大観光地化したチェルノブイリに行ってみた。ピカチュウの落書きと3400円のガスマスク

チェルノブイリ

当時のソ連の人気国産車だったという車。打ち捨てられ、そのまま残っていた。

写真:西山里緒

1986年4月に史上最悪と呼ばれる原子力発電所の事故が起きた、ウクライナ・チェルノブイリへの観光が人気を博している。その理由を探るため、2019年8月、現地を訪れた。

3400円のガスマスク

まあ、アウシュビッツとかヒロシマにいくみたいなもんだよね。知ってて損はない歴史だし

チェルノブイリ・ツアーが始まる、ゾーン(立ち入り禁止区域)へ入る30キロ圏内のチェックポイント。

ラフなジーンズとトレーナーという格好のアメリカ人の男性に、ツアーへの参加の理由を聞いてみると、そんな風にあっさりと話す。その後ろでは、6〜7台のツアーバスが並んでチェックを待っていた。

チェルノブイリ

立ち入り禁止区域内に入るチェックポイントは、行列になっていた。

チェルノブイリへの「観光」が、人気を博している。

現地の報道によれば、2019年にチェルノブイリの立ち入り禁止区域内への訪問者数は10万人が予測されており、これは前年のおよそ3割増だという。2015年には訪問者数はわずか8000人だったというから、いかにその人気が急激なものかがわかる。

チェルノブイリの街から車で2時間ほど離れた、ウクライナの首都・キエフの街中でも、史上最悪の原発事故が起きた場所への、ある種の“無頓着さ”を感じた。

歩き回っていて見かけたのは、ガスマスクのレプリカと、デカデカとアピールされた「トリップアドバイザー・ナンバーワン・ツアー」の文字。

ガスマスクのレプリカ(左)と、「トリップアドバイザー No.1 ツアー」の広告。

ガスマスクのレプリカ(左)と、「トリップアドバイザー No.1 ツアー」の広告。

店内(ツアー会社の窓口になっていた)に入ると、線量計(ガイガーカウンター)、ワッペン、ポストカード、といった「おみやげ」が出迎えてくれた。ガスマスクの値段を見てみると、ウクライナの通貨で800フリヴニャ、約3400円だ。

廃墟のピカチュウ

チェルノブイリ

捨てられた学校の跡地。床に散らばっているのはガスマスク。

かくいう筆者も、8月に「観光」目的でチェルノブイリを訪れてみたひとりだ(正確には取材目的だったけれど、文字通り「チェルノブイリ・ツアー」に参加し、廃村をウロウロするだけが目的だったので、やっていることはほとんど観光と変わらなかった)。

独特な青色があしらわれた家屋、ソ連時代に使われていた教科書、国産車。33年前に捨てられたソビエト連邦時代の遺跡……。

チェルノブイリ

青色が目を引く、廃村の家屋。

そこにあったのは、チープな感想だが、ゲームや映画のなかのような現実味のなさだった(実際、原子力発電所に最寄りの街でチェルノブイリの隣りに位置するプリピャチは有名なゲームの舞台にもなっているようだ)。

立ち入り禁止区域内にある捨てられた家にいわばゲーム感覚で勝手に侵入する人々は以前から問題視されてきたが、チェルノブイリへの観光が一般化したことで、ここ1年ほどで新しい動きも目立ってきている。

それがインフルエンサーによる不適切な画像・動画投稿だ。実際、インスタグラマーが立ち入り禁止区内でヌード写真を撮影し、SNSで炎上騒ぎが起こったりもしているようだ。

村をめぐっていると、さまざまな場所でピカチュウのグラフィティ(落書き)を見かけた。ピカチュウといえば、いわずと知れたポケモンのキャラクターだが、電気ねずみという設定があるので、発電所とかけた一種のジョークなのだろう。

さらに皮肉だと感じたのは、ポケモンGOをしている観光客と、彼/彼女にけげんそうな目を向ける、現地の原発作業員を描いたグラフィティだ。観光客はTシャツ・短パンでのんきに「ピカチュウはどこ?」と聞いているように見える。

チェルノブイリ

チェルノブイリから少し離れた軍事都市「チェルノブイリ2」で見かけたグラフィティ。多くは立ち入り禁止区域内に不法侵入する人々が描いていくもので、定期的に管理部門が消しているそうだ。

現実ではない「ゲーム」感覚で被災地を訪れている観光客がいることへの、風刺なのかな。そう思いながら、パシャリと落書きにスマホカメラを向けた。

政府の方針転換は2016年から

チェルノブイリ

Googleトレンドの「チェルノブイリ」英語(青)ロシア語(赤)ウクライナ語(黄色)の結果。2016年が事故から30年という節目の年だったことを考えても、いかにここ最近の関心の高まりが大きいかがわかる。

画像:Googleトレンド

2019年になって、なぜいきなりチェルノブイリの人気が高まったのか。ひとつには、ここ数年のウクライナ政府による政策の転換がある。

現地の報道によれば、敷地内にトイレや食堂などが設置され、チェルノブイリを民間企業など外部に公開する政策が整い始めたのが2016年から。その後、敷地内の土地を民間企業に貸し出したり、企業が支払うゾーン内の見学料を仕組み化するなど、チェルノブイリの“観光ビジネス化”が進んでいった。それまでは研究者やジャーナリストが主だった訪問者のすそ野はグッと広がった。

