若手官僚たちの退職が相次ぐ。霞が関の働き方に限界を感じて。
REUTERS/Jonathan Ernst
2019年9月末、1人の厚生労働官僚が霞が関を去った。前医療政策企画官の千正康裕(せんしょう・やすひろ)氏。
入省から18年半、年金や児童福祉の分野で充実した官僚生活を送った千正氏だが、同僚たちの「パンク寸前」の働きぶりに危機感を抱き、外から官庁の働き方改革を加速させたいと考えたという。退職に至った経緯や、厚労省の働き方の実態を尋ねた。
どの部署も「休職者出てもおかしくない」
千正氏は在職中、官僚としての日常生活や政策に対する意見を実名でブログにアップするなど、霞が関には珍しい「顔の見える官僚」だった。ホームレスや性犯罪被害者などの支援現場に足繁く通い、民間のNPO団体関係者らにも友人が多い。
駐在したインドへの思い入れは強く、今後はインド人技能実習生の受け入れ体制整備などもサポートしたいという。
撮影:有馬知子
幅広い人脈を生かして、専門家や当事者の意見を聴き、新しいアイデアを政策に盛り込むことが「役人としての自分の価値だった」(千正氏)。
だが、管理職に昇進し部下を持つと、20代、30代の若手にはそれが難しいことを痛感した。数が足りないのだ。部下たちは長時間労働を強いられ、新しい提案をしようにも「これ以上仕事が増えたらパンクする」状態だった。
千正氏自身、人手不足を補うため部下の仕事も引き受けた結果、不眠とうつに陥り、今年に入って約3カ月休職した。月曜日に登庁するのが楽しみだった自分すら、病気になってしまうほど膨大な業務量。
さらに復職後、多くの人から「自分の部署でも休職者が出た」などと打ち明けられるようになり「このままでは省が崩壊してしまう」との危機感がさらに強まった。
厚労省の働き方を変えるためにも、また自分の人脈や発想を生かすためにも、活動の場を省外に移そうと決意したという。
彼は退職に当たって、全職員宛に一斉メールを送り、以下のように記した。
「公務への愛情は、みじんも変わりません。恩返しに、霞が関の働き方改革を成し遂げたいと思っています。外に出ることで、格段にできることも増えます」
「生きながら墓場に」緊急提言の悲鳴
深夜までの仕事が続くと、「なんのために働いているのか」という気持ちになる(写真はおイメージです)
撮影:今村拓馬
厚労省の働き方をめぐっては、8月に省内の若手チームも緊急提言を発表した。提言には職員たちから寄せられた、悲鳴のような声が列挙されている。
「入省して、生きながら人生の墓場に入ったとずっと思っている」
「毎日いつ辞めようかと考えている。毎日終電を超えていた日は、毎日死にたいと思った」
「時間外・深夜労働が当たり前の職場環境では、一生この仕事で頑張ろうと思うことはできない」
千正氏は、職員から余裕が失われる中で「政策を作る力が落ちてしまうのではないか」と懸念する。
「官僚は現場で支援者や支援の受け手と会い、実情を知って初めて、自分の書いた法案や答弁が、どんな結果を生み出すのかをイメージできるようになる。しかし今、若手は現場に行く時間をなかなか持てない」
6割が国会業務に負担感じる
官僚たちの多くが、改善してほしい業務として「国会関連業務」をあげる。
撮影:今村拓馬
特に国会開催中は、自分の担当部署へ「明日の審議で質問をする」という議員からの通告が急に来ることもあるため、職員は長時間、待機せざるを得ない。
「午前3時に答弁書を大量にコピーし、自転車で官邸に運んだこともある」(千正氏)
国会議員への政策説明のため、職員が1日に何度も厚労省と議員会館を往復することもある。各省庁の説明が立て込み、議員の事務所で待たされることもざらだ。
厚労省若手チームが、職員に対して実施したアンケートでも、「負担に感じる仕事」として国会関連業務を挙げる回答が最も多く、全体の63%に上った。
