過激派組織イスラム国(IS)の指導者アブ・バクル・アル・バグダディ殺害時の映像の一部を、米中央軍が公開した。いずれも無人機からの空撮だ。
バグダディが潜んでいたシリア北部イドリブ近郊の隠れ家。
出典:U.S. Department of Defence
出撃から隠れ家爆破に至る詳細なプロセス
公開された映像からのキャプチャ。敵意を示したIS戦闘員に対し、機関砲で殲滅する場面(写真中央に縦に並ぶのが戦闘員たち、7人に見える)。
出典:U.S. Department of Defence
公開された映像からのキャプチャ。バグダディの隠れ家に迫る突入部隊(写真下部、11人いるように見える)。
出典:U.S. Department of Defence
中央軍の発表などによれば、作戦の経緯は以下のような流れだった。
- 午前0時、イラク西部から8機のヘリで出撃。搭乗した地上要員は約100人。輸送ヘリ「チヌーク」などで、他のヘリの種類は不明。正確な飛行ルートは不明。その他、無人偵察攻撃機「RQ-9リーパー」や戦闘機「F-15」も投入された。
- 約70分の飛行で現場に到着。侵入したヘリに対し、バグダディの隠れ家の近傍の2カ所から攻撃あり。ヘリが反撃して撃退。公開映像には、集合したIS戦闘員にヘリがいきなり攻撃をかけた様子が映っていた。交戦したIS戦闘員、殺害されたIS戦闘員の数などは不明。
- 地上に降り立った米軍突入班が隠れ家に到達。屋敷内に向けてアラビア語で投降を呼びかける。
- 正面入口にはトラップが仕掛けられていたため、側面の壁を爆破して侵入。子ども11人を保護。2人のISメンバーを拘束。投降に応じなかったISメンバー5人(男1人、女4人)が突入作戦中に死亡。
- 2人の子どもを連れて地下トンネルに逃げたバグダディが自爆死。
- バグダディの死体から本人であることを確認。情報収集のため、文書などを回収。
- 隠れ家を空爆で破壊。
空路の移動リスクはきわめて低かった
イスラム国(IS)の最高指導者だったバグダディ氏。米軍の急襲を受け、子ども2人とともに自爆した。
Islamic State Group/Al Furqan Media Network/Reuters TV via REUTERS
急襲作戦はきわめてスムーズに行われ、米軍側には1人の犠牲者も出なかった。トランプ米大統領は、ヘリが地上から攻撃を受けたことなどを引き合いに出し、「きわめて危険で大胆な夜間の作戦だった」と強調した。
しかし、軍事的視点から見ると、実は今回の作戦はそれほど困難なミッションとは言えない。
まず、味方のスパイ(情報提供者)が潜入していて、隠れ家の構造や内部にいる人間の情報などはある程度事前にわかっていた。バグダディの護衛はそれほど多くなく(邸内にバグダディ以外の男性は3人)、交戦において大きな抵抗は予想されなかった。
また、ヘリの飛行ルートについては、防空能力を持つトルコとロシアに対し事前に飛行予定を伝えていたため、イラク西部からトルコを経てシリアに至るまで迎撃される危険がなかった。しかも、隠れ家はトルコ国境からわずか5キロほど、シリア領に侵入してから1分程度で到着する距離。空路のリスクはきわめて低かったわけだ。
唯一の危険は、隠れ家周辺が現地のイスラム過激派民兵「シャーム解放機構(HTS)」の支配地だったこと。HTSは対空ミサイルを保有していないので、空中で攻撃を受ける可能性はほとんどなかったが、地上に降りて突入作戦を実行する際に、民兵から攻撃を受ける可能性があった。
もしかなりの人数で包囲されていたら、装備に優る米軍特殊部隊でも危機に陥る可能性があった。離着陸時に攻撃を受けて、ヘリを破壊される可能性もあった。
現地の民兵対策含めほぼ完璧な作戦だった
公開された映像からのキャプチャ。空爆で隠れ家を(バグダディの自爆確認後)破壊する場面。
出典:U.S. Department of Defence
しかし、もちろん米軍はそうした事態にも備えていた。
投入されたヘリは8機と多く、輸送キャパシティに余裕があった。IS戦闘員が上空からの機関砲で殲滅される瞬間の映像が公開されているが、おそらくヘリの何機かは護衛用の攻撃ヘリだったのだろう。
また、前述のように無人偵察攻撃機が上空に配置され、周囲を警戒していた。戦闘機F-15も投入されたとのことだが、こちらはロシアを刺激しないようにトルコ領の上空で待機し、 ロシアやシリアの空軍を牽制するとともに、襲撃地点で何かあればすぐに航空支援できる態勢をとったものと推測される。
さらに、投入された地上戦闘要員も約100人と、この手の作戦のなかでは比較的大人数だった。
バグダディの隠れ家はさほど規模が大きくなかったため、突入そのものは少数精鋭だったとみられる。建造物急襲作戦の訓練を積んでいる対テロ特殊部隊「デルタフォース」が突入を担当し、野外での対ゲリラ戦が得意な空挺特殊部隊「第75レンジャー連隊」が、デルタフォースの予備チームと共同で周辺の監視・警戒を担ったのだろう。
