アップルはガレージから生まれたことで知られている。
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- 多くの名だたる有名企業は、小規模なサイドビジネスとしてスタートした。
- 中にはフルタイムで働きながら、サイドビジネスを立ち上げた創業者もいる。例えば、スティーブ・ジョブスはアタリで働きながらApple Iを組み立てていた。
- フェイスブック、ツイッター、インスタグラムといった主要なソーシャルメディア企業もサイドプロジェクトとしてスタートした。
- ヤンキーキャンドルやアンダーアーマーといった小売企業も、創業者の「やりたいこと」から生まれた。
副業はますます盛んになっているが、「やりたいこと」を数百万ドル規模の企業へと成長させた人は、ごくわずかしかいない。
数百万ドル、あるいは数十億ドルを稼ぎ出している有名企業のいくつかは、小規模なサイドプロジェクトとして、ガレージで、地下室で、あるいは大企業の中から生まれた。
アップルからアンダーアーマーまで、小さくスタートした有名企業を見てみよう。
巨大テック企業になる前、アップルは2人の共同創業者のサイドプロジェクトだった。
スティーブ・ジョブス
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1976年、スティーブ・ジョブスはアタリで夜勤の仕事をし、スティーブ・ウォズニアックはヒューレット・パッカードでエンジニアとして働いていた。2人は空いた時間にガレージでコンピューターを作った。それは後にApple Iとして知られるようになった。2人はApple Iをアタリの部品を使って作った。そこで、ジョブスの上司にプレゼンしたが、投資は拒否された。
その後、アップルはテック業界に革命を起こした。
フェイスブックは学生寮でのサイドプロジェクトだった。
マーク・ザッカーバーグ
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2003年、ハーバード大学の1年生だったマーク・ザッカーバーグは学生が他の学生を容姿で評価するサイト、Facemashを作った。
サイトは2日で閉鎖させられたが、ザッカーバーグやその友人たち ── エドゥアルド・サベリン、ダスティン・モスコヴィッツ、クリス・ヒューズ(Chris Hughes) ── にとって2004年にフェイスブックを立ち上げる際のヒントになった。
インスタグラムは創業者のサイドプロジェクトだった。
ケビン・シストロム
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2009年、インスタグラムの共同創業者、ケビン・シストロムは旅行関連スタートアップアップのNextstop.comでプロダクト・マネージャーとして働きつつ、夜や週末などに独学でコーディングを学んでいた。やがて位置情報アプリのBurbnを開発、FourSquareに似ているが、より写真に特化したアプリだった。
シストロムは会社を辞め、50万ドルの調達に成功、共同創業者としてマイク・クリーガーを雇った。2010年、2人は正式にインスタグラムをローンチ、最初の1週間で10万のユーザーを獲得した。2012年、フェイスブックは同社を10億ドルで買収した。
ツイッターは違う分野の企業から生まれた。
ジャック・ドーシー
REUTERS/Anushree Fadnavis
2005年、ジャック・ドーシーはポッドキャストのディレクトリサービス、Odeoでプログラミングの仕事を始めた。翌年、アップルがiTunesでポッドキャストを扱うことになり、オデオに動揺が広がった。その対応策としてCEOのエヴァン・ウィリアムズ(Evan Williams)はハッカソンを開催、そこでドーシーが開発したのが「twittr」だった。
ドーシーはOdeoのサイドプロジェクトとしてtwittrに取り組み、2006年7月に正式にローンチ、名称はツイッター(Twitter)に変更された。
クレイグズリストは創業者が友人に送ったメールからスタートした。
クレイグ・ニューマーク
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1995年、クレイグ・ニューマークは友人にメールでサンフランシスコ近辺のおもしろそうなイベント情報を紹介していた。当初は10~12人に送られていたが、やがて口コミで広がっていった。
メールの受信者は急速に増え、ニューマンはより大規模なウェブサイトを構築した。1999年、ニューマークはプログラマーの仕事を辞め、クレイグズリストを法人化した。
WeWorkの創業者は会社を立ち上げた時、ベビー服を作っていた。
アダム・ニューマン
REUTERS/Eduardo Munoz