大臣室前には早朝から、各課の課長が列を作る。国会答弁や記者会見に備えて、大臣へ必要事項を説明する「レクチャー」のためだ。「課長級に昇進してすら、早朝から激務が続く姿を見せられては、若手のやる気がしぼんでしまうのではないか」と、千正氏は疑問を投げかけた。
保育政策から遠のくワーママ
一番切実感を抱えているワーママ官僚が、保育政策に関われないという矛盾。
撮影:今村拓馬
千正氏は長時間労働が政策立案の足かせになっている例として、保育分野を挙げる。
保育関連の政策は注目度が高く、国会でもたびたび取り上げられる。だが前述したように、議員の質問に対する答弁作成は深夜に及ぶことも多く、子育て中の職員に仕事を割り当てづらい。結果、担当課の職員のほとんどが24時間対応可能な、子どものいない若手や既婚男性だという。
「子育て中の女性は保活の経験やママ友からの情報を反映し、よりよい保育政策を作れるはずだ。『保育園落ちた日本死ね』のブログのような、世間の動きにも素早く反応できるかもしれない。彼女たちも政策に携われるよう、国会対応の方を変える必要があるのではないか」
千正氏の知人の中には厚労省の仕事自体にはやりがいを感じながらも、「10年後、20年後を考えると、仕事と家庭生活のバランスの方を選択したい」と、厚労省から民間企業へ転職した女性職員もいるという。
若手チームにも「子どもがいる女性職員が時短を選択しているのに毎日残業をしたり、深夜にテレワーク等で苦労したりする姿を見て、自分は同じようには働けないと思った」という、退職者の声が寄せられていた。
官僚にかかるコストを効率化する
書類作成などの効率化は、税金の無駄遣いを減らすことにもなる。
Jat306/shutterstock
霞が関の働き方改革は、国民にとっても税金の有効活用というメリットをもたらすと、千正氏は強調する。
「国会議員や一般の人は、官僚は公僕で『いくらでも働かせてよい』存在だと思いがちなのでは。目に見える税金の使い方には注目が集まるが、官僚にかかるコストを効率化するという意識は薄いように見える」
夜遅くまで国会答弁の作成に追われた時の残業代、深夜帰宅のタクシー代、資料のコピー代に議員会館への往復の電車代……。これらの原資は、主に国民からの税金だ。
厚労省も、審議会の配布資料をタブレットで見るようにするなど「紙文化」からの脱却を進めつつある。千正氏が最後に担当した仕事は、厚労省と議員の事務所をテレビ会議でつなぎ、リモートで政策説明を行う試みだったという。
ただ取り組みを加速させるには省内はもちろん、受け手である議員らの意識変革も必要だ。その際に鍵となるのが国民の声だと、千正氏は指摘する。
「省の幹部や国会議員は、世間の評価に敏感だ。『国民への貢献と関係のない業務は、なるべく減らすべきだ』というコスト意識が一般の人に強まれば、幹部や議員の意識も変わるのではないか」
業務リストラが進めば、若手が現場で勉強する時間も生まれ、より実態に合った政策立案が可能になるかもしれない。
そこでもう一つ、千正氏が必要と考えるのが、「分かりづらくなりがちな政策を、かみ砕いて説明すること」だ。
千正氏が職業人生の最初に携わった法案は年金制度の改正だったが、改正そのものより政治家の年金未納問題に注目が集まった結果、国民年金の納付率は下がってしまったという。この時「どんなに良い法律を作っても、一般の人に納得してもらえなければ、ルールを守ってもらえない」ことに気付いた。
今後も働き方改革や政策について、情報発信を続けるという千正氏。またこれまで培った人脈を生かし、NPOなどとの協同も考えているという。「多くの人に中身を知ってもらえれば、いい働き方も、いい政策も実現できると思う。外から、厚労省と省内の仲間たちを応援したい」と話している。
千正康裕:元厚生労働省医政局総務課企画官。慶応大卒。2001年厚労省に入省し、年金や雇用、児童福祉などに携わったほか、インド大使館にも赴任。2019年9月末、厚労省を退職。
(文・有馬知子)