菅原理之さん(38)は2019年、外資系広告代理店から銭湯への“転職”を果たした。
撮影:今村拓馬
創業86年になる高円寺の銭湯「小杉湯」。38歳の菅原理之(ガースー)さんはこの9月、そんな老舗銭湯への「転職」を決めた。
前職は外資系広告代理店のプロデューサー。社員の数は約1万人から3人に、1000万以上だった年収は半分になったが、ガースーさんは充実感たっぷりだ。
収入と幸せは比例しない
昭和からタイムスリップしてきたような趣の高円寺「小杉湯」。
JRの高円寺駅に降り立つと、ブワッとした喧騒につつまれた。駅前のパチンコ屋の横のにぎやかな商店街を歩いていくと、赤い帽子の園児たちがヨチヨチと通り過ぎる。
そこから小道を一歩入れば、まるで昭和からタイムスリップしてきたような銭湯「小杉湯」が見えてくる。
外資系広告代理店で「ゲームのようにレベルアップしている感じ」のキャリアを築いていたガースーさんが、まさかの銭湯に転職することになった理由は、30代の半ばに感じた悩みだった。
「お客さんの上司が変わったから方針が変わってしまうとか、『こうしたら広告賞が取れる』という代理店の方針とか。しがらみは当然と分かっていつつも、(違和感が)ぬぐえなくなってきて」(ガースーさん)
キャリアに悩んでいたガースーさんを救ったのは、銭湯だった。
収入と責任が増えるにつれ、積もっていく違和感。
そんな折、趣味で入っていたサウナのオンラインサロンを通じて、たまたま小杉湯でフィンランド関連のイベントをすることになった。
「そういえば代理店のクライアントにフィンランド航空さんがいた。つなげるよ、提案しに行こうよ!」
ボランティアで働くガースーさんをみて声をかけたのが、小杉湯の三代目・平松佑介さん(39)だ。
銭湯というビジネスモデル
「きれいできもちいい」銭湯は、自然と人が集まる“場”になる、と平松さん(写真右)。
じつは小杉湯も、銭湯業界ではちょっとした風雲児。
オンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」や銭湯の音楽フェスなど、一風変わった取り組みをしかけてきた。その仕掛け人といえるのが、人材系ベンチャー立ち上げの経験もある三代目の平松さんだ。
なぜ、小杉湯からあたらしい企画が次々と生まれているのか。 平松さんはまず「きれいできもちいい」という、初代から続けてきた銭湯の本質を大切にする、とした上でこう続ける。
「銭湯ってひとつの強い体験。さらに毎日人も集まっていて、生活の一部になれる場所でもある。だから、深いレベルでファンになってくれやすい」(平松さん)
イベントを立ち上げたい、番頭になりたい、というお客さんの声をすくい上げていたら結果としておもしろい人が集まっていた、と平松さんは笑う。
関わりを深めるうち、ガースーさんも「銭湯というビジネスモデルはおもしろい」と考えるようになり、ついに入社を申し出ることに。前職の仲間からは、わけが分からない、といわれる決断だった。
事業計画ってこう立てるんだ
銭湯に入ったあと、お客さんに持って帰ってもらう気持ちを考えるのもガースーさんの仕事だ。
ガースーさんはサラリーマンとしての自分のスキルをすぐに発揮して平松さんを驚かせた。
どんぶり勘定だった経理を「平松家のおサイフから分ける作業」からはじめ、人事労務、バイトのシフト管理まで。
「事業計画とか、なんで立てられるんですかって(笑)。僕は人と関わるのは得意ですが、実務能力は欠けていて……」平松さんはそう苦笑する。
社員3人の会社だが、肩書きはチーフ・ストーリーテラー(CSO)。
小杉湯が大切にしてきた銭湯の気持ち良さを言葉に落として伝える(Storytelling)が大枠の意味だが、ブランディングはもちろん、お金の使い方や組織としてのあり方を川上から川下まで考える役割だ、とガースーさんはいう。
「広告でいうと読後感といったりするんですが、お客さんに持って帰ってもらう気持ちがどんなものかを考え、そのためになにをやるべきか、やらないべきかを作っていくことかなと」(ガースーさん)
インバウンド観光客が増え続ける今、日本文化としての銭湯も脚光を浴びている。続々と舞い込む、広告代理店からのイベント相談の橋渡しをするのもガースーさんの大切な役目だ。
ゴールを目指さない生き方
ゴールを追い求めてきたから、小杉湯は86年も続いたわけではない。
掲げたゴールをKPIに落とし込み、その達成をひたすら追い求めていた広告代理店時代。年収も部下も増え、それは“正しいこと”だと思っていた。しかし、それでも幸福度が増えていかないことにふと気づいた。
そこで出合った創業86年の小杉湯は、そうした明確なゴールありきではなかった。
「武士道などの東洋思想には、“道”という考え方があります。ゴールを目指すのではなく、つねに一定の状態を保って歩き続けていけば、その先につながるものがある。僕はどっちかというとそっちの発想が自分に向いているんだなって」
収入が下がったことに、不安を感じないわけではない。けれど、食べていけるなとも思うんですよね、とさらりという。実際、一週間の半分はフリーランスとしての仕事を請け負っている。
ガースーさんが今取り組んでいるのは「家業を事業にすること」。
伝統工芸品など良いプロダクトは持っていてもビジネスの感覚がわからない“家業”にビジネスマンの知見を広め、稼げるビジネスにしていく。
ガースーさんのような人こそこの業界に必要だ、と平松さんは声に力を込めた。
(文・西山里緒、写真・今村拓馬)