いま西アフリカ・トーゴで進む「子宮頸がん検査・予防プロジェクト」。支えるのは国際NGOの日本人女性

7月末のアフリカ、赤道より少し北の国は酷暑だろう……と考えていたら予想は裏切られた。

2日前に出発した東京の蒸し暑さと比べると信じられないほど心地よい空気が流れている。西アフリカ・トーゴの北部にあるバガ村は高地にある上、雨季のため、まるで長野の避暑地に来たような気候だ。時折、雨が降って赤い土を濡らす。  

バガはとうもろこし、大豆、イモ類を作る農家が多い村だ。女性たちは農作業の合間に家事や育児をする。各家庭に平均4~5人の子どもがいるから、学校が休暇中の今、町中で子どもの姿を見かける。すれ違う大人も子どもも、こちらを見て笑顔で「ボンジュール」と挨拶していく。トーゴの公用語はフランス語だ。

トーゴで進む「子宮頸がんプロジェクト」

子宮頸がん検査・予防プロジェクト

トーゴ第2の都市カラから1時間ほどの村、バガ。こうした村での子宮頸がんのプロジェクトが大きな成果を挙げているという。

提供:国際家族連盟(IPPF)

筆者が30時間かけてトーゴに来たのは、同行している日本女性・高澤裕子(ひろこ)さんの連絡がきっかけだった。高澤さんはロンドンに本部を置く国際家族連盟(IPPF)で、日本政府が拠出する性と生殖に関する保健サービスへのユニバーサルアクセスを支援する日本信託基金(JTF)の責任者を務める。

この基金では、途上国や紛争地で女性の健康に関する革新的なプロジェクトを資金援助する。「トーゴのプロジェクトは特に際立った成果が上がっているので、ぜひ、見てほしい」とSkype越しに聞いた言葉に説得力があった。

この日、私たちが訪れたバガ村はトーゴ第二の都市カラから車で1時間ほど。ここでトーゴ家族福祉協会(ATBEF)が行なっている子宮頸がんの検査と予防治療(前がん病変の除去)を見せてもらった。ATBEFは1975年設立の医療系NGOだ。

トーゴ国内で4つの診療所を運営し、産婦人科や小児科の医療や家族計画のカウンセリングを行う。特に避妊に関する分野では同国のパイオニアであり、市場占有率はトップだ。自前の病院を運営するだけでなく、車に医療機器を積んで遠隔地の提携先病院を訪れて医療サービスを提供する「モバイル・クリニック」も行っている。

1回の検査で予防治療まで

モバイルクリニック

車に必要な医療機器を積んで出かけるモバイル・クリニック。病院がない地域でも医療を提供できる。

提供:国際家族連盟(IPPF)

ATBEFはJTFから2年間にわたり15万ドルの資金援助を得て、子宮頸がんの目視検査と前がん病変の凍結治療・子宮温存治療をトーゴ国内で初めて手掛けた。同国の医療状況を的確に捉えた試験的なプログラムは女性たちのニーズをとらえた。

2年間で1万2261人が検査を受け、361人に前がん病変が見つかって予防治療を受けたという。子宮頸がんと同時にHIV検査を受けた人のうち2538人がHIVポジティブだった。

「1回の診察で検査と必要な予防治療を受けられることが非常に重要です」(高澤さん)

トーゴの農村部では自宅から病院まで遠く、検査結果を聞くため再来院するのが難しい人も多い。その場で検査結果が分かることは、多くの女性に安心感も与える。

健康でいることは当然の権利

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「検査結果が陰性とわかって安心した」と話すバナマさん。検査のためこの日午前中は仕事を休んだ。

この日検診を受けた女性たちに話を聞いた。

27歳のバナマさんは、7歳の女の子と自分の母親の3人暮らし。仕事は魚屋の手伝いだ。別の街に夫と9歳の息子が住んでいる。子宮頸がんについて知ったのは2年ほど前だった。

「初期には自分で気づく症状はないと聞いたので怖かった。今日は検査を受けたら陰性で安心しました。検査は大事だと思います」

同じく27歳のフロランスさんは既婚の主婦。この日、子宮頸がんの検査を受けたところ、前がん病変が見つかり、凍結治療を受けた。

「検査と治療を受けられてよかった。できれば毎年、子宮頸がんの検査を受けたい」

ATBEFの医療スタッフによれば、検査結果をその場で知らされると、多くの女性が喜ぶという。看護師に抱きついて喜びを表現した人もいたほどだ。

その夜、夕食を兼ねたミーティングで、高澤さんは気になったことを問題提起をした。検査と予防治療を受ける女性たちに対する看護師の言葉が気になった、という。

「看護師さんは、集まった女性たちが『助けてもらえる』と言いましたが、私は違うと思います。健康でいることは彼女たちの権利であって、誰かに与えられるものではないから」

この日の検査予防治療は無料キャンペーンだったから、看護師はスポンサーの顔を立てようと思ったのかもしれない。だが、どんな経済状況でも基本的人権は誰もが行使できる権利 —— 。そんな高澤さんの信念が伝わってきた。

