「自分らしい最期」を叶える“みとり職”、若者たちが人生をかけて選ぶ理由

みとりの現場

最期に寄り添うみとり職、PAの平均年齢は30歳。

撮影:岡田清孝

元々はスポーツ選手、ペットショップ店員、エンジニア……。多様な人材が医療界に転じ、患者の最期に寄り添う“みとり職”のプロとして活躍し始めた。

「自分らしい最期」を叶えるための在宅医療を提供する「やまと診療所」(東京・板橋区)では、医師のアシスタントとして現場に出る「在宅医療PA(ピー・エー)」の育成に力を入れる。PAの平均年齢は30歳。ユニークなキャリアを持つ若者たちは、この新しい「みとり職」のどこに魅力を感じて転職してくるのか?

「AIには絶対出来ない仕事」

木村さん

PAの一人、木村圭佑さん(29)は、サッカーのクラブチームで活躍していた。

医師1人とPA2人が「チーム」になって患者宅に赴くのが、やまと診療所の診療スタイル。PAの一人、木村圭佑さん(29)は、チームによる訪問診療の強みをこう話す。

「医師とのアイコンタクトもないような大病院の『3分診療』とは違い、在宅医療の現場では患者さんやご家族との会話のキャッチボールこそが重要な意味を持つ。それを実現するのが、3者(医師プラスPA2人)によるチームプレイです」

木村さんは新卒5年目ながら、PAとしてはベテランの域に達する。学生時代は、サッカーのクラブチームで活躍していた。その後、ケガなどで挫折。スポーツ栄養士を目指して専門学校に通っていた折、PAの仕事に出合った。サッカーの経験から、チームプレイは得意中の得意だ。

そんな強みが発揮される現場がみたいと、7月下旬、木村さんらの訪問診療に同行した。

老いを生き抜く命の現場を訪ねて

車

3者(医師プラスPA2人)によるチームプレイで医療現場を訪ねる。

板橋区内の団地に住む心不全の男性(83)は、布団が敷いてある居間で「チーム」を出迎えた。木村さんは、到着するなり持参したバッグから医療器具を手際よく準備し、医師に手渡す。

医師が診察する間に、男性宅の薬の在庫をチェック。さらに、男性の親族に電話をかけ、親族が通って様子を見に来た際の男性の生活ぶりを確認して医師に報告する。

一方で、脇に控える見習いの女性PAは小型のノートパソコンを広げ、診療内容、本人や家族から聞き取った男性の直近の生活状況などをカルテに入力していく。滞在時間は一件あたり約30分だが、こんな風に3人の連携で効率よく動ける分、患者や家族とのコミュニケーションにも時間を割けるのだ。

男性は独居なのだが両足の機能が低下して歩行が困難なため、いつも両手の力で足を引きずり、床を這って郵便物を取りに行く。衣服を汚さぬよう、玄関にはビニール製のシートが敷かれていた。

台所には水切りのカゴに洗った食器が山のように積み重なっていたが、炊事は週3回の訪問ヘルパーが行なっているという。老いを生き抜く、命の現場だ。

この仕事はコミュニケーションこそが武器

診療

「アイコンタクトからも刻々と揺れ動く心の機微を読み取る必要がある」。患者さんについて、PAの木村さんは言う。

「認知機能の検査の数値もいいし、睡眠も取れているなら(睡眠)薬を減らして様子をみましょう」と医師。

木村さんは念押し確認のため、男性にわかりやすい言葉で話しかけた。

「調子がよさそうだし、最近は夜もよく眠れているそうですね。先生が睡眠薬は減らしていいですよと言っていますよ」

木村さんは聞こえやすいよう、男性の耳元で話す配慮も欠かさない。男性はぽつりぽつりと話し始めた。

男性「一人で暮らしてて、足も弱くなって表にも出られない。前みたいに自転車に乗れれば表に出てどこへも行けるのに……」

木村「いつもマッサージとかリハビリ頑張ってるの、知ってますよ。今日も暑いから、しっかりお水を取ってくださいね。」

男性「こうやって若い人に来てもらうと、気分が上がりますね」

診療後、木村さんに尋ねた。この仕事のどこに魅力を感じるのかと。

「今は企業に勤める人が、職場で顔を合わせる人ともメールでやり取りするような時代。だけどこの仕事はコミュニケーションこそが武器で、直接的に人に関われるところにやりがいを感じています」

