書評『イノベーターズ』:イノベーション語る人々に必読「コンピューターをめぐる“歴史書”」

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書籍『イノベーターズ』(ウォルター・アイザックソン著)の書影。上下巻構成で、現代のコンピューター史を描き出す

撮影:三ツ村崇志

本書『イノベーターズ』は映画化もされた伝記『スティーブ・ジョブズ』などで有名なベテランの伝記作家による、ベストなタイミングでまとめられた「コンピューター史」だ。

原著は2014年、折しも、ディープラーニング(AI開発で注目される「深層学習」)が広く知られ始め、普通の人々が注目するまさに「直前」に上梓された。だからこそ貴重であり、さまざまな見識に富んでいる。翻訳するのが非常に大変だったことが伺える。

実際、あとがきを見る限り、かなりの挫折を乗り越えて翻訳されたようだ。

個人的には人類初のマイクロプロセッサーの設計に多大な貢献をした日本人、嶋正利への言及は欲しかった。が、これは私が日本人だからこそ感じる小さな苛立ちに過ぎないだろう。

主役はオーガスタス・エイダ・バイロン嬢

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上下巻で構成される本書の冒頭に収録された年表。最初の人物が、このオーガスタス・エイダ・バイロン嬢。

撮影:三ツ村崇志

興味深いのは、本書の主役がオーガスタス・エイダ・バイロン嬢(のちのオーガスタス・エイダ・ラブレース伯爵夫人)であることだ。

英国の大詩人、バイロン卿の娘として生まれたものの、生涯、父と会うことのなかったエイダ。バイロン卿は日本で言えば太宰治のような恋多き人で、エイダの母親は「父親のようにならないように」芸術を禁じ、科学と数学を学ぶことを娘に奨励した。

エイダは父親譲りの芸術的気質を兼ね備えたまま、数学者としての才能を開花させた。いや、実際には彼女は数学者ですらなかった。

彼女は「人類で最初のプログラマー」となったのだ。コンピューター自身が発明されるよりも前に、プログラマーが出現したことは暗示的だ。科学に裏付けられたイマジネーションこそが人類の創造性の原点なのだ。

詩人の血と数学の才能、文系たる「リベラルアーツ」と理系たる「数学」の交差点。こうした場所にこそイノベーションの秘密がある、というのが本書を貫くテーマの一つだ。

本書は彼女が計算機械の向こう側に見つけた壮大なるビジョン……数学的問題を解くだけでなく、「実行手順を人間が説明できるものであればどんな処理でも実行」できる万能知識処理機械「コンピューター」……を追求していく、人類の壮大な旅路の物語でもある。

ジョブズにつながる「冒険者」たちの軌跡

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年表の3ページ目にようやく、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツといった「コンピューター業界の偉人」として知られる人物たちが登場する。それ以前の時代からの歴史的つながりを一望できるのが本書の価値の1つだ。

撮影:三ツ村崇志

さらに本書はエイダを出発点としながらも、実際には卓越した個人ではなく、世界中に散らばるさまざまなスーパースターたちが、国境を超え時代を超えてチームワークを重ねた結果として成し遂げた「叡智の民主化」の物語でもある。

そもそもコンピューターというのは、人々が知恵をあわせ、共生し、共進化する道具として生み出されたものだ、ということが実感できる。

デジタル計算機を理論化したアラン・チューリング、フォン・ノイマン、コンラート・ツーセ、人間の知識を交叉させることで拡張しようと試みたヴァネヴァー・ブッシュ、人間拡張機械としてのコンピューターを作ったダグラス・エンゲルバート、彼を支援し、ヒト-機械共生を唱えたリックライダー、ヒッピー文化を牽引したスチュアート・ブランド、マクルーハンとエンゲルバートに強い影響を受けたアラン・ケイ、そのビジョンを体現したビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、といったおなじみの面々だけでなく、これまで日本ではあまり知られてこなかったような素晴らしい人物たちの冒険と挑戦の軌跡をなぞり、最終的にはグーグルにまでスポットライトをあてる。

ゼロックスのパロアルト研究所や、アラン・チューリングや、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツについてはそれぞれ、個別に本が何冊も出ている。が、全てを網羅して読むのはあまりにも時間を要する。そう考えると、本書のように体系的にまとまっている歴史書は非常に貴重だ。