深夜の奇襲的な作戦だったため、結果的に現地の民兵との交戦には至らなかったが、いずれにせよ米軍は万全の準備を整えていた。それを含めてほぼ完璧な作戦だったと言っていい。
ビンラディン急襲作戦と難易度を比べてみた
2007年9月7日、アルカイダのウェブサイトで公開されたオサマ・ビンラディンの動画。
REUTERS/Reuters TV
今回のバクダディ急襲作戦に比べたら、2011年5月のオサマ・ビンラディン急襲作戦はずっと難しい条件下での作戦だった。
作戦場所はパキスタン領内だったが、事前の情報漏洩を避けるため、パキスタン政府には作戦の存在が一切知らされなかった。
バグダディ作戦の場合、仮にロシアやトルコに事前に情報が洩れたとしても、IS側に即座に伝わるということはほとんど考えられない。しかし、ビンラディン作戦の場合、パキスタンの軍と情報機関がイスラム過激派とつながっているため、情報が政府ルートでアルカイダ側に漏れるおそれがあった。
突入開始までは完全な隠密作戦が要求されたゆえのリスクも生まれた。
ビンラディンが潜伏していたパキスタン北部アボタバードの家屋。
REUTERS/Department of Defense
ビンラディンが潜伏していたアボタバードはパキスタン北部(内陸部)にあり、首都イスラマバードの防空圏内だったため、事情を知らないパキスタン空軍の迎撃を受ける可能性も高かった。
作戦にはヘリ5機(特殊部隊を乗せたステルス仕様のブラックホーク汎用ヘリ2機と、バックアップ要員を乗せたチヌーク輸送ヘリ3機)が使われたが、パキスタン領内に入ってからは米軍にとって緊迫の時間が続いたはずだ。
実際、ヘリが領内に侵入した時点でパキスタン側は把握し、国籍不明機の領空侵犯ということで空軍の戦闘機がスクランブル発進した。迎撃には至らなかったものの、米軍はかなり焦っただろう。
不測の事態に備えて、米軍は戦闘機や救難ヘリを(パキスタンの北に隣接する)アフガニスタンに待機させていたが、本当に何かあってパキスタン領に侵入していれば、さらなる事態の深刻化も考えられた。
ビンラディンは殺害まで本人かどうか不明だった
2011年5月1日、ビンラディン急襲作戦の様子を指揮室で見守るオバマ前大統領(左から2番目)。
REUTERS/White House/Pete Souza
実際にビンラディン急襲作戦に参加したのは、バックアップ要員や米中央情報局(CIA)メンバーも含めた計79人とのことだが、友好国の住宅地での隠密作戦だったので、現場で地上に大きく展開した戦闘チームは、 突入班である米海軍の対テロ特殊部隊「特殊戦開発群」(通称シール・チーム6)の2個班24人ぐらいだったようだ。
シリア北部のように現地の民兵組織と交戦する可能性はなかったが、事情を知らないパキスタン軍や治安警察部隊から攻撃を受ける可能性があった。
パキスタン軍の首都圏防衛部隊は、シリアの民兵とは装備も練度も別格で、攻撃されれば大きな痛手を被る危険もある。しかし、現場はパキスタン領内なので、米軍はパキスタン側を本格的に攻撃するわけにはいかなかった。
そんな状況で、バグダディ急襲作戦より少ない陣容で仕掛けたわけだから、ミッションの難易度はビンラディン襲撃作戦のほうがずっと高かった。
10月26日、バグダディ急襲作戦の様子を指揮室で見守るトランプ米大統領(中央)、バイデン副大統領(左から2番目)、エスバー国防長官(右から3番目)ら。
Shealah Craighead/The White House/Handout via REUTERS
軍事面の難易度だけではない。
バグダディについては、DNA照合によって(隠れ家に潜伏しているのが)バグダディ本人であることが事前に確認されていた。
ところが、ビンラディンについては本人のDNAサンプルはおろか、写真も音声録音も一切確認できておらず、潜伏先とされる場所にビンラディン本人がいるのか、最後まで確証はなかった。
作戦終了後に遺体のDNA照合を行ってビンラディン本人であることが証明されたとき、当時のオバマ米大統領は思わず力んで、「ウィ・ガット・ヒム(奴を仕留めた)」と叫んだとされる。
オバマ前大統領もトランプ大統領も、作戦実施時にホワイトハウスのシチュエーション・ルーム(指揮所)で撮影された写真を公表しており、ビンラディン急襲時のほうが一見リラックスした雰囲気に見えなくもない。
しかし、ここまで述べたようないくつもの困難な状況を踏まえれば、実際にはオバマ政権当時のほうが、今回よりもずっと緊迫感が漂っていたはずなのだ。
黒井文太郎(くろい・ぶんたろう):福島県いわき市出身。横浜市立大学国際関係課程卒。『FRIDAY』編集者、フォトジャーナリスト、『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て軍事ジャーナリスト。取材・執筆テーマは安全保障、国際紛争、情報戦、イスラム・テロ、中東情勢、北朝鮮情勢、ロシア問題、中南米問題など。NY、モスクワ、カイロを拠点に紛争地取材多数。