木村さんは、そうキッパリと答えた。

「看取りの過程では、弱りゆく患者さんやご家族との会話だけでなく、アイコンタクトからも刻々と揺れ動く心の機微を読み取る必要がある。患者さんの心の奥底からの希望を叶えるため、僕らPAは医師ともフラットな関係を作って方針を議論し合う。AIには絶対できない仕事ですよ」

マニュアルはなく、「人のため」に全力で動ける

手元

患者の訪問現場は、『人』に向き合って、人のために動く。

現在、PAの見習いとして働く佐々木優さん(33)は、30歳になる直前に転職活動を始めた。当初は在宅医療の存在を知らなかった。佐々木さんは、コンピューターグラフィックス(CG)のクリエイターを目指して専門学校で学んだ後、熱帯魚を販売するペットショップの店員として10年近く勤めた。

だが、店頭での販売業は、基本的には店を訪れた客に対応する「待ち」の仕事。30歳を機に、「一生やれるような、やりがいのある仕事」を求めて転職活動を始めた。広く就職情報を探し、建築業など取り組んだことのないジャンルにも当たる中で、やまと診療所の在宅医療の仕事に魅かれたという。

「20代後半の頃、九州に住む僕の祖母が入退院を繰り返していて、ずっと『家に帰りたい』と希望していたんですよね。でもそれが叶わず、病院で息を引き取りました。その時、親族として求めに答えられなかった、自分が祖母の最期の時間に関われなかったという悔いが残っていて。だから、『どうやら家で受けられる医療があるみたいだぞ』とアンテナに引っかかったんだと思います」

佐々木さん

PA3年目として働く佐々木優さん(33)は、ペットショップ店勤務からの転身。「求めていたのはこういう仕事だ!」と感じたと話す。

ノルマやマニュアルとは無縁の仕事だ。入所前、先輩PAの仕事ぶりを見るため診療に同行した折、「求めていたのはこういう仕事だ!」と感じたという。

「PAは医師と患者さんのやり取りを見ながら、こうしたらもっと伝わるなと医師の言葉を捕捉して患者さんに話しかけていた。処置が始まる前に先回りして、医師が仕事をやりやすいように補助をしたり。カルテでも病気でもなく、『人』に向き合って、人のために全力で動いている人たちだなと。そこが魅力的だったんです」

とはいえ、医療に関しては、ど素人。佐々木さんは、注射器の筒の部分が「シリンジ」、針の部分は太さごとに「18ゲージ」と呼ぶといった医療用語から始まり、猛勉強して医療の知識を習得していった。先輩からは「君たちの唯一の武器はコミュニケーション」と叱咤激励される。

インフラである医療の上に「新しいインフラ」

安井院長

院長の安井佑(39)さん。PAには「誰かのためによいと思ったことならば遠慮せず、全部実行していい」と伝えている。

多死社会を背景に「自宅で自分らしく死ねる」世の中を作る。それがやまと診療所のミッションだ。

医療に管理されて生活が制限される病院とは違い、在宅医療の場合は患者・家族の暮らしが真ん中にあり、そこに医療を取り入れる感覚だ。「自分らしく死ぬ」とは、「最期まで自分らしく生きること」でもある。

2025年には団塊の世代が75歳以上になり、既存の医療・介護体制では追いつかなくなる。2030年には死に場所が見つからない「看取り難民」が約47万人になると予測され、在宅での看取りの支援体制の構築が急がれる。だが現状は、病院で亡くなる人が約8割。自宅で最期を迎える人は減り続け、今や12.8%(厚労省人口動態統計2014年)にすぎない。

「住み慣れた家で最期まで」と思っても、「介護してくれる家族に負担がかかるのでは」と踏み切れない場合も多い。そもそも、家での看取りを経験していない世代は、自宅で療養できる在宅医療という選択さえ知らない人も多い。

