筆者と筆者の父。
Courtesy Erin Heger
- 自分が"がん"と診断されたあと、わたしの父はこれまでになく体験により多くのお金を使うようになった。
- わたしも友人と過ごしたり、旅行に行くことが増え始めた。それが父の病気に対処する1つの方法だった。
- 増加する交際費を払うために家族の貯金が減っていったことで、わたしは"今を生きること"と"将来に備えること"のバランスを見つける必要があると気付いた。
わたしの父が自分のジョークが周りにうけてほくそ笑むと、テーブルにいた全員が爆笑した。
「こんな生活を続けていたら、ぼくが死ぬ前にお金がなくなっちゃうよ! 」
苦しくなるほど大笑いしたわたしは、危うく飲み物をこぼすところだった。
「お父さん、本当よ。気を付けなきゃね」
この夜の笑いと軽快なおしゃべりの裏には、誰も話したがらない耐え難い事実があった。口に出すのも辛すぎる事実だ —— わたしの父はステージ4の前立腺がんで、がんはあっという間に父の命を奪っていこうとしていた。 でも、父は今ここにいる。一緒に夕食を囲んでいる。だからわたしたちは笑うことにした。
3年前に父ががんと診断されたとき、わたしは最悪の事態に備えて心の準備をした。この道は長く、険しいものになるだろう。治療によって、父の具合は悪くなるだろう。自分のメンタルヘルスも乱れるだろうと覚悟し、これまでになくわたしをサポートしてくれるネットワークが必要だと感じた。
想定外だったのは、いかにお金を使うことがわたしの父の病気に対処する方法の一部となったか、そして父の病気がいかにわたしの銀行口座に大きな打撃を与えたか、だった。
より意識的に生きる
放射線治療やホルモン治療の副作用と手術は生活の質を低下させ、父は抜け殻のようになってしまった。父のがんは寛解が全く望めないほど進行していると知ったとき、わたしたちは腹を殴られたような感覚だった。わたしたち家族は揺れていた。そして、それぞれがそれぞれの方法でこのニュースをどうにか受け止めようとしていた。
ところが、治療の暗雲から抜け出した父は、これまでに見たことがないような新たな情熱とともに懸命に生きようとしていた。
父は"死ぬまでにやっておきたいことリスト"を熱心にチェックし始めた —— もちろん出費を伴うものだ。ピアノやタップダンスのレッスンを受け始め、スポーツカーを買い、古い友人との付き合いを再開させ、もう何年も連絡を取っていなかった人たちと時間を過ごすために国中を旅した。
父と母は一緒に旅行の計画を立て、ハワイに行ったと思ったら、アラスカを旅していた。わたしが電話をかけるたびに、父か母が音楽に負けじと大声でしゃべったり、新しいレストランを試しているから家に帰ったらかけ直すと説明するなどした。
これらは全て、わたしが育ってきたいわゆる"ミドルクラス"の生活とはまったく違っていた。うちの家族は豪華な休暇を楽しまなかったし、外食は特別なときだけだった。必要なものは全て揃っていたけれど、欲求を満たすにも経済的な限度があると分かっていた。
お金がなかったわけではないが、あふれるほどあったわけでもない。だからこそ、新しい、お金のかかる体験を求める両親を見るのは、お金の使い方というより実際的な意味で"明らかな変化"だった。
これは刺激的だった。両親は父ががんになる前よりもっとたくさんのお金を使っていた —— 多くの場合、"モノ"より"コト"を求めて。
わたしの父は選んだのだ。絶望にひたり、最悪を待つのか、今を受け入れ、今を生きるのか。
古い友人との付き合いを再開し、新たな冒険を求める父の意識の変化は、わたしにも同じことをするよう刺激した。
"欲しいもの"と"必要なもの"のバランス
わたしは昔から旅行が大好きだった。でも、父が病気になって、わたしは旅行のことしか考えられなくなった。わたしは風景の変化を、カンザスの実家から遠く離れた、気を紛らわせてくれる新しい場所を求めていた。
父の病気にどう対処するか、わたしは自分にも選択肢があったと分かっている。そして、父が活動的に生きるのを見て、わたしも大きな意味で"今を生きる"というアイデアを受け入れることに決めたのだ。
わたしも旅行をどんどん計画し、友人と過ごす時間を増やしていった。その結果、わたしの交際費は目に見えて増えた。
それでも、しばらくは大丈夫だった。お金に多少の余裕はあったし、わたしの夫もどうして週末の旅行や友人との飲み会が突如、わたしにとってそれほど重要になったか理解してくれていた。だが、数カ月後、わたしの飽くなき冒険への渇望は、わたしたち夫婦の貯金を少しずつ削り取っていった。
かなりの内省とセラピーのおかげで、わたしは自分にとって旅行が"人生を最大限楽しもう"というだけでなく、"現実と向き合わずに逃避しよう"とするものだと理解した。
一度それに気付くと、こんなことを続けていたら、家族の経済的な未来を台無しにしてしまうと、わたしは自分の消費行動をより客観的に見られるようになった。
"今を生きる"というアイデアの下、あまり深く考えずにお金を使えたということは、わたしがいかに経済的に恵まれているかを表してもいた。収入がもっと少なければ、愛する人の病気と向き合うためとはいえ、旅行をしている余裕などなかったはずだ。
そして今、わたしは多少の計画性と将来の展望をもって、自分の交際費のバランスを取ろうとしている。夢を叶える父の生き方を尊敬しつつ、自分の予算を守りながらそれを実行している。
どんな未来が待っているかは誰にも分からない。運に恵まれればもう数十年生きるかもしれないし、今からリタイア後の生活に備えて貯金しておく必要がある。自分の差し迫った経済的欲求と将来の経済的必要のバランスを取るには、規律も求められる。ただ、わたしの父が見せてくれたように、お金は人生を充実させるツールになる得るが、最も重要なのはどういう人たちに囲まれた人生を送るかだ。
(翻訳、編集:山口佳美)