだろうな」って、わかるんです。
たかが自分と1分数十秒、話すために1000円も出してくれるって、すごいことだと思っていました。
自分はどこに向かっているんだろうと揺れる日々
街で見かけるリクルートスーツ姿の同年代に、心は揺れ動いた(写真はイメージです)。
撮影:今村拓馬
そうやってがんばってきたんですけど。(地下アイドル)3年目を迎える頃に、周囲の同級生たちが、就活をし始めていて。焦りを感じるようになりました。
「自分はどこに向かっているんだろう」って。
最初は電車でした。同い年くらいの子たちがリクルートスーツ着ていて、自分と周囲のギャップを感じたんです。就活生を見ると、目をそらしたくなっていました。
2017年の秋に、事務所に辞めると伝えました。当時は引き止められました。「これからなのに」「このまま残って、業界で働いてみるのはどう?」と勧めてもらったり。家族よりも過ごす時間が長かったので「面倒みるよ」と。でも、どうしても将来に不安がありました。
とにかく働かなくてはと思って、転職サイトや求人サイトを見ていました。でも「いきなり正社員は自分にはハードルが高い」と、派遣を目指しました。
自信がなかったんです。ずっと地下アイドルで、エントリーシートも書いたことがない。
履歴書には、地下アイドルのことは書きませんでした。世間一般には、地下アイドルは普通の仕事としては見られないって、思ったんです。応募していた仕事は、デスクワークだったし。言えなかった。
職歴に事務所の会社名だけ書いておいて、もし聞かれたら言おうと。
どんな相手も否定しない、とにかく柔らかくのスキル
決まったのは、一部上場の老舗大手メーカーの派遣の仕事でした。意外にも地下アイドルの経歴は「面白いねー」という反応で、一社目で採用でした。
その会社には社会人としてのビジネスマナーをイチから教えてもらったんですが。1年も経つと派遣の仕事は毎日同じで、単調に感じるようになって。
「このままでいいのかな」「ここにいて自分にプラスになるのかな」という時に、そのメーカーから、ベンチャーへ転職した方からお誘いを受けました。
繰り返しの毎日から抜け出したくて、すぐに決めました。それが今の会社です。
正社員になれることが一番、大きかったです。ベンチャーなら新しいことができるんだろうな、いいなって。
今のベンチャーでは、人事・総務が主な仕事で、キャリア系のイベントの主催をしたり採用支援をしたりもしています。
地下アイドル時代の経験で役立っていることは、もちろんあります。イベント運営など、人に指示したりする時はとにかく柔らかく、スタッフが嫌な気持ちにならないようにできていると思います。内容は指示であっても、お願いする気持ちです。
あと、どんな相手も、否定しないようにしていますね。
履歴書には「地下アイドル」って書きたい
地下アイドルの世界って、普通の人がそもそも少ないんです。女の子同士で、陰湿なことだってあります。ファンでもいろんな人が来るので、考え方が合わない人も、わざわざ嫌なことを言って来る人もいます。
でも、「お金を払ってまで言いに来てくれるわけだから、ありがたいこと」って思っていました。
そういう意味で、人間関係には、もまれたかもしれません。今の人事の仕事でも「面接の時に〇〇さん(彩花さんの苗字)がいてくれたので励まされました」って言われると、うれしいです。
地下アイドルでの経験は、今の自分の自信になっています。ファンの人から、「あなたは接客や人と関わる仕事に向いているよ」って言われたことで、道を示してもらえたし、自己理解になったと思います。
地下アイドルをやりながら、私も周囲も将来の不安を抱えていました。でも今になってみると、会社員の仕事も地下アイドルも、どちらもちゃんと誇れる仕事だったとすごく思います。
今は、キャリアの不安を抱えている人に、私のことを知ってもらい元気になってもらいたい気持ちです。
もし次、転職するなら?履歴書には初めから「地下アイドル」って、もちろん書きますね。
(文・滝川麻衣子、写真・岡田清孝)