会社員が仕事でやりたいことを実現するための方法は2つある。
会社を辞めるか。それとも会社を使い倒すかだ——。
豊富な予算、伝統ある博報堂の『広告』ブランドを使い倒して、1円で売った、リニューアル創刊号がこれだ。
撮影:今村拓馬
今夏、全680ページフルカラー印刷、旬の知識人らがズラリと並んだ贅沢な「1円雑誌」が、全国書店で売り切れ続出と話題を呼んだ。博報堂が発行する、70年以上の歴史をもつ『広告』のリニューアル創刊号だ。
歴代、博報堂内でも実績のある著名なコピーライターなどが編集長を務めていた『広告』で新編集長となったのは、編集経験なし、普段は雑誌も読まないという小野直紀(38)。博報堂に勤めながら「広告会社でモノづくり」を実践してきた異色の存在だ。
豊富な予算、博報堂の看板、伝統あるブランドを、“使い倒して”生まれた1円雑誌。「会社のやるべきことと自分のやりたいことを、どうかけ合わせるかが面白い」と語る小野の、あえて会社に残る理由とは。
役員プレゼン資料に「辞表」
「もう、広告はやりません」
さかのぼること4年前、小野は博報堂の役員フロアを訪ね、役員に直談判で「やりたいこと」をプレゼンしている。そのスライド資料の1枚目は「辞表」の2文字だったという。
当時、入社7年目だった小野は博報堂のコピーライターとして働く一方、私的な活動としてデザイン集団「YOY(ヨイ)」を主宰。大学時代に学んだ建築をベースに、会社の仕事とは別に、空間やプロダクトデザインで、ものづくりに取り組んでいた。
「文化と経済の間」を目指して入った広告業界は、(取引先や利益をもっとも重視するような)「ド経済」の世界。その反動で「遊びや嗜好、意味のないものが作りたい」と向かったのが、社外活動だった。
壁の端がめくれて光が漏れて見える照明「PEEL」に、椅子の絵をプリントしたキャンパス型の椅子「CANVAS」——。YOYの作品は海外で話題を呼び、出展2年目にしてイタリア・ミラノで開かれるインテリアの見本市、ミラノサローネで受賞。海外メディアが取り上げ、商品化されるなど、その活動は注目を集めつつあった。
社外で名前が売れて、独立の流れは「背中が見えてしまって、つまらない」と語る『広告』編集長、小野直紀。著書に『会社を使い倒せ!』がある。
撮影:今村拓馬
博報堂にはもともと、名前が売れれば独立していく流れはある。社外活動の評価が高まる中で、周囲からも「独立してやれば?」としばしば言われるようになる。
しかし、小野の見る世界は少し違った。
「独立して(ド経済ではない)表現をやる人はたくさんいる。先人の背中が見えてしまっていては正直、つまらない」
だったら、博報堂でやっているコピーと、社外活動でつくるプロダクトを掛け合わせたらどうか。つまり「広告会社でモノづくりをしたい」。
そうして自ら会社に売り込んだのが、冒頭の「もう広告はやりません」だ。
「この雑誌を自分のために使っていい」
「広告をやりません、とかつて宣言した人間が、『広告』を冠した雑誌の編集長をやる。しかも僕は広告も説明できないし、国語は不得意です。歴代編集長を見れば、変わり種だと思います」
現在の小野は博報堂のプロダクト・イノベーション・チーム「monom(モノム)」代表を務め、かつてのプレゼンのとおり「広告会社でモノづくり」を仕事にしている。
YOYの活動との両輪で多忙を極める身でもあり、『広告』編集長の打診には実際、迷うところはあった。
それでも最終的に背中を押されたのは、打診の際に告げられたこの2点。
- この雑誌を自分のために使っていい
- 博報堂を背負わなくていい
『広告』は従来、編集長ごとに全くカラーが変わる。伝統を継承したりアップデートしたりする必要のない「ちょっと変な雑誌」(小野)だ。「これもご縁かもしれない」と、小野は考える。
会社でやりたいことをやる6つの極意
博報堂本社のある、赤坂Bizタワー。大企業のもつ、豊かなリソースを「使わない手はない」?