やまと診療所の設立は2013年。院長の安井さんは、従来からある「1人の医師で365日対応する」ような在宅医療では、これから日本が迎える多死社会の局面を乗り切れないと考えていた。

「少子高齢化で、医療というインフラが大きい波に飲まれていくだろうということは、学生時代から考えていました。私がやろうと思ったのは、インフラとしての医療の上に、新しいインフラとしての医療を作ること。病院ではなく『街の中』に新しい医療を再構築していくイメージです」

医療の素人だからこそ多死社会のキーマンに

安井さんが在宅の診療所を立ち上げて最初に直面したのは、人材の問題。ただでさえ在宅医は不足している上、「職種間の壁」にもぶち当たった。

複数の医師で連携して在宅医療に取り組もうとする時、質の高い医療を維持しようと思えば、普段から患者とコミュニケーションを密にとって、顔の見える関係を構築している存在が不可欠になる。看護師にもその役割を担えなくはないが、「こうすべき」と思うことをあっても医師に遠慮してものが言えないことがネックになった。

「医療職には上下関係の擦り込みがありますから。でも、スタッフが『私たちには医師を動かせません』と言っていると、永遠に在宅医療でのチーム連携はできないなと。それなら、医学的なことはドクターにやってもらって、医療と無関係の素人に医療の知識をつけて、その人たちに患者さんの意思決定支援と環境調整は任せようと思ったんです」(安井さん)

ヒューマニズムの一丁目一番地で勝負

カバン

在宅医療の現場では、『自分の頭』を使って問題解決する能力と、コミュニケーション能力が欠かせない。

そこで安井さんが編み出したのが、「PA」という新しい機能を持つ職種。「Physician Assistant」の略称で、一部の医療行為を含めた医師の補助ができる、米国の国家資格が呼称の下地になっている。安井さんは言う。

「医療者はどうしても、知識ベースのエビデンスとかガイドラインとかに縛られる。でも、ヒューマニズムの一丁目一番地で勝負する在宅医療の現場では、『自分の頭』を使って問題解決する能力と、コミュニケーション能力が欠かせない。

だからこそ、安井さんがPAを採用する面接で見るのはたったの2つという。

「素直であるかどうかと、人が好きかどうか。面接では、その人の内面に重き置いて、約1時間の面接をする。だから僕の面接を受けたPAは、7割ぐらいの確率でみんな涙を流すんです」

「コミュ障」の元エンジニアが感じる仕事の醍醐味

佐々木さん

機械の設計を担当するエンジニアからPAに転じた藤崎竜也さん(30)は、もともとコミュ障だったと話す。

機械の設計を担当するエンジニアからPAに転じた藤崎竜也さん(30)は、入職して2年目。元々は人と話すのがあまり好きではなく、一般的に言うところの「コミュ障」だったと自認している。でも、「もっと人と関わりたかった」し、「人の役に立つような仕事がしたい」という願望も内に秘めていた。

最近、末期がんの60代の男性を看取った妻から、感謝の言葉をかけられたという。「彼特有の粘り強さが、いいコミュニケーションを生んだ」と先輩PAの木村さんは評価している。

男性は抗がん剤治療に希望を託し、入院して在宅医療からは離れた。だが「一度でも家に帰らせたい」 という妻の思いを知り、藤崎さんは診療所との関わりがなくなってからも家族と連絡を取り続け、看取りまで関わることができた。

後日、夫を見送った妻からは、診療所宛に「藤崎さんがいてくれて、本当に良かった」とメッセージが届いた。 藤崎さんはいう。

「PAのコミュニケーションは、喋りのうまさは関係ないんだなと。僕自身、実際に患者さん本人と家族と関わる中で、一歩踏み込むコミュニケーションというものを学んでいったし、人と密に関わって支えることの充実感を感じています。僕、妻にも言われるんですよ。『あなた、この仕事について、前より本音が前に出てくるようになったね』と」

(文・古川雅子、写真・岡田清孝)

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