将来不安は、年金の「老後2000万円問題」だけでない。実は退職金の額も減っているって知ってましたか?(写真はイメージです)。
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金融庁の報告書によって大きな不安を巻き起こした「老後2000万円問題」。
公的年金だけだと30年間で生活費は約2000万円不足する、という内容が「政府のスタンスと異なる」として、麻生太郎金融担当大臣は報告書の受け取りを拒否したが、8月27日公表の「将来の公的年金の財政見通し」(財政検証)でも、残念ながら内容は真実だと示された。
想定以上に年金は減る
政府は経済成長などを前提に6つのケースで将来の所得代替率(現役世代の平均給与に占める年金支給額の割合)を試算。2019年度の夫婦計の年金額は22万円、所得代替率は61.7%になっているが、専門家が比較的妥当と推定する5番目のケース(実質経済成長率0.0%)では2044年度に50%を割り込み、2058年には44.5%に下がる。
しかもこのケースは実質賃金が毎年0.8%ずつ上がり続け、女性や高齢者も働き続けるという前提だ。しかし、景気拡大期といわれる2013年から2018年の間で実質賃金がプラスだったのは2016年と2018年しかない。2019年も1月から7月まで7カ月連続マイナスとなっている。このままでは想定以上に年金額が減り、年金だけで生活できないのは明らかだ。
実は政府が公的年金の老後生活の補完として秘かに期待しているのが定年後の退職金だ。実際にサラリーマンの中にも退職金や企業年金を当てにしている人もいるかもしれない。ところが、その退職金にしても年々減り続けていく可能性が高いのだ。
余裕ある老後には夫婦で年500万必要
旅行や趣味などを満喫できる老後は、一部の人の“贅沢品”になるのかもしれない(写真はイメージです)。
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平均退職給付額(大学・大学院卒)は1997年の3203万円から2017年は1997万円まで落ち込んでいる(厚生労働省「就労条件総合調査」)。比較的大企業が多い経団連の加盟企業の調査でも、総合職・大学卒(勤続年数38年)の2010年の60歳定年時の平均退職金は2443万円。
毎年少しずつ減少し、2018年は2256万円に下がっている。
1990年代から2000年初頭は大企業の定年退職金は3000万円が相場と言われ、公的年金と合わせて、老後は比較的余裕のある生活を送っている人も多い。一例を紹介しよう。
現在70歳のサトウ氏(仮名)は大卒後の1973年に従業員1万人規模の中堅電機メーカーに就職。人事畑を歩み、最後は人事部長を経て、2011年に60歳で退職した。退職金は3500万円だった。
一般的に退職金は「退職一時金」と老後の年金として受け取れる「退職年金(企業年金)」で構成される。サトウ氏の退職一時金は1900万円、企業年金分が1600万円である。退職一時金は退職時に一括で受け取る。企業年金分も一括で受け取ることも可能だが、サトウ氏は毎月年金で受け取ることにした。
1900万円の中から700万円を会社融資の住宅ローンの残りの返済に充て、1200万円を貯蓄に回した。さて現在の収入は企業年金の毎月の受取額は12万円、公的年金は専業主婦だった妻との合計で28万円。計40万円。年収480万円になる。やはり大きいのは退職金の一部である企業年金だ。
これだけの収入があると、老後生活も楽しい。年金制度に詳しいファイナンシャルプランナーは、「老後に年間500万円あれば、年に1回、近場の海外旅行ができますし、ヨーロッパ、アメリカ旅行が2〜3年に1回、春と秋の国内旅行も楽しめる。孫のお年玉やお祝い事のプレゼントなど良い格好もとれます」と語る。
企業年金廃止、一時金のみの企業増加
企業年金を廃止する企業も少なくない。特に中小企業を中心に退職一時金のみの企業も多い。
撮影:今村拓馬
しかし仮に定年まで勤めたとしても、退職金が2000万円を割り込むような今の現役世代にとって、こうした生活は夢物語に終わる可能性が高い。
そもそも企業年金のある企業が2008年の37.5%から2018年には22.6%に減少している(就労条件総合調査)。それに対して退職一時金のみの企業は46.4%から55.2%に増えている。