撮影:今村拓馬
終身雇用や年功序列といった、旧来の日本型雇用が崩壊しつつある近年、「会社を辞めて独立する」「辞めて好きなことを仕事にする」といった選択は、社畜的な働き方へのアンチテーゼと一緒くたになり、もてはやされる流れがある。
だが、小野はあえて会社に残ることを選んでいる。広告会社では異例のものづくりも、広告編集長就任も、そのベースにあるのが「会社を使い倒す」発想だ。
1. 自分のやりたいことと会社がやるべきことをかけ合わせる
ものづくりをやらない広告会社だからこそ、ものづくりをやるべきだ——。冒頭の役員プレゼンは、後にmonomとして結実。ボタン型スピーカー「Pechat」というヒット商品を世に送り出している。
自分がやりたいことだけを主張しても会社には採用されない。会社の現状を踏まえることは必須で、「ちょうど会社も新しいことをやらねばという時機にあった」(小野)のを、捉えた。
2. 5%のやりたいことのため95%のやるべきことをやる
私たちは、5%のやりたいことのために、やるべきことをどれぐらいやったのか。
撮影:今村拓馬
やりたいことを実現しているように見える小野だが、「最終的に自分がやりたいことはこれ、というものの5%ぐらいしかできていない」という。
「残りの95%はそれ以外な訳ですが、最終的に自分のゴール像があるなら、プロセスに必要不可欠な、やるしかないことは全てやります」
3.なんとなくダメをなんとなくいいにするロープレ
組織の根回しや決済をもらうプロセスも、小野は「全てはロールプレイングゲーム」と言う。
企画を通すために、「根回しの鬼」である、同期の経営企画出身の人間をチームに入れた。反対されそうな疑念はあらかじめつぶしていく。
「なんとなく悪いをなんとなくいいにしていく、白黒ではなく明るめのグレーを作る。(会社で自分のやりたい仕事をするということは)全てそういうゲームだと思っています」
4.自分に足りない視点を、会社を使って加える
個人的な伸び代のために、会社を「使うこと」は、会社のミッションと合致していればWinWinだ。
撮影:今村拓馬
創刊号のテーマは早い段階で「価値」にしようと決めていた。
「もともと僕はいいものを作ろうと思ってやってきたけれど、ではいいものって何だろう?つまり価値って何だろう」
そこで創刊号を通してやったのが「自分が取り組んできたものづくりにおいて、足りなかった視点を集めること」。
注目する歴史家や思想家との対談やインタビューをコンテンツにするなど「個人的なものづくり」の伸び代として、創刊号を「使った」。
5.謝って済むレベルなら勝手にやる
「まず既成事実を作る。犯罪さえしなければ、会社のためにやっていることなのだから、失敗したら謝ればいい」
小野は「ハコ(整った環境)ができるのを待つのではなく、まずやってみる。最悪、自分が借金するぐらいのつもり」で、企画や事業を走らせている。
「追い詰められた方がパフォーマスを発揮できるし、自分のモチベーションも上がる。周囲も巻き込まざるを得ない。そういう考えです」
6.失敗しても回り道しても、全て自分のためという思考をもつ
「これもご縁やで。全部あんたのためなんや」
編集長を引き受けた時しかり、小野の人生で、節目節目で思い出すのが、この言葉だ。
余裕のつもりだった第一志望の高校受験に落ちるという事態に、ショックのあまり呆然としていた小野に、地元関西の大叔母がかけた言葉だ。
「回り道すれば視野は広がる。失敗しても回り道しても、全部自分のため」
その思考が小野を支えている。
みんなが辞める中、会社に残るのは正直、おいしい
失敗したら、謝ればいい。残るのも、出るのも、リスクではない。
撮影:今村拓馬
ところで、1円雑誌の実際の原価は?と尋ねると、博報堂社員の人件費を除いても「1冊2000〜3000円ぐらい」だと言う。
数千万円級の年間予算を創刊号で半分も使うという贅沢も、儲けなくてよし、宣伝のミッションもない「自由度の高さ」も、他で収益が確保できている大手広告会社ならではだ。
まさに会社を使い倒している小野は「生涯一社にしがみつく方がリスク」とされるような、最近の風潮に付いては、どう捉えているだろう。
「うちの会社も毎年、人は辞めていますよ。で、優秀な人が辞める中で、ぼくが残っているのは正直、おいしいです。会社のもつ強さと僕のもつ強みの間でやりたいことをやる。会社と自分がどうかけ合わさるのか面白くて、これをやっています」
とはいえ、会社を辞めることがリスクとも思ってない。銀行から必死で頭を下げてお金を借り入れ、失敗したらクビをくくるような、深刻な時代とも思っていないからだ。
「失敗したら謝ればいいし、会社を出てからまた戻ったっていい。残るのもノーリスク、出るのもノーリスク。ただし、やりたいことをやらないことだけがリスクです」
(敬称略)
(文・滝川麻衣子、写真・今村拓馬)