アダム・ニューマンはベビー服を扱う企業、Krawlersをブルックリンで経営していた時、副収入を得る方法を探していた。Krawlersが入居していたビルで働いていた建築家のミゲル・マッケルビーとニューマンはそのビルに空きスペースがあることに着目。2008年、Green Deskを立ち上げ、空きスペースの貸し出しを始めた。
その後2人は会社を家主に売却し、2011年にニューヨークでWeWorkをオープンした。
アンダーアーマーの創業者は会社を立ち上げた時、大学のアメフト選手だった。
ケビン・プランク
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1990年代、ケビン・プランクはメリーランド大学のアメリカンフットボールの選手だった。プランクはフィールドで汗をかくと、コットン製のシャツが肌に張り付くことにうんざりしていた。そこで汗をかいても、濡れないシャツを開発するサイドプロジェクトを始めた。
1996年、化学繊維を用いたプロトタイプが完成。大学を卒業すると、サイドプロジェクトはアンダーアーマーとして知られるビジネスとなった。当初は祖母の家の地下室が拠点だった。プランクはNFL選手に直接製品を送り、それが同社の成功につながった。
ヤンキーキャンドルはティーンエージャーのお小遣い稼ぎだった。
ヤンキーキャンドル
Mike Mozart/Flickr
1969年、16歳のマイク・キトリッジは、母親へのプレゼントとしてクレヨンでキャンドルを作った。キャンドルを見た隣人が、2ドルで1つ作ってほしいとキトリッジに依頼。やがてキトリッジは家のガレージと地下室でキャンドル作りを始めた。
1973年、キトリッジは工場をマサチューセッツ州の古い製紙工場に移し、1998年に5億ドルで会社を売却した。
ニュース配信サービス「theSkimm」は2人の共同創業者の情熱から始まった。
カーリー・ザーキン(左)とダニエル・ワイズバーグ(右)
Evan Agostini/ AP
2012年、カーリー・ザーキンとダニエル・ワイズバーグはNBCでアソシエイト・プロシューサーとして働いていた。2人はどちらも、自称「ニュース・ジャンキー」だった。2人はニュース業界で与えられた仕事以上のことをしたいと考え、選りすぐりのニュースをメールで送信し始めた。
2人は仕事を辞め、誰からの投資もなかったにもかかわらず、フルタイムで取り組んだ。4000ドルをつぎ込んだが、すぐにクレジットカードでも借金をした。だが、最初のメールを送信し、theSkimmが誕生すると、すべてが変わった。
現在、theSkimmの購読者は700万人、ヒラリー・クリントンやオプラ・ウィンフリーもそのうちの1人。
バーチャルリアリティ企業のOculusVRは創業者のサイドプロジェクトだった。
パーマー・ラッキー
Robert Galbraith/Reuters
2011年、パルマー・ラッキーは、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校でジャーナリズムを学び、南カリフォルニア大学ではミックスドリアリティ・ラボ(Mixed Reality Lab)のエンジニアだった。同時に、自宅ガレージで最先端のVRゴーグルの開発に取り組み、テック業界に新たな潮流を生み出した。
2012年、ラッキーは大学を退学、サイドプロジェクトにフルタイムで取り組んだ。彼は自分の会社をOculusVRと名づけ、キックスターターで250万ドルを調達した。2014年、フェイスブックは同社を20億ドルで買収した。
Imgurの共同創業者はサイトを立ち上げた時、まだ学生だった
アラン・シャーフ
Wikimedia Commons
2009年、アラン・シャーフがPhotoBucketに対抗する画像アップローダーの開発を始めた時、彼はオハイオ大学の学生だった。開発は2週間で終わり、Redditにアップした。
サイトはImgurと名づけられ、最初の1年で月間PVは50万に達した。2011年、シャーフはサンフランシスコにビジネスの拠点を移し、正式に会社を設立した。
Khan Academyの創業者は教育ビジネスを始めた時、ヘッジファンドで働いていた
サル・カーン
Steve Jurvetson/ Wikimedia Commons
2004年、サル・カーンはヘッジファンドでの仕事を終えると、インターネットと電話を使って、いとこに勉強を教えていた。その後、さらに多くの家族にオンラインで教え始めると、忙しくなりすぎた。そこでオンラインで教える代わりに、勉強を教える自身の動画を撮影し、YouTubeにアップした。
2008年、正式にKhan Academyが設立されたが、カーンは空き時間にしか関わっていなかった。2009年、カーンは仕事を辞め、フルタイムで取り組むことになった。
[原文:13 famous companies that started out as side hustles]
(翻訳:仲田文子、編集:Toshihiko Inoue、増田隆幸 )