一般的な企業年金である「確定給付年金」は外部の金融機関に積立を行うので会社が倒産しても受給権は確実に保護される。それに対して退職一時金は自社積立が主なので、仮に業績の悪化や倒産でもすればもらえなくなる可能性もある。
企業年金のある企業がなぜ減ったのか。
原因の一つは国の企業年金制度の廃止だ。国は2000年以降、中小企業の多くが加入していた適格年金制度や厚生年金基金制度を順次廃止し、新たに制度化した安定的な企業年金制度に移行するよう誘導してきた。ところが適格年金制度は廃止に伴い、何らかの制度に移行したのは6割にすぎず、4割が移行していない実態もある。結果的に中小企業を中心に退職一時金のみの企業が増えた。
同期でも退職金に大きく差
ポイント制を導入した企業であれば、同期と言えども、退職金の金額には大きな差がつく(写真はイメージです)。
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ただし大企業は企業年金を残している企業も多い。先の経団連の調査でも退職一時金と退職年金を併用している企業が72.1%もある。
それでも退職金が減り続けているのはなぜなのか。そして今後も減り続けるのはなぜなのか。その理由は以下の3つである。
- 年功型退職金から成果主義型退職金制度に移行
- 企業年金の積立不足による減額給付の拡大
- 財務リスク回避による確定拠出年金への移行
従来の退職金は、退職時基本給×支給率(勤続年数)で決まる年功的な仕組みだったので、自分がどれぐらいもらえるのかもわかるし、同期入社なら大体同じ金額をもらえると予想できた。
ところが2000年前後から、「ポイント制退職金制度」に移行する企業が増えた。この仕組みは「役職ポイント」「業績ポイント」「勤続ポイント」などで構成され、累積されたポイント×単価で退職金が決まる。
年功制度の見直しが退職金にも
以前は平均約3000万円だった大企業の退職金が今では、管理職でも2500~3000万円程度に落ち込んでいる(写真はイメージです)。
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つまり、昇進の有無や人事評価によって退職金額が大きく変わり、同期間でも大きく差が開く。ポイント制退職金に変更した一部上場企業のサービス業の人事部長はその経緯をこう語る。
「変更したのは1998年です。年功型の賃金制度は体力的に維持できないと、給与制度を成果主義に移行し、全体として人件費の圧縮を図りました。それと並行して退職金制度もポイント制に移行し、勤続年数が長ければ退職金が増える仕組みはその時点で終わりました。
逆に昇進しなければ増えませんが、管理職ポストも限られているので実質的に退職金全体も減っています。今では管理職の平均で2500~3000万円程度。非管理職層は2000万円を切っています」
この会社では制度導入以前は平均でも3000万円ぐらいだったというから、かなり減っていることがわかる。
経団連の調査でもポイント制退職金を導入している企業は83.2%と最も多い。しかもポイントの配分割合は「年功要素」が19.2%であるのに対し、役職などを意味する「資格・職務要素」が68.0%を占めている。
低金利で運用難、減額に
こうした退職金引き下げの事情は、上記の2(企業年金の積立不足による減額給付の拡大)とも関係している。外部の金融機関に積み立てている企業年金は低金利下で運用難に陥り、想定した収益を出せなくなり、結果的に退職金の減額に踏み切った企業も多い。前出の人事部長も、
「バブル崩壊後の低金利で企業年金の運用が回らなくなり、一時は企業年金をやめて退職金前払い方式で、一定の金額を給与に上乗せする案も出ましたが、結局、ポイント制に変更して退職金を調整することにした」
と言う。
さらに上場企業の企業年金に決定的影響を与えたのが2000年の「退職給付会計」の導入だ。決算書に新たに退職給付債務や積立不足などを記載することが義務づけられた。その結果、企業年金の積立不足に陥っている企業が多いことが明らかになった。積立不足が大きいと業績にも悪影響を与えるだけではなく、株価の低迷や社債格付けの低下などのリスクをもたらす。