子宮頸がんを誘発するのはHIV

トーゴの1人あたりGDPは671.8USドルで日本の60分の1程度だ。他のサハラ以南のアフリカ諸国と同様、10代の早すぎる結婚や子どもの数が多いこと、そしてHIV陽性の人が多いことが、ジェンダーと保健分野の課題だ。

トーゴでは15~49歳女性の2.9%、男性の1.6%がHIV陽性だ。性感染に加えて母親がHIV陽性の場合、出産時や妊娠中、授乳期に子どもに感染することもある。そして子宮頸がんはHIV陽性だと発症しやすい。

HIV

トーゴでは15~49歳女性の2.9%、男性の1.6%がHIV陽性者だ。

提供:国際家族連盟(IPPF)

高澤さんが勤務するIPPFは、SRHR(Sexual Reproductive Health and Rights/性と生殖に関する健康と権利)に取り組む世界最大級のNGOで、161の加盟協会と協働パートナーと連携している。筆者が理事を務める日本のNGOジョイセフ(JOICFP)もそのひとつだ。

SRHRは性的自己決定権、いつ何人子どもを産むか決める権利や、性感染症の予防・治療などを含む、女性の基本的人権を守る上で極めて重要な分野だ。日本はIPPFに対する資金提供国としては第5位で、スウェーデン、ノルウェー、イギリス、デンマークに次ぎ、年間8億円程度を拠出する大口ドナーである。

帰国して直面した小学校の同調圧力

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国際的なNGOで働く高澤裕子さん。小学校5年生の時に初めて、国際協力の仕事に興味を持ったという。

撮影:治部れんげ

高澤さんが開発の仕事を初めて意識したのは、小学5年生の時だった。ロンドンの日本人学校で使った社会科の教科書に、ユニセフの「青空教室」の写真が載っていたのだ。

「その写真がなぜかとても心に響きました」

父の仕事の都合で小学3年生から6年生のはじめまで、ロンドンで過ごした。最初は現地の小学校に転入。

「言葉が全く分からない私に、クラスメートがとても親切にしてくれました。イギリスの学校は初日から楽しかったのです」

一方、小学6年生の夏休み直前に帰国すると壁にぶつかった。グループの枠から外れる子は集団で無視するクラスの雰囲気になじめず、高澤さん自身がターゲットにされたこともあった。

「言葉が通じる、同じ国の人達でも理解し合えないことがあると実感しました」

高澤さんはここで同調圧力に屈しなかった。自ら希望し中学受験、小学校時代の人間関係を断ち切った。アメリカの大学院を卒業後は20年以上、国際機関で開発の仕事に携わってきた。

キャリアのスタートはUNDPのアゼルバイジャン事務所だった。将来、国際機関で正規職員として働くことを希望する若い日本人向けに日本政府が派遣にかかる費用を負担するJPO(Junior Professional Officer)として3年半、勤務した。

その後、正式に採用されてWHOローマ事務所で5年、水と健康のプログラムに関わった。続いてロンドンに移り住み、英国南部の街ブライトンに本部を置くインターナショナルHIV/AIDSアライアンス(現在はフロントライン・エイズと改称)で9年間働いた。AIDSアライアンスは世界40カ国でHIVに取り組むNGOの連合体だ。    

自らの違和感を原動力に

トーゴ

バガの村で2日にわたり行なった子宮頸がんプロジェクト。500人以上もの女性たちが集まった。

提供:国際家族連盟(IPPF)

自分が抱いた違和感を見ないふりせず、本来あるべき方向を目指して最善を尽くす。この基本姿勢は大人になってからも変わらない。

ATBEFの子宮頸がん検査・予防プロジェクトに対するJTFの支援は2年間で、書類の上では終了している。今回のトーゴ訪問は優良事例の視察を目的にしたものだ。ただし、高澤さんは2年の活動で終わるつもりはない。

バガの村で2日間行った子宮頸がん検査・予防プロジェクトは無料キャンペーンということもあり、500人もの申し込みがあった。実際はそれを上回る女性が集まり、医師たちは予定を2時間以上も超過して診察を続けていた。

「これだけのニーズを目の当たりにして、もうやりません、とは言えない。別の形で日本政府が関わって、この事業を他地域にも拡大し持続可能な形で運営できるような支援につなげたい」

トーゴでは車中でも食事の時も、関係者と次のステップに向けて話し合いをしていた。高澤さんは言う。

「本当にイノベ―ティブな事業だから、立ち上げだけでなくスケールアップまで伴走することが、本来の私の仕事だと思います」

小学校の教室に充満していた不当な同調圧力も、ごく当たり前の医療サービスを必要とする女性達のことも、見て見ぬふりはできないのだ。


治部れんげ:ジャーナリスト。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。1997年一橋大学法学部卒業後、日経BP社入社。その間、2006~07年ミシガン大学フルブライト客員研究員としてアメリカの共働き子育て先進事例を調査。2014年からフリーに。国内外の共働き子育て事情や女性の働き方に関する政策について調査、執筆、講演などを行う。

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