チェルノブイリ

爆発した原子炉を覆うあたらしい石棺の前で線量計を見てみると、0.86マイクロシーベルトだった。

2018年にはこうした企業から年間で数千万フリヴニャ(数千万円から億単位)の収益が入ってきているそうだ。

さらに2019年には、放射能漏れを防ぐため、爆発した原子炉を覆う新たな建造物(新石棺)も完成した。

実際に新石棺の前で線量計をかざしてみたところ、検知されたのは0.86マイクロシーベルト。完成前と比較すると、放射線量は10分の1程度になっているようだ。

チェルノブイリは“いま”の問題だ

そして、直接的な理由はやはり、2019年5月から6月にかけてアメリカで放映されたドラマ『チェルノブイリ』の影響だろう。製作はアメリカのケーブルテレビ局、HBOだ。

「ドラマのアカデミー賞」エミー賞に19部門ノミネートされたこのドラマは、事故当時の当事者たちの様子をドキュメンタリータッチでリアルに描き出し、批評サイトなどでも軒並み歴代最高得点をマークする、異例の大ヒット作になった。ツアーに参加していた20〜30代の人たち何人かに尋ねてみても、全員がドラマを観ていた。

ドラマで繰り返されるのは「ウソの代償」というテーマだ。ドラマの冒頭はこんなモノローグから始まる。

ウソの代償とは?(中略)本当に危険なのはウソを聞きすぎて ── 真実を完全に見失うこと その時どうするか 真実を知ることを諦め ── 物語で妥協するしかない

ウソの代償としての犠牲者が、ドラマでは残酷なまでに描き出される。 なぜ事故は起こったのか。大気中の放射線量はどれほどなのか。混乱のなかで“真実”を追い求める研究者と、隠ぺいを図る政治家。何も分からないまま、苦しみ抜いて死んでいくふつうの人たち。

いうまでもなく「ウソの代償」というテーマは「オルタナ・ファクト(もう一つの事実)」や「ポスト・トゥルース(真実を軽視する社会)」といった、SNSの広まりによって大きくなってきた問題と分かりやすくつながる。ドラマはチェルノブイリ事故を“いまの問題”として、私たちに突きつける。

実際、アメリカのホラー小説家、スティーヴン・キング氏は、ドラマを引用しながらトランプ大統領をこう批判する。

「It's impossible to watch HBO's CHERNOBYL without thinking of Donald Trump; like those in charge of the doomed Russian reactor, he's a man of mediocre intelligence in charge of great power--economic, global--that he does not understand.

ドナルド・トランプのことを考えずに、HBOの『チェルノブイリ』を見るのは不可能です。彼は、不幸な運命をたどったロシアの原子炉の責任者たちと同じです。平凡な知性しか持たず、彼が持つ(経済的影響力のあり、グローバルな)権力について理解していない

しかし本当に問題なのは ── そしてこのドラマがここまでの人気を博した理由は ── 「ウソの代償」という言葉から私たちがイメージする人やモノに、もはや共通点は何もないことをあぶりだしてしまったところにある。

キング氏のツイートのリプ欄を見ると「自分はドラマを見て民主党(リベラル、左翼、共産党、などなど)のことをこそ考えた」という(トランプ支持者と思われる人々からの)怒涛のリプが寄せられている。

右派も左派も問わず、「ウソの代償」の名の下に誰もが誰かを糾弾できる、そんな状況をドラマ『チェルノブイリ』は作ってしまったからこそ、このドラマはここまでの問題作になったといえる。

ロシアはドラマに反発

チェルノブイリ

『チェルノブイリ』はウソと真実がこれまでになく曖昧になった現代社会をあぶりだす。

筆者が体験したチェルノブイリは、とても一面的にはとらえられないものだった。

まるでスマホゲームの世界のように美しかった廃村と、史上最悪の原子力発電所事故。“不謹慎”なインスタグラマーと、被災地の“ビジネス化”を推し進めるウクライナ政府。ポケモンGOでピカチュウを探す観光客と、現地の原発作業員。そして、ウソの代償が意味すること……。

自らも「観光客」を名乗ってチェルノブイリ・ツアーを2013年から実施している哲学者の東浩紀氏は、観光客の強みを「複数のコミュニティを適度な距離を保ちつつ渡り歩いて」(『弱いつながり』より)いけることとしたうえで、こう語っている。

「ひとつの町が、言語により、また検索者の関心や欲望により、異なった複数の顔を見せる。それは、グローバル化と情報化が進む二一世紀においては多くの土地で起きていることである。(中略)それゆえ、ぼくたちは、この時代に『本物の風景』を発見するためには、つねに複数の検索ワードを使って、できれば複数の言語を使って、複数のインフォスケープを手に入れてそのあいだを往復しなければならない」(『テーマパーク化する地球』より)

チェルノブイリからどんな“真実”が見いだせるかは、ひとつの体験やひとつの過去からいかに「複数のインフォスケープを手に入れ」ることができるか、というひとりひとりの姿勢にかかっている。

2019年6月、ロシアの国営放送NTVは、チェルノブイリ事故の“本当にあったこと”について伝える新たなドラマを製作する予定だ、と報じられた。

(文・写真、西山里緒、取材協力:スター・チャンネル)


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