8月から超クールビズを解禁したプレシャスパートナーズのオフィス。手前は片瀬さん。
浦上早苗撮影
朝から30度超えの8月のある朝、夫がクローゼットの前で「考える人」のポーズで固まっていた。
「どうしたの?」と声を掛けると、「どのシャツが一番薄いかなと考えてた」。
ローテで着回している長袖シャツ5枚の前で悩んでいたのだ。クールビズのおかげでネクタイはいらないが、職場は長袖のワイシャツとスラックスが暗黙のドレスコード。屋外に出る時間は少なくても、雪国育ちの夫にとって、弁当を買いに行くことさえ耐え難い暑さだという。
その数時間後、仕事でお世話になっている40代の男性管理職から、「暑くて我慢できないので、今日から短パンで会社行くことにしました」というメッセージとともに、自撮り写真が送られてきた。なかなかシュールなおじさんの短パン出勤姿の写真に、ここは東南アジアか! と突っ込まずにはいられなかった。
だが今年の暑さはきれいごとを言っていられないほどの殺人的レベル。実際、8月に会社として短パン出社を解禁した事例もあると聞いて、取材に行ってみた。
来客や顧客訪問は「置きスーツ」に着替え
8月から服装ルールを大幅に緩和したプレシャスパートナーズの通知文。
「弊社は6月からクールビズを始めましたが、猛暑が本格化した8月から、初めての試みとして“超クールビズ”を導入しました」
そう話すのは人材採用支援を手掛けるプレシャスパートナーズ(東京)の北野由佳理さん。
超クールビズとは?と聞くと、「Tシャツ、アロハシャツ、短パン、サンダル、全部OKと明記しました」
同社は北野さんが新卒で入社した2013年時点では、スーツ出社が基本だったという。2014年に「オフィスカジュアル」に切り替え、就職活動やインターンで来社する学生には「自由な服装で」と呼び掛けていたが、社外の関係者と接することが多い社員は、クールビズ中もサンダルや短パンはNGだった。
しかし8月からは、より快適な環境を実現するため「社内にいるときは超クールビズ。外出する際や来客のときはシチュエーションに合わせて着替える」というように改めた。
実際に8月8日にオフィスをのぞいてみると、社内で働いている約60人のうち、2人が短パン姿だった。その一人である片瀬頼基部長は、2回目の短パン出社。
「最初は自分でも違和感がありました。でもこっちのが涼しいし楽です」
ちなみに、この日は採用面接があり、片瀬さんはその時だけ長ズボンに履き替えたという。北野さんによると、置きスーツをしている社員もいるそうだ。
パンプスだけでなくストッキングもやめていい
短パンで出社するアステリアの長沼さん。隣の席の齋藤ひとみさんは「正直、最初はびっくりした」とのこと。
ソフトウエア開発のアステリア(同)も、8月から服装規定を改めた。こちらは「公序良俗に反しない限り、浴衣、作務衣、ビーチサンダル、何でもOKです」と、よりアグレシップだ。
率先して短パン出社する長沼史宏広報・IR室長は「弊社は最高気温予想が35度以上の猛暑日は在宅勤務を推奨するなど、働きやすさを追求しています。暑くても出社しないといけないときは、着たいものを着ればいいんじゃないかと」と話す。
環境省も東日本大震災後に数年間スーパークールビズを導入していたが、そこではTシャツや短パンはNGだった。
約70人が働く東京オフィスを8月7日に訪問すると、本当に短パンだったのは2人だが、筆者が20代のころは許されなかったノースリーブ姿の女性がちらほらいたのが印象的だった。
ちょうど外出から戻ってきた平野洋一郎社長は、長袖シャツにチノパン、リュック姿。
平野社長は「(パンプス着用に異議を唱える)#KuToo運動を見て、何でパンプスだけかなと思った。女性はこの季節、ストッキングだってつらいんじゃないですか? 誰がいつ決めたか分からないような常識は見直していけばいい」と語った。
とはいえ、社員が突然短パンで出社してきたら、周囲はどう受け止めるのか。
長沼さんの部下、齋藤ひとみさんは、「上司が初めて短パンで出社したときは正直びっくりした。今でも、初対面のお客さんと会うときはちゃんとしてよ!とは思っています」と苦笑いしつつ、「でも、おかげで私もサンダルで出社しやすくなりました」。
そう言われて齋藤さんの足元を見ると、長めのスカートの下は素足にサンダルだった。
短パン出社はまだマイノリティー
プレシャスパートナーズもアステリアも、「短パンOK」にして実際に短パンで出社するようになったのは、1、2人。今のところ、アロハシャツや作務衣で来る社員はいないという。
2005年に始まったクールビズも当初はネクタイを締めないことに違和感を感じる声や、「だらしない」との批判もあったが、15年経った今では完全に定着した。
ビーチサンダルで出社し、来客時は置きスーツに着替える“超クールビズ”も、温暖化の進行とともに15年後にはありふれた光景になっているのかもしれない。
(文・浦上早苗)