香港空港での大規模なデモによって全便がキャンセルになるなど大きな影響もでた。デモ隊の目的はデモの目的や自分たちの思いを海外の人たちにも知ってらもうことだった。
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中国共産党の習近平指導部は、香港抗議活動の収拾をめぐり30年前の「天安門事件」以来、最大のジレンマに直面している。
空港占拠や中国記者への暴行へと発展した活動を、中国政府は「テロリズムの兆候」と非難。隣接する深セン市で軍用車両の大量集結が伝えられ、人民解放軍が介入する最終局面に入ったとの観測も出始めている。
経済不安から政治危機も
中国の軍介入は政治的には「下策中の下策」である。
鎮圧が流血の事態を招けば、天安門事件と同様、欧米を中心に強い非難が巻き起こり、経済制裁も覚悟しなければならない。資本の海外逃避も予想され、「時限爆弾」の債務問題にも飛び火するかもしれない。習政権が命運をかける「一帯一路」も、「壮大な夢物語」に終わりかねない。
共産党の一党独裁の正当性は、経済成長による国民生活向上と富裕化によって保証されている。経済の急激な落ち込みから、国民生活にしわ寄せが及べば、経済・社会の安定は失われ、政治の不安定へと連動する。毎年10万件にも上るとされる住民と当局との衝突事件はこれまで、地方政府が批判の対象だったが、今度は中央政府が標的になるだろう。
主権と統一の回復は「神聖な任務」
深セン市には人民解放軍傘下にある武装警察が集結。その映像が広く拡散された。
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これまで香港問題には口を挟まなかったトランプ米大統領が8月13日、Twitterで初めて懸念を表明したことも、問題を複雑化させている。共産党指導部にとって「外部勢力の干渉」は、特別な歴史的意味を持っている。
香港と台湾は、アヘン戦争以来列強に収奪された領土と主権の象徴的存在だ。主権と統一の回復は、共産党の存立基盤を支える「神聖な任務」なのだ。2019年1月、習氏が発表した台湾政策も、台湾への武力行使を放棄しない理由として、「台湾独立」と「外部勢力の干渉」が挙げられている。
一方、香港抗議運動の要求は、当初の「逃亡犯条例」の完全撤回や、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官の辞任から、完全な普通選挙の実施や香港独立まで、過激化する一方だ。
運動を抑えられず、香港独立の主張を放置すれば、中国共産党は「神聖な任務」を放棄することになる。それは「共産党の指導」と「統一」という核心利益を自ら手放すことを意味する。分離独立の動きが顕在化しているチベットや新疆ウイグル、さらには台湾「独立」を勢いづかせる結果を招いてしまう。
軍介入という力による鎮圧は経済的打撃を招きかねないが、運動を放置すれば「共産党の指導」と「統一」が失われかねない。ジレンマはまさにここにある。
トランプ氏がツイートした日、中国外交担当トップの楊潔チ(ようけっち)共産党政治局員がひそかにニューヨークで、ポンペオ国務長官と会談した。楊氏はおそらく「外部勢力の干渉」に対しては、武力行使を厭わない決意をポンペオ氏に伝えたはずだ。「レッドライン(越えてはならない一線)」のクギを刺し、アメリカに自制を求めた可能性がある。
「中国の香港化」が流行したことも
2014年の雨傘運動は、学生たちを中心に普通選挙を求めた反政府抗議活動だった。
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香港の抗議活動は8月29日まで続くと、2014年の反政府運動「雨傘運動」の79日間を超える。
「逃亡犯条例」改正案に反対した当初は、民主派組織を中心に経済界も理解を示したが、今は組織もリーダ―も不在。戦術はゲリラ的に過激化し、投石や放火などアナーキー(無政府主義)になる一方だ。
筆者は30年前、香港に3年間駐在し、鄧小平時代の開放・改革路線の下で香港と隣の深センや広東省が一体となって発展する様子を見てきた。当時、香港や広東で流行したフレーズがある。一つは「グレーター・チャイナ」(大中国経済圏)。もう一つは「中国の香港化」だ。
中国の経済改革が軌道に乗れば、中国大陸は香港や台湾と合わせ「グレーター・チャイナ」を形成する。そして中国が豊かになれば、中国大陸もいずれ香港や台湾のように、豊かで自由な社会が実現する(「中国の香港化」)という意味だった。
高まる若者の経済的な閉塞感
香港行政長官であるキャリー・ラム氏。デモ隊が求めている「逃亡犯条例」の完全撤廃に対しては沈黙している。
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このフレーズの「主体」は香港であり、大陸中国は「客体」だった。それから30年、ファーウェイをはじめ世界的ハイテク企業の本社が集まる深センの域内総生産(GDP)は2018年、初めて香港のGDPを上回った。つまり主客転倒したのである。
香港の1人当たりGDPは日本を超えているが、その原因の一つは大陸中国の富裕層の不動産投機が、香港の地価や賃金を世界一に押し上げたからだ。アメリカやカナダの大学で修士号や博士号をとり、香港に戻って就職しても、わずか10平方メートルのマンションにしか住めない若者の不満は北京に向く。
中国が豊かになった結果、実現したのは「中国の香港化」ではなく「香港の中国化」だった。大陸中国に比べ社会・経済コストが高く不自由な香港 —— 。出口のない閉塞感に包まれた若者の気持ちが分かる気がする。
軍の介入には依然慎重
習近平氏は香港デモにどう対峙するのか。
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楊政治局員がニューヨークに行き、中国共産党の序列3位の栗戦書・全人代常務委員長(国会議長)が北京で活動したところをみると、指導部メンバーが避暑地に集まり重要課題を話し合う「北戴河会議」は終了したのだろう。会議では香港問題が話し合われ、軍動員を含めさまざまなシナリオが検討されたに違いない。
中国人民大学のアメリカ問題専門家で、国務院(政府)のアドバイザーを務める時殷弘教授は、香港英字紙「サウスチャイナ・モーニングポスト」(電子版8月15日)の取材に、軍介入について「まだその時期には至っていないが、暴力が続けば状況は変わる」と述べた。同時に時教授は「軍の直接介入は中国にとってコストが高過ぎる。あらゆる手段が尽きた場合に初めて発動される」とも述べ、軍動員に政府が慎重なことを示唆した。
「コスト」の内容について同氏は、米中貿易戦が長期化する中、香港の金融センターとしての地位は中国にとり重みを増しているとし、アメリカが香港に与えている優遇措置が止められたら中国経済への打撃が大きいことを挙げた。
抗議活動の長期化で、8月初旬の香港への観光客は前年比で3割減少。6月に前年同月比6.7%減だった小売りの売上高も、7、8月には2桁マイナスになる見通し。混乱がさらに続けば、国際金融センターの地位は揺らぐ。
岡田充(おかだ・たかし):共同通信客員論説委員、桜美林大非常勤講師。共同通信時代、香港、モスクワ、台北各支局長などを歴任。「21世紀中国総研」で「海峡両岸論」を連載中。