「AI前史」を体系的に把握する意味

IBMのDeep Blue

IBMのDeep Blue。

出典:IBM

本書では最終的にはIBMのチェスの世界チャンピオンを破ったディープブルー、クイズ番組で人間のクイズ王に勝利したワトソンへも言及する。

本書でのAIへの言及が、こうした「ディープラーニング以前」のAIで終わっている点を、私はむしろ評価したい。

筆者の立場から見ると、本書はいわば「前AI史」とも捉えられる。AI以前の世界についての貴重な資料だ。そして本書のテーマから意図的に当世風の「AI」が排除されることで、むしろこれからの時代をどう生きるべきかという問いかけにもなっている点が素晴らしい。

誤解を恐れずに言えば、コンピューター史というのは、2014年で一度ピリオドを打って良いものだからだ。2007年に最初のiPhoneが発売され、2010年のiPadの登場で、こうしたものはもはや誰も「コンピューター」とは認識しなくなった。エイダから始まった人類の旅が一区切りついたと言える。それから2年後の2012年にディープラーニングが飛躍的な進歩を遂げ、2014年を契機にディープラーニングの産業化が始まった。

なぜならば、ディープラーニングは、まさしくエイダが逆説的に指摘したように、「実行手順を人間が説明できない」ことを習得してしまう破壊的技術だからだ。

もはやコンピューターの時代ではなく、AIの時代が来ようとしている。

荒唐無稽のように聞こえるかもしれないが、「説明不能な問題を説明しないまま学習し推論する」という点において、いまのAIとこれまでのコンピューターは根本的に違う。

コンピューターの進化の根幹にあった「ムーアの法則」はとっくの昔に限界に達し、その後は惰性で細かい改良を続けてきた。もっと極端な言い方をすれば、2007年の初代iPhone以降のコンピューターの進化というのはなにもない。進化ではなく進歩があるだけだ。唯一の例外が、ディープラーニングに代表されるAIである。

いまや一般消費者でさえ感じている、「コンピューターやスマートフォンの新機種に新しい魅力をいまいち感じない」ことの正体がそれである。

AIとは人類に対して「考えるとは何か」を問うもの

いま、AIはエイダ・ラブレースの予測を超え、むしろ人類に対し、「考えるということは実際には何を意味するのか」というより本質的で難しい問いを突きつけている。

最難関ゲームと言われた囲碁で人類に圧勝し、不確定要素が多い麻雀でも勝利し、そのほか複雑すぎて従来的な手法では不可能と言われていたさまざまなタスクを華麗にクリアしていく。さらには、複雑な微分方程式の解ですら、従来のアルゴリズム的な手法よりも正解に近いものをディープラーニングが解き明かすという論文も発表準備段階にある。

AIの社会実装の現場にいる人間の肌感覚としては、今のAIはかつて考えられていたものとは根本的に別物であり、原理は単純でありながら実際には遥かに複雑な問題を説明不能な精度で解き明かす。

特に、原書が執筆された2014年時点では、ディープラーニングに対して懐疑的な人工知能研究者も少なくなかったが、今はディープラーニングは、基本的にはある条件下のあらゆる問題に対して学習可能であること信じられつつある。

それを実現するのは、かつてないほど巨大化し先鋭化した「力をあわせる仕組み」としてのコンピューター・ネットワークだ。githubが、OpenReview(注:学術論文査読サービス)が、arXiv(注:世界的な論文アーカイブ)が、AI革命に強烈な推進力を与えている。

今のAIは、もはやコンピューターではなくなりつつある。回析格子ですらニューラルネットワークと同じ機能を果たすという実験結果もある。仮に今それがコンピュータの上で動いていたとしても、それはたまたまそうなっているに過ぎない。馬車が、蒸気機関を用いた馬なし馬車になり、それがガソリン自動車になるくらいの進化がこれから起きるだろう。

本書はできれば全ての学校の図書館に置かれるべきだ。

もっと望みうるならば、20歳以下の全ての子どものいる家庭の書架に収まっていて欲しい。これからの未来を生きる若者たちに、今の世の中はどのようにしてできたかを本書を通じて知ってほしい。

そして自分たちはどうすれば自らの手で未来を作り出すチームの一員になれるのか、人類の未来に自分たちはどう貢献していくか、それを考えてみて欲しい。

イノベーションを語る人々にとっては当然のごとく必読の良書である。


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清水亮:プログラマーとして世界を放浪した末、人工知能開発企業を創業し、経営者となる。著書『よくわかる人工知能(KADOKAWA)』ほか

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