リスクを減らすには不足額を穴埋めする必要があるが、その対策の一つが当時401k年金と呼ばれていた「確定拠出年金」の導入だった。会社が拠出した掛金を社員が自己責任で運用する年金だ。従来の確定給付年金は積立不足が発生すれば不足分を会社が補てんしなければならなかったが、確定拠出年金は運用損失が発生しても不足を穴埋めする必要がなく、財務リスクがなくなるからだ。
相次ぐ確定拠出年金の導入
今や多くの企業で導入が進む確定拠出年金。だが、その内容まで目配りできている会社員がどれだけいるのだろうか(写真はイメージです)。
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2001年に確定拠出年金の制度運用が始まって以来、導入企業が年々増え続け、2019年6月末には3万3762社に達している。それでも当初は企業年金の一部を確定拠出年金に移行し、併用する企業が多かった。
だが、近年は確定拠出年金に全面移行する企業が徐々に増えている。製造業ではパナソニックに続いてソニーが2012年入社の社員から確定拠出年金を導入、2019年10月には既存社員を含めて全面移行する予定だ。博報堂DYホールディングスも2018年4月から移行。いずれの企業も導入目的に「財務上のリスクの軽減」を掲げている。
社員にとっては上手く運用すると退職金を増やせるメリットがある半面、失敗すると本来もらえる退職金より減るデメリットもある。会社にとっては決まった掛金を拠出するだけの確定拠出年金だが、社員にとっては“未確定給付年金”だ。そして実際に不利益を被っている社員も多い。
想定利回り下回り目減り
格付投資情報センターによると、2019年3月期の企業型確定拠出年金加入者の平均運用利回りは1.86%(通算、年率換算ベース)だった。個人の運用としては決して悪いとはいえないが、実は企業が設定している平均想定利回りは2%程度。想定利回りとは、会社が想定した退職金目標額を前提に掛金を運用する利回りのことである。
つまり拠出した掛金を2%で運用すれば退職金目標額に達するが、2%を下回れば定年退職時の目標額に達しないということになる。通算で2%を下回っているということは加入する社員の退職金の目減りを意味する。
2018年度単年度だけで見るともっと深刻だ。平均利回りは0.40%。0~1%の加入者の割合は56.2%に上る。また1~2%が14.9%となっている。もちろん利回りは景気にも左右されるが、金融の専門家によれば、景気の好不況に関係なく0~1%の利回りの人が常に4割程度いるという。最大の理由は加入者の多くが元本確保型商品(定期預金など)に多く配分しているためとされている。
想定利回りを下回った場合はどうなるのか。仮に1000万円の目標金額を想定利回り2.5%(35年)に設定している場合、実際の運用利率が0.5%であれば元利合計で約680万円。本来もらえる1000万円より、300万円以上も減額されることになる。
関心薄い退職金運用
今後も財務リスク軽減の観点から現行の確定給付年金を確定拠出年金に全面移行する企業が増えてくるだろう。そうなると社員の退職金はますます減少していくことになる。しかし社員の関心は薄い。投資教育会社プルーデント・ジャパンが企業型確定拠出年金に加入する顧客企業の従業員約2万2000人に実施したアンケート調査(2018年度)によると、自分の毎月の掛金を知らない人が57%、年金残高をウェブや通知書類で確認したことがある人は51%にすぎなかった。
制度発足以来、20年近くになるが、結局、素人には投資は難しかったということになる。本来なら労働組合が想定利回りを引き下げる(掛金を上げる)ことを要求すべきであるが、そういう声はあまり聞こえてこない。今の運用実態が続けば退職金は減少の一途をたどることになる。
退職金は政府が期待する公的年金の補完どころか、老後の生活を支える機能すら失っていく可能性もある。
溝上憲文:人事ジャーナリスト。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て独立。人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマに執筆。『非情の常時リストラ』で2013年度日本労働ペンクラブ賞受賞。主な著書に『隣りの成果主義』『超・学歴社会』『「いらない社員」はこう決まる』『マタニティハラスメント』『人事部はここを見ている!』『人事評価の裏ルール』など。